遍く星の下に


 
 「…さぁて、困ったな。」
 オラトリオは薄く溜息をついて、足元できょろん、と見上げる生き物を見下ろした。
 「何をお困りですか、オラトリオおにーさん?」
 しゃがみ込んだ姿勢からでも、相当高いところにあるオラトリオの顔を見上げて、シグナルは首を傾げる───お気づきかも知れないが『ちび』である。
 「お前を連れて帰らにゃならんのだが、おにーさんはまだ仕事があるんだわこれが。」
 上を向いた拍子に深くかぶってしまった帽子を直してやりながら、オラトリオが苦笑する。大きな頭に似合いの可愛らしい帽子は、どうやらちびの頭には大きすぎるようだった。
 「大丈夫です!」
 えっへんぷいと胸を張るちびは一人でも帰れると言うが、そういうわけにも行かないだろう。いわば試運転期間中なのだから、何があるか分からない。万が一のことを考えるのは一応年長者としての義務である。ましてや、今シグナルには〈SIRIUS〉がない。
 「師匠、ついでにこれも持って帰って頂けます?」
 オラトリオの声に、ディスプレイの上で羽繕いをしていた猛禽がじろりとちびを見下ろした。朱鷺羽色が不機嫌に脹らむ。
 「俺様がか?」
 低温のうなり声に軽く肩を竦めて、オラトリオはちびをちょい、とつまみ上げた。
 「だって一人で帰すわけにゃいかんでしょう。」
 師匠だって分かってますでしょ、と小癪な弟子が片目を瞑ってみせるのに視線が険を帯びる。表情の薄い鳥の瞳がすうと濃さを増して、半眼に眇められたそれが男を睨み上げた。
 「…仕方ない…」
 軋むように零れたそのセリフに、オラトリオは弟を差し出しながらにやりと笑った。
 「これのお守りが師匠のお仕事でしょーに♪」
 
 
 
 《ORACLE》専用検索センターを出ると、辺りは夕暮れの光の中にあった。存外長い時間が過ぎていたらしく、人通りも少なくなっている。センサーの働いた外灯が所々で瞬き初め、昼間の熱を僅かに帯びた風が珍妙な二人連れを追い越していった。
 「ほれ、さっさと歩かんと置いて行くぞ。」
 ばさりと羽を広げたメタル・バードが足の下の小さな子供を急かす。持って帰っているのか帰られているのか傍目には分かりづらいが、ほぼ自分と同じ大きさの鳥を頭に乗せたちびは随分と歩きづらいようだ。
 「コードおにーさん、重いです〜」
 よろりら〜と彷徨いながらちびが零す。先ほどから不機嫌なコードは、どうやらこのままちびに乗って行くつもりらしかった。
 「うるさいぞ、とっとと歩け。」
 「…怒ってますか、コードおにーさん?」
 ぐい、と頭を上げたちびが頭上の鳥を降り仰ごうとして、すてんと転んだ。ばさ、と羽音が零れて掴んだ帽子ごと僅かに舞い上がったコードは、足下で見上げるプリズムをそのまま見下ろした。ころりと転がった姿勢で見上げたちびが、大きな瞳を零れそうに瞠っている。
 「怒ってはおらん。」
 溜息のようにそう零したコードに、紫の水晶がくしゃりと歪んだ。
 「嘘です怒ってます。」
 ぼくが呼び捨てにしたからですかー、とべそをかく子供に溜息をついた鳥がふわりと舞い降りる。ぐい、と持ち上げられたちびがえぐえぐとしゃくり上げるのに溜息を吐いて、コードは脱げた帽子を不器用に乗せてやった。
 「泣くな、みっともない。」
 「だって〜!」
 「…まあこれが俺様の相棒かと思えば情けなくもなるが。
 「やっぱり怒ってます〜!」
 「やかましい!」 
 ちびの泣き言をぴしゃりとはねつけたコードは、ちびの頭上に座り込んでせっついた。
 「ほれ、さっさと歩かんと置いて行くぞ?」
 「…あい。」
 
 よっちゃれよっちゃれ歩き始めた影は、長く引いた紫のそれに時折きらりと星を弾いて遠ざかっていく。導く星がその身になくとも。
 
 
 「…大丈夫かなぁ。」
 ディスプレイ越しにオラトリオの仕事を眺めていたオラクルが、ふと思い出したように呟く。訝しく顔を上げたオラトリオに、賢者が首を傾げて見せた。
 「何だか随分怒っていたじゃないか、コード。」
 「心配するこたねぇよ、師匠はちびにゃ甘いからな。」
 低く笑う男にオラクルの雑音(ノイズ)の瞳がぱちんと不思議そうに瞬いた。
 「そうかな…ちびが呼び捨てにすると怒ってたじゃないか。」
 シグナルには何も言わないのに、と昼間のご指導を思い出しながら首を傾げる青年に肩を竦め、オラトリオはキーボードを叩く手を休めて伸びをした。
 「あの師匠が『おにーさん』呼ばわりさせてる方が俺ぁ不思議だがなぁ。」
「…ふうん?」
 そんなものかな、と首を傾げる賢者も、分かったような顔で講釈を垂れる守護者でさえもあの子供には甘いのだ。今更心配するほどのことも実はないのだが。
 「ま、どっちも〈A-S〉だからな、しっかりサポートしてくれるだろうさ。」
 永の月日を電脳空間に過ごした彼が、その果てに選んだ光。その体が二つ有ろうと、宿す心が二つ有ろうと、その輝きは唯一無二。
 ───深い闇を知る者が、その輝きを違えようか?