父ヒロシの育休日記

【簡 易 版】

 昨年発表された労働省(当時)の調査によると、1998年度に出産した女性労働者のうち、育児休業を取得した割合は56・4%。一方、妻が出産した男性のうち育児休業を取ったのはわずか0・42%だった。私はその「超少数派」男性の一人。

 私が妻の後を引き継ぎ、第1子(愛称「ともきち」) の育児休業を取ったのが1997年のこと。わずか23日間の休業に「骨休め育休」だの「お試し育休」だの周囲から冷やかされ、実際、ほとんどその通りに終わった。1999年、第2子(愛称「チャー」) 誕生。「今度はもっと長く取るんでしょうねえ」と、周囲にプレッシャーをかけられ、2度目の育休は少し長めの2ヶ月間(2000年2月〜3月)。

 料理の経験などない。子育てが特別うまいということもない。妻に強制されたわけでもなければ、職場から逃避したかったわけでもない。ましてや「男女共同参画」を実践しようなどという高い志とも無縁。以下はそんな一男性職員の「育休日記」。

2000年1月25日】カレンダーを見ると、1週間後には育休に入っている。2ヶ月間職場へ行かなくなるのだという実感はまだない。2年前、「ともきち」の時の育休は3週間余りだったが、初めての、しかも「男の育休」ということもあって、それなりに緊張していたような気がする。結局、私の後、職場で育休を取った男性がいるという話を聞くこともなく、今回、私自身が2度目の育休を取ることになった。私は「パイオニア」のつもりが、ただの「変わり者」だったのだろうか

●なぜ? 「なぜ、育休を取ったのか?」。私の育休を知って、まず聞かれるのがこの事。私としては夫・妻とも仕事をしているのだから、家事・育児も何かの形で分担するのは当然と考えていたので、改めて「なぜ?」と問われ答えに困った。そもそも育休したのが女性なら敢えて「なぜ?」などと聞くだろうか。しかしその後、私の育休体験についてテレビや新聞の取材や講演の依頼まで来るに至って、自分がかなり特別な存在であることを自覚させられた。

【1月31日】今日が育休前最後の出勤日。終わり良ければすべてよし。余裕をもってサヨナラしたかったところだが、午後になって私の不注意によるミスが発覚。その処理に追われて居残るはめに…。全くもってしまらない幕切れとなった

●男の育休は突然始まる 女性の場合は産前産後の休暇から連続して育児休業へ移行するパターンがほとんど。私(男性)の場合は先週まで普通の調子で仕事をして、今週から突然にいなくなるという形。私は「育児休業申請書」を提出する前から、「子どもができたら育休するぞ」と宣言。周囲の驚きやアレルギー反応をやわらげようと考えた。しかし、どう準備をしても職場には迷惑をかける。ここで卑屈になったり、恥じたりすれば元も子もない。後に続く人のためにも、周囲への配慮や感謝はしつつ、堂々と取ることが大切。

【2月1日】今日から妻に代わって私が休業。妻を送り出した後、私は張り切って午前中に後片付け、「チャー」の朝ご飯、掃除、洗濯を済ませ買い物へ。食料品のほか、今後のために皮むき器も買う(実は包丁で皮をむいたことがない)。午後、「チャー」と私はお互い様子をうかがいながら過ごし、夕飯の準備をして妻の帰りを待つ。今日、私は家族以外と一言もしゃべる機会がなく、外出も買い物へ出た1回だけ。初日からストレスを感じる

●スケジュール 育休前は「良き父親を計画的に遂行しよう」と、昼寝、買い物、食事などの時間を区切り、タイムスケジュールを設定。いわば仕事のノリ。しかし、子どもがこちらの思い通りご飯を食べたり、昼寝をしてくれりするわけもなく、仕事とは全く別の世界、時間の流れを実感する。それでもしばらくすると、毎日のおおよそのペースがつかめるようになった。

 午前7時起床。朝食の後、8時過ぎに妻を送り出し、洗い物・洗濯・掃除。10時前に「チャー」の朝ご飯。11時頃買い物へ。昼前に帰宅。「チャー」を転がし(そのまま寝てしまうことが多い)、私の昼食。午後1時半頃、お昼のミルク。その後「チャー」は遊んだり、散歩に出たり、おやつを食べたり、昼寝したり、うんこしたり。私は、寝ているスキに本を読んだり、メールの返事を打ったり。午後4時頃から夕食の準備。途中、「チャー」の離乳食も。この辺りの時間帯が一番忙しい。6時過ぎ、妻の帰宅。夕食後、今度は少し「ともきち」の相手をして、7時半頃洗い物。8時過ぎから子どもを風呂に。9時過ぎ、子どもたちを寝かしつける。10時半、ほっと一息ついて明日の晩ご飯何にしようと考えているうちに眠くなり、12時頃寝る。

【2月6日】「チャー」の離乳食を作りだめする。『育児百科』の類にはトマトとジャガイモの重ね焼き、ナンキンのレモン煮、レバーのバナナ和え(まずそう)…など「毎食こんな凝ったものを作ってられるか!」とツッコミたくなるようなメニューばかり。妻の指導のもと、とりあえず、素うどん、サツマイモ煮など4品を一気に作り、さまして小分けにして冷凍庫へ。これらとスーパーで買いこんだビン詰めレトルト食品やパン粥を併用すれば当分、大丈夫?

