ちょこっとLOVE


 

 ───その日、《ORACLE》は常ならぬ喧噪の中にあった。
  どさどさどさどさ、どささささささささささ────────ばさばさ。
 「…おいこらお前っ、何考えて…っ」
  …ひゅるるるるるる─────がつ
 
 「っっっっっづーっ!!!」
 多量の圧縮プログラムによる圧迫に加えて、念には念をといったカンジの時間差攻撃を食らった(これでも)電脳空間最強の守護者は、声にならない呻き声を上げた。何しろトドメに降ってきた書籍プログラムときたら、よりにもよって『広辞苑』とかいう日本語の分厚い言語データで、これはもう本気で殴れば人も殺せるんじゃないかなーという代物である。その前段階で降ってきたプログラムにしたところで、とてもじゃないが人の上に落ちて平気な物ではないだろう。
 「…良い格好だな、オラトリオ。」
 「ししょぉ〜、そりゃねーっすよ〜…」
 カウンターの椅子に腰を下ろしたコードが鼻先で笑うのに、頭を抱えたオラトリオが涙目で訴える。瘤こそ出来ないものの、相当なダメージであることは間違いがない。恨みがましく見上げる視線の先で、図書館の主はつん、とそっぽをむいたままデータの編纂を続けている。
 「怒らせるお前が悪い。」
 言下に断じるコードは、どうせ何がどうしようとオラクルの味方なのだが、それでもちょっとくらい同情して欲しいかなー、と思うオラトリオである。それぐらい今日の怒り方は尋常ではない。
 「…んなこと言いますがね〜、あれのせいじゃねーみてぇなんすよ。」
 まだ痛むのか、後頭部辺りをさすりながらオラトリオがこぼす。先日、Dr.クエーサーの電脳空間でやらかした無茶な空間破砕(ネット・クラッシュ)に関してはこってりと絞られ済みである。今更怒り足りないこともなかろうと思うのだが、あれ以来機嫌が悪いことも事実で、実のところオラトリオも途方に暮れていた。
 「な〜、まだ怒ってんのか〜?
 あれは仕方なかったろ〜、とかき口説く相棒に、オラクルは冷たく返す。
 「…それは分かった。」
 「あそこでクオータを逃すわけにゃいかなかったんだし…」
 「…それも分かった。」
 「お前を弾いたのは悪かったけどさ〜」
 「…それも分かってる。」
 「んじゃ何に怒ってんだお前はっ!」
 終いにゃ怒るぞ俺もっ、と声を荒げたオラトリオに、自然オラクルの返答も棘を帯びてきた。
 「分からないなら良いって言ってるだろう、さっきから!」
 「あぁ?!はいそうですかって訳にいくかこれが!」

 「…馬鹿馬鹿しい。」
 溜息と一緒にそう吐き捨てたコードは、本当に馬鹿馬鹿しいこのやり取りが何に起因するかを思い出して、もう一つ深い溜息を吐いた。
  ───まったく、馬鹿馬鹿しい以外の何物でもないな。
  ことの起こりは、実に他愛のないことだったのだ。
 
 「…それでしたら、髪型でも変えてご覧になれば宜しいのじゃありません?」
 おっとり微笑むご令嬢をきょとんと見つめて、雑音(ノイズ)の瞳がひとつくるりと揺らめいた。
 「髪型?」
 「ずいぶんとイメージが変わりますし、新鮮なカンジがして良いものでしてよ♪」
 きっとオラトリオ様も喜ばれますわ、と小首を傾げるエモーションに乗せられて、オラクルがほんのちょっとだけ髪型を変えてみたことなど、どうせこのボケ弟子に分かるはずもないのだ。


 ───気が済むまで付き合ってやれば良かろう。
 人間にとっては、或いは自分たちHFR(ヒューマンフォーム・ロボット)にとっても、髪型などほんのささいな変化かも知れない。それでも《ORACLE》のために全てが創られたオラクルにとって、『誰か』のために例え一部と言えど自身を変えることが、どれほどの行動制御を振り切ってのことか。コードは想像するだけだが、かなりの勇気を振り絞ってのことだろうと容易に想像がつく。
 それを気づかないなぞという鈍感な輩に掛けてやる情けの持ち合わせは、あいにくコードには欠片もない。
 …といえば聞こえは良いが、その実コードの内心はと言えば、
 
 ───勝手にやってろ。
 
 というこの一言に尽きる。
 こうして、ある意味のどかな電脳空間の一日が今日も暮れてゆくのであった。