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ウルトラマンの構造分析


Gegebo

目次
1.プロップの『昔話の形態学』
2.異類婚姻譚の構造
3.旅の途中であること
4.欠如とその補填
  
   この文章について

1.プロップの『昔話の形態学』

 昔話には同じような筋書きのものが数多くある。継母に虐げられている姉娘が,継母の実の娘をさしおいて嫁に行き継母がくやしがる,という「シンデレラ」型の物語はヨーロッパの各地に伝わるばかりでなく,日本の継子話の中にも同一の類型に分類できる話がある。[1] 「鶴女房」に代表される異類婚姻型昔話では,鶴,狐,魚介類,あるいは雪女など,人間以外のものが人間の男の所に嫁に来る。嫁の正体は違っても,話の大筋はどれもほぼ同じである。TVドラマ『ウルトラマン』[2] の物語はこれらの異類婚姻型昔話と同一の構造を持っている。以下にこのことを検証したい。
 同一の類型に属する物語であっても,登場人物の名前やその他の属性は,当然それぞれの話ごとに異なっている。では,それらの昔話の同一性は何に由来するのであろうか。ロシアのウラジーミル・プロップ(1895〜1970)は,『昔話の形態学』という著書の中で,「魔法昔話」という類型に分類されるロシアの民話を例として,物語の構造を分析しようと試みた。[3] プロップによれば,同一の類型に属する昔話を同一のものたらしめているのは,登場人物たちの行為である。プロップはこれを「機能」と呼んだ。「機能」とは,物語の筋の中でいかなる意義をもつか,という観点から規定された登場人物の行為のことである。[4]
 例えば「糠福米福」型の物語の場合ならば,〈継母にいじめられる〉とか〈嫁に行く〉という,複数の昔話から共通の要素として抽出される登場人物の行いが,「機能」である。そしてプロップによれば,「機能が,どの人物によって,また,どのような仕方で,実現されるかは,関与性をもたない。」[5] 従って,主人公の女の子が「米嚢(こめぶくろ)」と呼ばれるか「糠ぶき」と呼ばれるか,[6] あるいは「シンデレラ」と呼ばれるかは,言語学者の用語を借りれば,恣意的(arbitrary)な問題である。また,主人公を助けるのは,魔法使いのおばあさんであっても,白い小鳥(柳田国男「米嚢粟嚢」)であっても,そのほかの誰かであってもかまわない。誰かがその行為を行いさえすればよいのである。
 物語が同一の類型に属するということは,プロップのいう「機能」(登場人物の行為)の連続によって構成される構造が同一であるということなのである。プロップは百編の魔法昔話を分析して31の「機能」を抽出した。[7] これらの「機能」はどの物語でも,同一の順序によって継起する。
 『昔話の形態学』はロシアの魔法昔話を分析の対象としたものである。プロップ自身はこの本の「基本テーゼ」の一つとして,「機能の継起順序は,常に同一である。」と述べたところで,次のような但し書きを付けている。

断っておかねばならないのは,この規則性が,フォークロアにのみかかわるものであって,説話(物語)全般のジャンルとしての特性ではない,人為的に創られた説話は,この規則性に従うものではない,ということです。[8]

しかしプロップの手法は,他の様々な物語の分析にも応用することが出来る。


2.異類婚姻譚の構造

 登場人物の行為による物語の構造分析の手法を適用して「鶴女房」型昔話を分析することにより,複数の異類婚姻譚に共通して現れる要素として,六つの「機能」を抽出することができる。ここではそれらを〈援助〉〈来訪〉〈共棲〉〈労働〉〈破局〉〈別離〉と名付けた。
 プロップはロシアの魔法昔話が31の「機能」から成るとしたが,すべての「機能」を含むのは理想的な形であり,実際には一編の物語の中に31の「機能」が全て含まれている例は一つもない。本論における異類婚姻型昔話の六つの「機能」は「鶴女房」を基本型としたものである。同一の類型に属する他の物語には六つの「機能」のうちのいくつかを欠くものもある。
 以下にそれぞれの「機能」について説明し,『ウルトラマン』の筋書きも,異類婚姻譚の異類たちの行動と同じ「機能」の連鎖によって構成されていることを指摘してみたい。