【2月7日】「チャー」をベビーカーに乗せ出かける途中、車輪が排水溝のふたにはまり、こけかける。車輪の小さなベビーカーはちょっとした穴ぼこや段差、傾斜でつまずく。おしゃれな?カラータイル舗装もベビーカーから見ればただのでこぼこ道。毎日、ベビーカーを押して初めてわかった道路事情

【2月16日】午前中、公民館へ行く。絵本についての連続講座に参加。市の催しの場合、一時保育があってもほとんど2歳から。0歳の「チャー」は実家へ預けることに。洗い物と洗濯だけすませ、「ママバッグ」に着替えや哺乳瓶、おしめ、お湯まで詰め込み、ベビーカーに「チャー」を乗せ出発。百円玉2つ握り締めてバスを待つ。寒風吹きすさぶ中、こうまでして出かける必要があるのかと自問自答。バスに乗ったら乗ったで、バッグやらベビーカーがやたらかさばり、車内のあちこちにぶつかりひっかかる。もたもたと、降りるのにも一苦労

●外出 育休期間中を通して、赤ちゃん連れの外出のしんどさを思い知らされた。まず、準備が大変。外出先でのあらゆる場合を想定してかばんの中身はどんどん膨らむ。さあ出発、という時にお尻から漂う異臭に気づき、おしめを代えに戻ったことも1度や2度ではない。荷物・ベビーカー・赤ちゃんを抱えての移動は、たとえ短い階段でも悲壮感漂う冬山登山の心境。バス内などでは、ベビーカーを倒さないようにとか、子どもを泣かさないようにとか、とにかく世間様のご迷惑にならぬよう、親子で身を縮める。そんな時、声をかけてくれたり席を譲ってくれたりするのはたいてい(子育て経験のある?)中年女性。男性諸君は無関心

【2月21日】午後から「チャー」と自宅周辺を散歩。寒いせいか公園には誰もいない。しばらくマンションの玄関のところで「チャー」と二人で行き来する人を眺める。学校から帰宅する小学生、反対にカギを胸にぶら下げて遊びに出て行く子も。幼児を連れた主婦が買い物へ。そういえば今日は全品1割引きの日。いろんな人と会釈を交わすが、平日の午後に不精ひげをはやした赤ちゃん連れのおっさん一人。「この人もしかしてリストラされたの? でも、面と向かって聞けない」というような感じだろうか

●わたしはだれ? 家で1日中、子どもと2人でいる閉塞感は相当なもの。家中をきれいに掃除しても、皿をピカピカに磨いても誰に誉められるわけでもない(給料という対価もない)。「チャー」の親という以外、対外的な「肩書き」のない身の上は何とも中途半端な感じ。単に人恋しいというレベルを超えて、自分と社会とのつながりを求め、自分が何者なのかを他人に知ってもらいたいとの悲痛な思いが涌き出た毎日。2ヶ月間だったから耐えられたと思う。

【3月6日】4月からの「チャー」の保育所の入所手続きへ。入所説明会では配布資料に即して説明を受ける。入所までに検便が必要。色々と書類を用意し、保育所へ面談にも行かなければならない。それでも入れるだけマシ。まだたくさん入所待ちの家庭があるらしい。少子化とはどこの話か

●保育所 育休は子どもが1歳になるまで取れるのだが、困るのはその後。保育所探しと入所は至難。年度代わりの4月なら入りやすいだろうと、「チャー」の場合も育休期間は3月末までにした。幸い、2月末に「ともきち」と同じ保育所の内定通知をもらうことができた。

【3月9日】「チャー」が朝から白い下痢、食欲もなくイヤな予感。午前中も元気なくゴロゴロしていたが、昼に抱き上げると、いきなり朝食べたものを口から噴射。「チャー」はその後もぐったり。本を見ると「吐いた後もぐったりしていたら医者へ行くように」と当たり前の事が書いてあるが、行こうにも木曜日はほとんど休診。電話帳で開いているところを見つけるが、午後診は5時から。それまで水分補給をしたり、添い寝したりするが、熱が出てきても何もしてやれない。一人で病気の子どもといるとものすごく不安

