贖罪の傷跡


 
 傷つき血を流すがいい、罪深き人の子よ。
 身の痛みがたとえ罪を贖うものでなくとも。
 
 「…ひとつだけ、お願いがあります。」
 思い詰めたような緑の瞳が、真っ直ぐに正信を見つめた。よく似た双子の姉と握り合っていた掌は、今は祈るように胸の前で組み合わされている。
 「何だい、ユーロパ?」
 流れる陰鬱な空気を振り払うように、正信が微笑んだ。A−NUMBERSを封印するという知らせは、伝える側にとっても相応の痛みを産む。それが『失いたくない』という人のエゴイズムで、彼らを縛り付けることの代償にはなり得ないけれど。
 それでも贖罪の痛みを受ける、その立場でありたかった。本来なら自分ではなく、総帥たるDr.カシオペアの役割であったかも知れないが。息子たち娘たちを再び失うあの婦人が逃げたわけではなく、自分が選んだのだ。
 ───彼らにそれを告げる役目を。
 
 「僕らにできることかな?」
 何でもと言ってあげられないのが辛いところだけれどね、と両手を挙げてみせる正信に、傍らでカルマがくすりと笑った。
 「こういうときは、嘘でもそう言うものですよ正信さん。」
 変なところで正直なんですから、と完璧な美貌がふわりとほどける。深い森の緑が、春の陽射しに芽吹くように優しくきらめいた。甘い蜂蜜のようにとろりと輝く金の髪をさらりと落として、A−NUMBERS統括たるその青年は小首を傾げる。
 「…一体何でしょう、あなたが望むこととは。」
 「叶えてあげるよ、僕らも我が儘を聞いてもらうのだから。」
 言ってご覧、と促す視線の前で、カシオペア家の末娘は僅かに目を伏せた。さらさらと藍色の前髪が落ちて、物憂げな睫毛に縁取られた新緑の瞳を隠す。微かに震える桜色の唇が綴った言葉は、ラボの中でひどく静かに響いた。
 
 「私が封印されている間に、アトランダムを直さないで欲しいんです。」
 
 ぱたぱたと落ちる滴が、組み合わせた黒の手袋の上に見えない染みを作る。震えるそれをぎゅうっと握りしめて、ユーロパは視線で正信に縋り付いた。
 傷ついたあの人が、もう二度と傷つかないように。目覚めたその時にもし私がいなければ、アトランダムは易く傷ついてしまうから。そして何より、「いつも一緒にいる」と約束したから。
 私のいない瞬間を、作らないでくれるなら。
 
 「ユーロパ…」
 気遣うようにそうっと抱き寄せられて、少女は潤んだ瞳を笑みに歪めた。擦り寄せた額の熱が心地よい。間近く覗き込む同じ色の瞳が優しい。だから『封印』にも耐えられる。 
 「もー、ボクまでとばっちりかぁ☆」
  つまんないのー、とぼやくハーモニーが空中でくるんと回った。ぴん、と張った薄い羽を微かに震わせて、悪戯っぽい瞳が正信を見下ろす。
 「ボクとも約束してねー、正信。」
 またすぐに会うんだよ、ボクたちは。
 今まで何度も出会って別れたように、またすぐに会おう。それなら『封印』されてもいいよ、とハーモニーは笑った。
 「…それで、貧乏くじは俺とお前なわけ?」
 どうせこき使うんだろー、と脇で肩を竦めるオラトリオに、カルマが苦笑する。
 「そうですね、まず信彦さんのお相手をしないといけませんよね?」
 「…それを俺にやれってか。」
 やぁれやれ、と大げさに溜息をつく男は、それでも根気よく少年の相手をするのだろう。誰一人として人のエゴを責めないのだ。この優しい隣人達は。
 ───思うさま責めて詰ってくれれば良いものを。
 
 『どうしてですか!?』
 
 耳に残るその叫びだけが。
 許されざる罪を贖う、求めていた傷跡のように正信の心を抉った。