[1] 援助

 他の世界のものと人間とが出会う。この出来事が契機となって物語が始まる。最初の出会いは偶然のもので,助けたり助けられたりする性質のものであることが多い。例えば,「鶴女房」では男が鶴を助ける。木下順二作「夕鶴」の与ひょうによれば,「いつだったかおらが畑(はたけ)打っとったら,くろに鶴が下りて来てよ,矢を負うて苦しんどったけに抜いてやったことがあるわ。」[9] 雪女の物語では,やがて嫁に来ることになる異類の女が男を助ける。小泉八雲の「雪女」で,吹雪の夜に茂作(もさく)老人を殺した雪女は,茂作と一緒にいた巳之吉(みのきち)の命を,若くてかわいいから,といって助ける(殺さない)。[10]
 科学特捜隊のハヤタ隊員が操縦する航空機と衝突して,墜落炎上させてしまったウルトラマンは,「申し訳ないことをした,ハヤタ隊員。そのかわり,私の命を君にあげよう。」[11] と言ってハヤタを救う。

[2] 来訪

 前項〈援助〉で出会った異類が人間の姿になってやって来る。異類婚姻譚では若い女性の姿になって男の家を訪れる。ウルトラマンはハヤタ隊員と同化して,他の隊員たちの前に現れる。

[3] 共棲

 異類は正体を隠したまま人間と一緒に暮らす。『ウルトラマン』の物語は主として科学特捜隊の隊員たちの行動を追うことによって展開する。ウルトラマンはハヤタ隊員として,他の隊員たちと行動をともにする。しかも,科学特捜隊の隊員たちは基地の中に住みこみで働いている。[12] 従って隊員の一人と同化しているウルトラマンは,「鶴女房」の鶴と同様,人間と一緒に暮らしていることになる。嫁になるかハヤタ隊員になるかは恣意的な問題である。『ウルトラマン』以後,数多く制作された変身ヒーローの登場するTV番組の主人公は,いずれもウルトラマンに倣って正体を秘密にしているが,その起源は「鶴女房」にあったのである。

[4] 労働

 異類は時々元の姿に戻って働く。その仕事は異類の本来の姿に付随する特殊能力を利用した,命懸けの危険な仕事であることが多い。鶴は夫のために機を織り,ウルトラマンは人間のために怪獣と闘う。「鶴女房」と同じ異類婚姻の物語に属する「雪女」には,この「機能」が欠けている。小泉八雲によれば,お雪(雪女)は巳之吉の嫁として暮している間,元の姿に戻ることも,特殊な能力を発揮することもない。

[5] 破局

 異類が人間との共棲を続けることが出来なくなるような事態が発生する。異類婚姻譚の場合,異類の嫁が設定した禁止事項を人間の夫が破ることによって,嫁の正体が露見してしまう。『ウルトラマン』の最終回でウルトラマンは宇宙恐竜ゼットンとの闘いに敗れ,地球上で活動を続けることが不可能になる。[13]

[6] 別離

 異類が去って行く。ウルトラマンは故郷M78星雲からの使者ゾフィ[14] とともに帰って行く。

 『ウルトラマン』に登場した初代ウルトラマンは,ハヤタ隊員と同化していたことを他の隊員たちに明かさないまま帰って行ってしまった。(ただし登場人物の一人,イデ隊員だけは気付きかけていたようである。[15]) しかし,円谷プロダクションによる「ウルトラ・シリーズ」の次の作品である『ウルトラセブン』[16]〈破局〉 に正体の露見を伴うため,異類婚姻譚との類似性がより強く感じられる。モロボシ・ダン(ウルトラセブン)は地球人がクール星人の襲撃に難儀している時に現れ,地球防衛軍に協力してこれを退治する(〈援助〉[17])。そしてウルトラ警備隊に入隊して[18]〈来訪〉),以後ほかの隊員たちと行動をともにし(〈共棲〉),多数の侵略者たちと戦う(〈労働〉)。そして最終回,モロボシ・ダンは地球人ではないことを隠すため,瀕死の重病でありながら医者の診察を避けて逃げ回っている。しかし怪獣パンドンとの最後の闘い(〈破局〉)にむかう前に,追って来たアンヌ隊員に正体を打明け,そして故郷へと帰って行く(〈別離〉)。[19] これは木下順二の「夕鶴」で,最後の機織りの材料として自分の羽毛の大部分を使ってしまった鶴が,「あとはようよう飛べるだけ」[20] と言って飛んで行ってしまったのと全く同様である。


