どこまでも行こう


 お前と行こう。
 どこまでも、この世界の果てまでも
 
 「太陽と月と星と雲と雨を見たいな。」
 「…ひとつ聞くが。」
 すう、と深呼吸をしたオラトリオは、世間知らずにも程がある賢者殿を思いっきり怒鳴りつけた。
 「それを全部一緒に見る気じゃないだろうな───っ?」
 大概にしろお前は、と怒鳴られた当の青年は、というと、雑音(ノイズ)の瞳をぱちくりさせながらのほほん、とこう宣った。
 「──見れないのか?」
 見られる訳ないだろう、と言いさしたオラトリオは、すんでのところでそれを飲み込んだ。万能の賢者と讃えられながらも、現実空間を知ることのないオラクルにそれを言って何になろう。
 「…全部一緒にってのは無理があるだろうよ…」
 盛大な溜息と共に絞り出したセリフに、青年はつまらなそうに口を尖らせた。
 「なんだ、そうなのか。」
 「…そういうんじゃなくてなー、お前が『やってみたい』こととかは?」
 話を変えよう、とオラトリオが話題を振る。この分では何が出てくるか分かったもんじゃないな、と苦笑しつつも。
 「やってみたい?…そうだなぁ…」
 しゃがみ込んだ姿勢で真剣に考え込む青年の前髪が、さらりと落ちて表情を隠した。同じくしゃがみ込んだオラトリオが覗き込むと、おずおずと視線を合わせてきた青年が、僅かねだるように首を傾げる。
 「お前としてみたいこと、でもいいのかな?」
 「…俺と?」
 何だそりゃ、と眉を上げてみせると、膝の上で頬杖をついたオラクルは、ふわんと笑んで答えた。
 「うん、2人でなきゃできないことなんだって。」
 「ふーん…」
 いろいろと頭の中でシミュレーションしてみるものの、これといって候補が見あたらないオラトリオは、半分本気で首を捻った。まさかスポーツ系でもないだろうが、二人一組というと…ダイビングか何かだろうか?
 「ま、言ってみな。できることなら付き合ってやるよ。」
 いつになるか分かんねーけどな、と内心で呟きつつ促すと、オラクルが嬉しそうに笑った。
 「ありがとう、オラトリオ。」
 「いいって、それより何がしたいんだ?」
 オラクルの笑顔に自然と緩む表情を隠し、視線を外したオラトリオは話の先を促した。延々と続くデータボックスの、最下段の扉を開く。男の首筋から耳までがうっすらと染まっているのを見て、オラクルは小さく笑った。作業を続けるオラトリオの、柄にもなく照れた様子が可笑しかったので。
 「…あのね、『デート』っていうのかな?それがしてみたいんだけど。
 がん!
 下から数えて三段目、丁度目の前にあった扉に、オラトリオの額が激突した音である。 
 「だ、大丈夫かオラトリオ!?」
 「大丈夫もなんも…」
 額を預けたまま、オラトリオが低く唸った。何かくるだろうとは思ったがこれかい、と眩暈をこらえる。大きく息を吸って、吐いて、はい深呼吸。そこまでやって漸く気を取り直した男が痛む頭を押さえながら振り返ると、首を傾げたオラクルが心配そうに覗き込んでいる。
 「…何で俺となんだよ?」
 「え、だって一番好きな人とするものなんだろう?」
 きょん、と瞬く瞳は恐ろしいことに本気である。いや、それはそれでオラトリオには嬉しい答えだったりもするのだが。
 「…駄目かな?」
 おそるおそるそんな風に言われて断れる者があればお目にかかりたいものだが、ご多分に漏れず我らが守護者殿もこれには弱かった…というより、誰より弱かったと言うべきだろうか。
 「駄目なわけじゃねーよ、気にすんな。」
 「うん…」
 いいの?と心配そうな青年に笑ってやると、少しだけ安心したような笑みが浮かんだ。
 「それで?デートって何がいいんだ?」
 遊園地か動物園か、と並べるオラトリオに、オラクルがちょっとだけ拗ねたように睨んでくる。
 「そんな子供みたいなこと言わないよ。」
 「んじゃ何がしてーんだ?」
 まさかいきなり上級コースとか言わねぇだろうな、と内心どきどき期待しているイケナイおにーさんは、次の一言で盛大な溜息をつくことになるのだった。まあそれが安堵か落胆かで意味合いは大きく異なるが。
 
 「お前と手をつないで歩いてみたいな、と思って。」
 
 でもいいよ、お前はべたべたされるの嫌いなんだものね。
 まじまじと見つめる男の視線をどう取ったのか、オラクルはすぐ寂しそうな色を雑音(ノイズ)に混ぜて微笑む。初対面のあのときに振り放した手がここまで祟るか、と、オラトリオの心がずきり、と鋭く痛んだ。
 ───きっとあのとき、オラクルの心はもっと痛かっただろう、と。
 オラトリオの瞳を、苦い嗤いの色がふわりと掠めた。
 「…そんなのここでもできるだろうが、この世間知らず。」
  やれやれ、と立ち上がってコートの埃を払い、しゃがみ込んで見上げるオラクルへ右手を差し出したときには、それはただ、甘く優しい色に染まっていたけれど。
 「…ほら、行くぞ。」
 「…うん。」
 
 大きな白い掌は、オラクルが覚えていたそれより暖かかった。
 
 こんな風にどこまでも、歩いてゆけたらいいのにね?
 ────そうっと囁いた言葉は、声にはならなかったけれど。
 
 きゅ、と優しく握り返してくれる手が、オラトリオの答えのような気がして。
 オラクルの雑音(ノイズ)が、ふわりと滲んだ。