常葉木


 
 ────── ほとり、と落ちる、その気配。
 
 ふと目を上げると、黒々と深い緑の木立から浮き上がるように、赤い花首が落ちるところだった。
 鼻腔を指す冷たい雪の匂いにくすん、と鼻を鳴らしたイルカは、積もった雪の上に落ちたそれを見やって目を細める。立ち止まった弾みでふわりと口元から零れた息が、まとわりつくように頬を掠めて過ぎた。
 「…椿かぁ。」
 純白の雪で織りなした絨毯の上に、ほとほとと落ちた深紅の花が描く模様は鮮やかで目を惹かれる。悴んだ指に息を吹きかけながらそれを眺めて、イルカは目を細めた。
 ほんの少しへこんでいた気分が、すうっと軽くなるような気がする。失敗したわけではないのだけれど、久しぶりにこなしたAランクは思ったより後味が悪かった。
 「しょうがないな、俺も…」
 人好きのする外見も手伝ってか、割り振られる任務には子供が絡んだモノが多い。今回もご多分にもれず、大名の世継ぎ問題で命を狙われた子供の護衛任務。ただし依頼の目的は別にあった。
 子供を囮に、それに引っかかるだろう不穏分子の一掃を。
 それが、子供の父親からの依頼だった。
 
 ────子供の生死は問わぬ、と。
 
 それを知らず、依頼を父親の情と信じて笑う子が哀しかった。守ってやろうと思った。
 けれども、最後の一瞬に優先されるべきは任務で。だから子供を守ることよりも、黒幕を引っ張り出して片付ける方を優先するしかなくて。
 流れてしまったあの子供の血の赤は、忘れられないほど今も目に鮮やかだ。黙っていても分かってしまっただろう聡い子供の、傷ついた瞳が忘れられない。命だけは守ってやれたけれど、あの子供はきっともうあんな風に笑わないだろう。
 騙し騙されるのは忍びの常、血を流すことだって日常茶飯事。けれどもそれに慣れるかと言えば、自分はいつまでも慣れないだろうと思う。
 今更どうしようもない、そんなことは分かっていてもぐるぐると考え込んでしまうのは自分の性格で、それこそ今更直しようもない。割り切れなくて残る蟠りは、けれども少しだけ軽くなったような気がした。
 
 ──────この世はきれいなモノで満ちている。
 
 血の赤に似て忌まれる花は、それでも艶やかな葉の緑がきれいで。盛りを過ぎずに落ちる潔さは心地よいほどで。
 そして忌まれるその散り様さえも、何と鮮やかに人目を引くことか。
 
 「俺もこんな風に生きたいなぁ。」
 花にはなれなくてもいい、とイルカは小さく笑う。今を盛りと咲き誇る、鮮やかな色は自分の身に沿わないだろう。それよりも自分は、花が花と咲き誇れるように、支えるモノであれたら良いと思う。常に緑を湛える葉のように、役目を終えて散るのも朽ちるのも、目立たぬ一枚の葉でありたい。
 
 どうせいつか土に還るが定めなら、それまでの間くらい好きに生きても良いだろう。
 
 ──────ほとり、と落ちる。
 
 そんなきれいな生き方を、今更望んで許されるとは思わないけれど。