3.旅の途中であること

 次に,怪獣を退治して人々を救う英雄たちの多くが,よその土地からやって来た者である,ということに注目してみたい。しかも,怪獣退治をする者の多くが「旅の途中」である。
 高天
(たかま)の原を逐われて出雲へやって来た須佐之男命(すさのをのみこと)は鳥髪(とりかみ)という所に降(くだ)り,八俣大蛇(やまたのをろち)を退治したあと,「宮(みや)造作(つく)るべき地(ところ)を出雲[の]国に求(ま)ぎたまひ」[21] て,櫛名田比賣(くしなだひめ)を連れて須賀(すが)という所へ行く。メドゥーサを殺して故郷へ帰る旅の途中のペルセウスは,「海の怪獣」の現れるエチオピアを偶々通りかかる。そして怪獣を倒して王女アンドロメダーを救い,妻にしたアンドロメダーを連れて旅を続ける。[22]
 ロラン・バルトは「天使との格闘」[23] の中で,旧約聖書のヤコブと神とのヤボクの渡しでの格闘の挿話[24] にプロップの『昔話の形態学』の「機能」を適用して,「プロップの図式と『創世記』の物語との驚くべき対応」[25] を示した。そして,このときヤコブは故郷へ帰る旅の途中であった。
 プロップによる魔法昔話の「機能」も,「闘い」の前後に場所の移動(旅)を伴う。すなわち,「出立」(「主人公が家を後にする」[26])と「二つの国の間の空間移動」(「主人公は,探し求める対象のある場所へ,連れて行かれる・送り届けられる・案内される」[27])の後に,「闘い」と「勝利」があり,そして「帰還」(「主人公が帰路につく」[28])と続く。敵との闘いは旅の途中の出来事である。
 『帰ってきたウルトラマン』[29] 以後の作品に登場するウルトラ戦士たちは,はじめから地球を目的地としてやって来たらしいが,初代ウルトラマンは「遠い宇宙からベムラーを宇宙の墓場に運ぶ途中,ベムラーに逃げ出されて,それを追って地球に来た。」[30] つまり彼は旅の途中であった。ウルトラセブンは「宇宙軌道図の作成委員……で,恒点観測の任務を帯びて太陽系に来ていた」[31]。地球人の姿ではじめてドラマに登場したウルトラセブンはウルトラ警備隊の専用車ポインターを止め,運転していたフルハシ隊員に「こらっ,どいたどいた。ヒッチハイクの相手をしているひまなんかないんだ。はやくどかんかこいつ」[32] と怒鳴られる。寝袋状の荷物を担いだヒッチハイカー風の装いは,彼が旅の途中であることを示すものである。異類婚姻譚の嫁たちが男の家に立寄るのが旅の途中であることが多いのも偶然ではあるまい。
 ジャック・シェーファーの小説,『シェーン』[33] の主人公は流れ者である。この物語にも「鶴女房」や『ウルトラマン』と同一の構造を読取ることができる。『ウルトラマン』と異類婚姻譚とに共通するものとして挙げた六つの「機能」はすべて『シェーン』にもあてはめることができるのである。
 馬に乗って旅をしていたシェーンは,水を貰うために開拓農民スターレットの家に立寄り,食事を振舞われ,その夜一晩泊めてもらう。翌日,彼はスターレットの土地にある大きな木の切株を掘返す仕事を始める(〈援助〉)。[34] これがきっかけとなって,彼はスターレットの家で働くことになる(〈来訪〉)。[35] 異類婚姻譚の嫁たちもウルトラマンも,舞台となる場所の住人たちとは別の世界からやって来た者たちであった。『シェーン』の舞台は「谷」,つまり周囲を山に囲まれ,ほかの町からは切り離された土地である。小説の中には登場人物たちが遠くの山々を見るところがしばしば描かれているが,その山の向うは別の世界なのである。そして,山を越えてやって来たシェーンは一種の異類なのである。最後にスターレットの息子ボブ(映画では Joey という名前になっている)に言い残す言葉の中には,彼がほかの人々とは違う者であることが示されている。

