すったもんだの挙げ句ヘリが着陸したのは、深い森を切り裂くように落ちる滝壺の傍だった。ここからは迎えの四輪駆動車に乗り換える。緑とオレンジの鮮やかなツートンカラーで塗り分けられた車体の脇には、送られてきたパンフレットの表紙と同じ、ティラノサウルスの頭部骨格を図案化したマークと、ロゴがデザインされていた。ちょろちょろまとわりつくちびを器用に避け、ぱたぱたと車に走り寄った男の子二人が後部座席のドアを引き開ける。ガコッと重い音を立てて開いたドアは、意外と軽く動いて子ども達を迎え入れた。新しい車特有の匂いが何となく嬉しくて、信彦がくすんと鼻を鳴らす。シートの背もたれ越しに運転席を覗き込んだテリーは、ダッシュボックスの脇に取り付けられた大きな液晶画面とコンソールパネルに、「うわぁ」と歓声を上げた。「何か、探検隊みたいだな♪」「え、どれどれ?」「…こらこら、大人しくしなさいお前達。」教授が今にも落ちそうなほど乗り出した首根っこを捕まえて引き戻す。少年達の手綱をようやく引いて、やれやれ、と溜息をついた。車の脇でその様子を見ていた男が、「ようこそ、音井教授」とごつい手を差し出す。「ここの職員でグラントです。」よろしくな、と子ども達のアタマをかき混ぜながら自己紹介をした男は、遅れてやってきたアレックスを認めると、色の褪せたテンガロン・ハットの下でよく日に焼けた顔をほころばせた。「やあ、久しぶりだなキム」「お、グラントじゃないか!」こんなとこで何してんだお前、とアレックスが目を丸くする。それにににやりと笑って見せた男は、アレックスの大学時代の友人なのだという。「ま、悪友ってやつです」にやりと笑みを浮かべて見せたグラントは、アレックスと同じく古生物学の研究者だという話だった。「しっかしなぁ、こんなとこで会うとは思わなかったぜ」「こんなとことはご挨拶だな」よく陽に焼けた顔が綻ぶ。「ま、俺だって最初は、スポンサーのワガママでなきゃこんなとこ、と思ってたけどな」「…今は違うって?」そう尋ねられて薄い青の瞳に浮かんだ光は、宝物を自慢する子どものそれによく似ていた。一緒に発掘していた頃に見慣れていたそれと、自慢げな口調にアレックスは笑う。「相変わらずだなぁ…」「そりゃぁな、人間そうそう簡単にゃ変わらんって」自慢話は後でゆっくりするとして、とグラントも笑い、一行に声をかけた。「よろしければ、ビジター・センターの方へご案内しますよ。」そちらで社長がお待ちしてますので、と荷台へ荷物を放り込みながらグラントが言う。二列目の座席の後ろは、以外に広く取られた荷台になっていて、跳ね上げ式の後部ドアを開けば荷物が積み込めるようになっていた。もう一台の方へもごとごとと荷物を積み込み、アレックスとパルス、女の子二人が乗り込むとエンジンが掛かった。ドルル…と低く唸るようなその音に合わせて、車体が振動する。合皮製のシートがそのほとんどを吸い込んで、ほんの僅かにしか体へ響かないことに、教授がほっと息をついた。いくら高性能とはいえ、ヘリの振動も長時間続けばさすがにきつい。こんなことで年を感じるとはなぁ、と少々肩を落とした教授は助手席に、子ども達は後部座席に。後の車は助手席がパルス、後部座席にアレックスとエララ、マリエルが座っているようだ。コードが屋根に開いたルーフの縁に留まっているのが見える。同じく開いた屋根から顔を出した信彦が手を振ると、返事の代わりに薄紅の翼がふわりと風に靡いた。「どのくらいかかるかね?」「そうですねぇ…」ギアを入れ替えながらダッシュ・ボードの時計を見やったグラントは、移動時間を約三十分と見積もる。「まあ、お茶の時間には十分間に合いますよ。」「だといいがね。」こう道が悪いと、そのくらいが限度だろうのぅ、と教授が腰をさすった。ヘリの発着場辺りはきちんと整備されていた道は、今はかろうじて獣道よりはマシ、という程度だ。ごろごろと転がる石や、深く落ち込んだ溝を乗り越えるたびに、教授の眉間に皺が寄る。「もう少し行くと、ちょっとはマシな道に出ますよ。」大きな荷を運ぶときは大概船便ですからね、とハンドルを切りながら、慰めるようにグラントが説明した。外部からの出入りは主に港とヘリポートからの二カ所を使う。ヘリを使うことはオープン前とあって今のところ滅多にないため、どうしてもこちら側の道は整備が後回しになるのだそうだ。落ち着かなく座りをいろいろと変えている教授に対して、ぽんぽんと跳ねるのすら面白がっているのは子ども達である。「こういうのも、なんか探検隊みたいで面白いよ♪」「雰囲気出るよなっ♪」「そう言ってもらえると嬉しいね。」でも舌は噛むなよー、と笑った男は、やがて道の先を示して言った。「あのゲートから先が『パーク』です。あそこからは楽になりますよ。」示された先にまず見えたのは、等間隔に立つ柱だった。その間へ幾重にも張られた太いケーブルがその次に、それからようやく見えた鳥籠のようなものが、どうやら『ゲート』らしかった。その手前で停止したグラントが、ナビ・システムの液晶画面を幾つか操作する。タッチ・パネルが地図に切り替わると同時に、鳥籠状になっているゲートの一番手前のロックが外れ、扉が自動的にスライドした。鳥籠の中に車が進むと、今度は自動で後方の扉が閉まり、ロックが掛かると同時に前方の扉が開き始める。「…厳重だねぇ。」その様子を後ろで眺めていたアレックスが目を眇めた。よく見れば柱の間に張られたケーブルは高圧線らしい。ゲートの自動開閉システムも、こんな僻地の島にしては大仰だ。「そうですね、赤外線感知システムと、監視カメラ…多分暗視カメラもあります。」助手席のパルスがこともなげに同意する。そう言えばその道のプロだったかと思い出し、アレックスは苦笑した。「やっぱりアレですか、こんなトコロでも招かれざる客ってのはいるもんですか。」「いや、どっちかというと逃亡防止だな。」運転をしていた男は、アレックスの質問に難しい顔でそう返す。男はマルドゥーンと名乗った。よく陽に灼けた肌と鍛えられた体はアレックスやグラントとよく似ているが、どちらかと言えば細身でしなやかな鋼のような印象を与える。彼はパークの監視員のようなことをしているらしい。以前はケニアの国立公園にいたのだが、開園準備のためにスカウトされたのだという。「何しろモノがモノだけに、ほいほい逃げ出されちゃ困る。」「あぁ、まあそりゃそうでしょうね。」貴重なもんだし、生態系にも影響が出るでしょう、と相槌を打ったアレックスに、男は肩を竦めて答えた。「…アンタもあの学者先生と同じ種類の人間か。」俺が言ってるのはそういう問題じゃない、と苦虫を噛み潰したような口調でマルドゥーンは呟く。ゆっくりと進んでゆく先行の車からは、子ども達がこちらを振り返ってにこにこと手を振っているのが見えた。「アイツらは猛獣なんだ、学者先生は分かってないみたいだがね。」男のその言葉が落ちるのと重なるように、ゴウン、と厚い鋼の扉が重々しい響きを立ててそれを隔てる。外界と隔てられてこそ、成り立つ楽園の姿がそこにはあった。