左のオリジナルの地図の発行を示す記述を見ると「安永七年」に原刻(初版)が発行され、「天保四年」に四刻(四版)めの発行とある。
安永は、1772年から1780年である。
この頃は、江戸時代中期で田沼時代と言われる時代である。
天保は、1830年から1843年である。
ちょうど江戸時代後期で、天保の飢饉や天保の改革(1841年から1843年)が
あった時代である。「天保四年」と言えば、その天保の飢饉があった頃である。
右に地図の読み方を書いた部分がある。
ここには、凡例などを示して地図上の記号の説明(国名、郡名、城下、陣屋、関所など)が書かれている。
地図の内容の参考に関東地方の部分と淡路島部分を読み取ってみた。
緯度経度の線が書かれている。地図には、北海道はまだ含まれていないが、全体的な感じは現在の
日本地図とほぼ同じである。