人間は別のものにはなれない。型を破ろうとしても無駄なんだ。俺は破ろうとしてみたができなかった。[36]

 シェーンはスターレットに雇われて開拓農民として働き,その土地の人々に一時的に同化する(〈共棲〉)。宇宙人が地球人のからだを借りて科学特捜隊の隊員になるのも,ガンファイターが拳銃を仕舞い込み,作業着を着て開拓農民になるのも,「機能」としては同じ変身である。シェーンが変えたのは服装だけではない。初めてシェーンを見た時のボブの印象は,次の如くである。

なぜかは解らなかったけれども,暖かい日差しの中だというのに急に寒けを感じたのだった。[37]

 これはこの男の正体に由来するものである。しかし,彼はこれを隠す。シェーンが来た翌々日の朝,ボブはシェーンについて次のように考える。

僕たちの土地へ馬でやって来たときに僕が最初に見た,暗く孤独な様子の厳しさと冷たさを持った男と,彼が同じ人でありうるなんて考えられなかった。[38]

 シェーンは,スターレットと対立する牧場主フレッチャー(映画ではRyker)の手下たちと殴り合いをする(〈労働〉)。[39] この時彼は開拓農民からガンファイターに戻るのである。最後に殺し屋ウィルソンとフレッチャーを殺すときも同様である。しかも変身もする。次の一段落は,最後の決闘に出かける途中のシェーンの様子である。

謎めかすような薄明の中で巨人のように見える彼は,背が高く恐ろしかった。あの最初の日に僕が見た,暗く,恐ろしくて近寄り難い男だった。自身に備わる断固とした天性の孤立,という絶対の孤独の中,誰も知らない過去から,たった独りで道を切開いて来た見知らぬ男だった。[40]

シェーンの前歴は最後まで明らかにはされないが,最後にウィルソンとフレッチャーを殺すことによって人々の前に正体(「殺すもの」であること)をあらわした彼は(〈破局〉),ウルトラセブンや「夕鶴」の鶴のように,去って行く(〈別離〉