【3月14日】「チャー」の下痢は治まりつつあるものの、鼻水がひどくて苦しいのか、泣いてばかりで機嫌が悪かった。こちらも頭痛がしていたのでイライラする。育児は24時間休みなしだから仕方ないが、子どもは泣いて欲しくない時と場所で必ず泣く

【3月28日】育休もゴール間近。今日は「チャー」を連れて市の「10ヶ月赤ちゃん相談」へ行く。何十人という子連れの親のうち父親は私だけ。上手にハイハイしたり、中には立って2、3歩歩いたりする赤ちゃんたちの中で、我らが「チャー」は一人ごろごろ。保健婦さんに離乳食のメニューや堅さについてきく。少し堅いものを食べさせてもよさそうだ

●公園デビューできず 公園、公民館、検診など、どこへ行っても父親は私一人という場面ばかり。周りのお母さんたちも話しかけにくかっただろうし、こちらもあまり社交的な方ではない。育休末期になっても新しい友達はできず、その分独り言が多くなった。

【3月29日】職場の4月からの人事異動の内示があった。今年の私は異動の悲喜こもごもの喧騒とは無縁。何か寂しい気もする

【4月3日】今日から私は職場へ復帰。「チャー」と「ともきち」は保育所へ。いよいよ今後数年間続くであろう「二馬力・二保育所」体制のスタート、のはずが「ともきち」が熱でダウン。実家で静養。「チャー」も今週いっぱいは「慣らし保育」で午後からは実家預かり。「チャー」はやはり初日とあってぐずぐずと泣いてばかりいたようだが、お昼ご飯だけはしっかりと食べたらしい。私は掃除と食器洗いを済ませてから出勤。久々にネクタイをすると苦しい

●家事と仕事 普段、働いている男性が家事、育児に専念することも、人事異動で辞令をもらって新しい職務に就いたのだと思えば特別な話ではないと思う。掃除、洗濯、買い物、調理、離乳食、お散歩、予防注射、検診…、明日、雨の場合はどうするか、明日も下痢が止まらない場合はどうするか…、ある程度のスケジュール管理や段取りが必要なのは仕事と同じ。給料が出ない、上司がいないなど、決定的な違いはもちろんあるが、とにかく育休中を通して、特に男性が家事・育児に不向きだと感じたことはない

【4月5日】職場の人たち大半は、当然ながら私が育休を取っていた事など知らない。「そう言えば、しばらく見なかったなあ」という程度だろう。一方、育休を知っている人は「お久しぶり。どうでした?」など感想を求めてくる。これが一言ではなかなか言い表せない。育休とは今にして思えばつかみどころのない不思議な経験だったような気がする。「家にいるのと仕事とどっちが楽?」とも聞かれるが、これも評価の尺度が違う話で何とも答えようがない。「何だ、たった2ヶ月?」のような反応もある。こんなこと言うのは決まって、家事・育児に縁のなさそうな男性

  以上、私のささやかな育休体験は、多少、泣き言めいた事が多いものの、子育て期の親なら誰もが経験したであろう事がらばかり。たまたま私が男性であったというだけのこと。

 現在、「ともきち」は4歳、「チャー」は2歳。同じ保育所に通っている。私たち夫婦は仕事と子育てのバランスを取りながら毎日、綱渡りの生活。家事・育児に十分な時間が取れない今の方が、どちらかが休業していた頃よりもはるかにしんどい。思えば、育休など長い育児の中ではほんの一瞬の出来事。

 育休によって、私は2ヶ月分の給料とわずかの年度末手当、そして4月での昇任の機会を失った。得たものは何か? 料理の技術が身につき、家事も育児も前のようにおっくうでなくなった。ついでに日記を公開したホームページ作りでパソコンの技術も向上。ただ、これらは休業しなくても可能なこと。

 それでも、やはり私自身は2ヶ月間の育休で何かしら変わったと思う。ゲームのキャラクターに例えるなら、新しいアイテムを手に入れてバージョンアップしたといったところか。仕事のみに埋没することの無責任さやばかばかしさ、子育てに「母性」だの「父性」だの、ことさらに性差を持ちこむことの無意味さや危険性が実感できたことだけでも収穫。

 しかし、職場の中でも私のような感覚の職員はまだ「変わり者」扱い。自治体が「男女共同参画社会」の実現を本気でめざすならば、私のような存在がどんどん出てくるような職場環境づくりに、自ら率先して取り組むことも必要では。

(2001年8月1日)

 

 以上の文章は、自治大学校の『月刊自治フォーラム』(地方自治研究資料センター編・第一法規)の2001年9月号「特集/女性のエンパワーメント〜男女共同参画社会をめざして」に掲載された、私こと「父ヒロシ」の文章がもとになっています。

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