独立運動活発化


20YY年、日本は、3年前に開始した第三次世界大戦についに敗北した。 1990年代後半から続く不況から脱出できないでいた日本は、 起死回生を賭けて始めた戦いであったが、無謀な戦いでだった。 第二次世界大戦でも敗戦した日本は、二度と大国にならないようにするため ついに二分割統治されることになった。 そこで、戦勝国の1つ中国は、近畿、中国、四国、九州、沖縄地域を西日本国として統治し、 同じく戦勝国のアメリカは、北海道、東北、関東、中部、北陸地区を東日本国として統治することになった。

あれから40年たった東日本国では、多数派の関東人による支配が行われていた。 人口の一割を締める関西人は、政治・経済の主導権を握ることができず、不満が募っていた。 両者の言語は、非常に良く似ており、外見だけでは見分けはつかない。 ただ、使用している文字は同じであるが、発音が微妙に違う。
方や西日本国は、関西人を中心に経済発展を遂げていた。 そのため、東日本国では主導権を握れないことによる不満は、大きなものであた。 「第三次世界大戦終戦40周年記念講演」で西日本国の書記長が、 「差別や迫害から関西人を守る」という宣言を発し、一気に東日本国内で民族主義に火が付いた。

特に過激な兵庫県人会レジスタンスの活動は、神戸と良く似た港町がある横浜にある拠点を中心にして 活発に破壊的活動を繰り広げている。


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