4.欠如とその補填

 「鶴女房」の鶴は嫁になり,ウルトラマンはハヤタ隊員になる。ともに人間の姿をとって〈来訪〉するが,この両者の変身にはある決定的な違いがある。それは,鶴はただ姿を変えただけだが,ウルトラマンが地球上での仮の姿としたハヤタ隊員は,本来はウルトラマンとは別の人間としてすでに存在していた,ということである。この両者の変身を,物語の構造の中の同一の構成要素としてもよいであろうか。以下にこの問題について考察してみたい。
 ドラマをドラマティックにするのは何らかの異常な出来事や異常な状況である。ホームドラマにおける「異常」は,家族の構成員に生じた欠員であることが多い。もちろん欠けている要素は人間とは限らない。お金が無い,家が無い,仕事が無い,などという場合もありうる。欠如のゆえにドラマになるのである。生じた欠如もドラマであるが,その欠如が補填される過程もドラマとなる。かくして「欠如とその補填」は多くの物語のモチーフとなっている。[41]
 探偵小説では,盗難事件や殺人事件が発生する。盗難事件の場合は紛失した物という欠如が生じる。殺人事件の場合は殺された人が欠如となるが,それよりも殺された人がいるのに殺した人がいない(判らない),ということの方が物語の構成の上では大きな欠如である。つまり犯人が欠如である。探偵とは犯人や紛失物などを発見して,欠如を補填する役回りの者である。
 「欠如とその補填」型の物語においては,主人公とは,欠如を補填する者のことである。主人公による欠如の補填の仕方には二通りの方法がある。第一は探偵小説における探偵のように,欠如しているものを探し出す,もしくは枯木に花を咲かせる「花咲爺」のように,欠如しているものを造り出すことによって欠如を補填する場合。第二の方法は,自らが欠如の補填となる,という場合である。マクベスは先王を殺害して作り出した欠如を,自分が王位につくことによって補填した。「最後の事件」[42] で自らが欠如となったシャーロック・ホームズは,三年後に「空き家の冒険」[43] で再登場して、その欠如を自ら補填する。
 悲劇の主人公は最後に死んで自分が欠如となり,補填されないまま物語が終る。欠如が補填されないまま終る物語が悲劇であり,欠如が補填されて終るのが喜劇である。喜劇が結婚によって終ることが多いのは欠如であった嫁(または婿)の地位が補填される,ということである。
 ある社会の者が別のある社会に入り込むとき,入り込む方の社会にその者たちを受入れるための「枠組」が必要である。物語の中でも,他の世界の者が人間の社会に入り込むために,このような「枠組」を必要とする。藤子・F・不二雄の漫画,『ドラえもん』に登場するドラえもんがネコ型ロボットであるのは,ペットの地位を枠組として利用して人間の家庭に入るための仕掛けであろう(ドラえもんが居住している野比
(のび)家にはほかにペットがいない)。
 他の世界の者たちは人間社会に於いて生じた「欠如」を,自分がこの世界に入り込むための枠組として利用する。異類婚姻譚の女主人公となる動物たちは嫁になる。主人公の男が独身であったため,欠如の状態にあった嫁の座を,枠組として利用したのである。子供のいない老夫婦の家に来る者は子供や孫になる。(「桃太郎」など。坪田譲治の「ツルの恩がえし」[44]  の鶴は老夫婦の家にやって来て,嫁ではなく娘になる。)ウルトラマンは,ハヤタ隊員が事故死したことによって科学特捜隊に生じた欠員(欠如)を,人間社会に入りこむための枠組として利用したのである。このように考えれば,鶴が嫁になるのもウルトラマンがハヤタ隊員になるのも,物語の中で同一の構成要素として機能している,と考えてよいことになる。
 シェーンがスターレットに雇われたのも欠如を補填するためであった。次の引用はスターレットがシェーンに自分のところで働くようにと依頼するときの言葉の一節である。

この農場はまだ,やがて持ちたいと思っているものほどは大きくない。それでも一人では手に負えないほど仕事があるんだ。前に使っていた若いのは町でフレッチャーの手下二人にからまれて,出て行ってしまった。[45]

 以上に見た通り,『ウルトラマン』も『シェーン』も,「鶴女房」と同一の物語である。もちろん,『シェーン』の作者や『ウルトラマン』の制作に携った人々が,意図的に異類婚姻譚を素材としたとは考えられない。これらの物語の構造の一致は,世界の民間説話などにしばしば見られる筋書きの類似と同様に,物語の祖型とも言うべきものの発露と考えるべきである。現代の物語もそれらが作られるに際しては,神話や昔話などの口承文芸から受継がれて来た,物語の祖型の支配を受けているのである。



[1] 「糠福米福」型。柳田国男,『日本の昔話』(1983年,新潮文庫)にはこの型の昔話として「米嚢粟嚢(こめぶくろあわぶくろ)」が収録されている。日本の昔話に関する用語は柳田國男監修,民俗學研究所編,『民俗學辭典』(1951年,東京堂)を参照した。

[2] 1966〜67年放映。円谷プロダクション作品の放映日は,酒井征勇編,『ウルトラマン特撮研究』(1992年,勁文社)所収の「フィルモグラフィー」を参照。『ウルトラマン』,『ウルトラセブン』に関するその他のデータは円谷プロダクション監修,『CD-ROM版 ウルトラマン図鑑』Windows版(1995年,講談社)を参照した。

[3] ウラジーミル・プロップ著,北岡誠司・福田美智代訳,『昔話の形態学』(1983年,白馬書房)。本論ではこの訳書を参照した。原書は1928年初版。

[4] 『昔話の形態学』,pp. 34-35。

[5] 『昔話の形態学』,p. 35。

[6] 柳田「米嚢粟嚢」では姉の名が米嚢,妹の名が粟嚢。『民俗學辭典』の「繼子話」の項に挙げられた「糠福米福」型継子話の例では姉が糠ぶき,妹が米ぶき。「米」が姉であったり妹であったりする。登場人物の名前などの属性が恣意的なものであることの好例である。

[7] 31の「機能」の名称を以下に挙げる。「留守」,「禁止」,「違反」,「探り出し」,「情報漏洩」,「謀略」,「幇助」,「加害」(または「欠如」),「仲介」,「対抗開始」,「出立」,「贈与者の第一機能」,「主人公の反応」,「呪具の贈与・獲得」,「二つの国の間の空間移動」,「闘い」,「標づけ」,「勝利」,「不幸・欠如の解消」,「帰還」,「追跡」,「救助」,「気付かれざる到着」,「不当な要求」,「難題」,「解決」,「発見・認知」,「正体露見」,「変身」,「処罰」,「結婚」(『昔話の形態学』,pp. 42-98,351-356)。

[8] 『昔話の形態学』,pp. 36-37。

[9] 木下順二,『夕鶴・彦一ばなし』1966年改版,新潮文庫),p. 115。

[10] “I intended to treat you like the other man. But I cannot help feeling some pity for you--because you are so young. ... You are a pretty boy, Minokichi; and I will not hurt you now.” (‘Yuki-Onna’). 引用は Lafcadio Hearn; Francis King ed., Writings from Japan: An Anthology (1984, Penguin Books), p. 332 による。原書 Kwaidan は1904年初版。登場人物名の漢字表記は平川祐弘編,『怪談・奇談』(1990年,講談社学術文庫)に倣った。

[11] 『ウルトラマン』,第1話「ウルトラ作戦第一号」。引用文はTVドラマを再編集した劇場用映画,『長篇怪獣映画 ウルトラマン』1967年公開)のレーザー・ディスク(発売年記載なし)より筆写したもの。

[12] 『ウルトラマン』,第2話「侵略者を撃て」などを参照。

[13] 『ウルトラマン』,第39話「さらばウルトラマン」。

[14] 最近の文献の多くは「ゾフィー」と表記しているが,「当初の表記は『ゾフィ』」であった(『CD-ROM版 ウルトラマン図鑑』)。

[15] 『ウルトラマン』,第14話「真珠貝防衛指令」のために,ウルトラマンと汐吹き怪獣ガマクジラとの格闘場面が撮影されていたが,完成作品には使用されなかった。「ガマクジラにウルトラマンが腕を咬まれて流血,一時敗れるものだった。この伏線で,ムラマツ隊長が腕の傷ついたハヤタ隊員とウルトラマンの怪我の一致を不審がるシークエンスがあったが,TV局の方針で削除された。」(円谷プロダクション監修,イオン編,『ウルトラマン ベストブック』[1993年,竹書房],p. 94)。ウルトラマンが最後まで正体を明かさなかったのはTV局(TBS)の方針であったのかもしれない。

[16] 1967〜68年放映。

[17] 実はこれより以前,山岳事故で谷底へ転落した薩摩次郎という青年を救助(〈援助〉)していたことが後に語られる。これが地球人との最初の出会いであった(『ウルトラセブン』,第17話「地底GO!GO!GO!」)。

[18] 『ウルトラセブン』,第1話「姿なき挑戦者」。『ウルトラマン』の科学特捜隊は日本支部の隊員が五名であった。TVの画面に納めるためには適当な人数であるが,地球を防衛するための組織としては人数が足りないであろう。(『長篇怪獣映画 ウルトラマン』の冒頭のナレーションによれば,「パリに本部を置く国際科学警察機構の日本(にっぽん)支部に,科学特捜隊と呼ばれる五人の隊員たちがあった。彼らは怪事件や異変を専門に捜査し,地球を防衛する重大な任務を持っていた。」)『ウルトラセブン』のウルトラ警備隊は,さらに大きな組織である地球防衛軍の一部門という設定になっている。

[19] 『ウルトラセブン』,第49話「史上最大の侵略 後編」。

[20] 『夕鶴・彦一ばなし』(前掲),p. 135。

[21] 倉野憲司校注,『古事記』(1963年,岩波文庫),p. 41。

[22] 呉茂一,『ギリシア神話 下巻』(1979年,新潮文庫),pp. 104-105。この物語はスサノオノミコトのヤマタノオロチ退治の物語と同一の構造を持っている。

[23] ロラン・バルト著,花輪光訳,『物語の構造分析』(1979年,みすず書房)所収,「天使との格闘――『創世記』三二章二三―三三節のテクスト分析」。

[24] 「その夜,ヤコブは起きて,二人の妻と二人の側女,それに十一人の子供を連れてヤボクの渡しを渡った。皆を導いて川を渡らせ,持ち物も渡してしまうと,ヤコブは独り後に残った。そのとき,何者かが夜明けまでヤコブと格闘した。ところが,その人はヤコブに勝てないとみて,ヤコブの腿の関節を打ったので,格闘をしているうちに腿の関節がはずれた。『もう去らせてくれ。夜が明けてしまうから』とその人は言ったが,ヤコブは答えた。『いいえ,祝福してくださるまでは離しません。』『お前の名は何というのか』とその人が尋ね,『ヤコブです』と答えると,その人は言った。『お前の名はもうヤコブではなく,これからはイスラエルと呼ばれる。お前は神と人と闘って勝ったからだ。』『どうか,あなたのお名前を教えてください』とヤコブが尋ねると,『どうして,わたしの名を尋ねるのか』と言って,ヤコブをその場で祝福した。ヤコブは,『わたしは顔と顔とを合わせて神を見たのに,なお生きている』と言って,その場所をペヌエル(神の顔)と名付けた。」創世記 32:23-31(新共同訳)。

[25] 『物語の構造分析』,p. 74。

[26] 『昔話の形態学』,p. 60。

[27] 『昔話の形態学』,p. 78。

[28] 『昔話の形態学』,p. 86。31の「機能」は註[7]に記した。

[29] 1971〜72年放映。

[30] 『ウルトラマン』,第1話のウルトラマンのことば。『長篇怪獣映画 ウルトラマン』より筆写。

[31] 円谷プロダクション監修,イオン編,『ウルトラセブン ベストブック』(1993年,竹書房),p. 24。

[32] 『ウルトラセブン』,第1話。『CD-ROM版 ウルトラマン図鑑』に収録されたヴィデオの音声を筆写。

[33] 初版は1949年。本稿では Jack Schaefer, Shane and other stories (1988, Penguin Books) を参照した(以下 Shane と略記)。ジョージ・スティーヴンズ監督による同名の映画(1953年)の原作であるが,以下の考察は小説による。映画 Shane に関するデータはCD-ROM, Microsoft Cinemania ’95 を参照した。

[34] Shane, chs. 1-3.

[35] Shane, ch. 4.

[36] “A man is what he is, Bob, and there's no breaking the mould. I tried that and I've lost.” Shane, p. 109; ch. 14.

[37] “... a sudden chill, I could not have told why, struck through me in the warm and open sun.” Shane, p. 8; ch. 1.

[38] “It scarce seemed possible that he was the same man I had first seen, stern and chilling in his dark solitude, riding up our road.” Shane, p. 33; ch. 4.

[39] Shane, chs. 7, 10.

[40] “He was tall and terrible there in the road, looming up gigantic in the mystic half-light. He was the man I saw that first day, a stranger, dark and forbidding, forging his lone way out of an unknown past in the utter loneliness of his own immovable and instinctive defiance.” Shane, p. 102; ch. 14.

[41] 新約聖書の「放蕩息子」のたとえ(ルカ 15:11-32)や菊池寛の「父帰る」などが典型的な例である。

[42] Sir Arthur Conan Doyle, ‘The Adventure of the Final Problem’ (1893).

[43] Sir Arthur Conan Doyle, ‘The Adventure of the Empty House’ (1893).

[44] 坪田譲治,『日本むかしばなし集(一)』(1975年,新潮文庫)所収。

[45] “This outfit isn't as big as I hope to have it some day. But there's more work here already than one man can handle if it's to be done right. The young fellow I had ran out on me after he tangled with a couple of Fletcher's boys in town one day.” Shane, p. 35; ch. 4.



この文章について

 本稿は「ウルトラマンの構造分析――プロップの手法の応用による異類婚姻型昔話との比較」と題して『工学院大学共通課程研究論叢』第36-1号(1998年10月,工学院大学発行,非売品)に掲載されたものです。
 この文章の著作権は筆者 Gegebo(杉村げげぼ)が保有しています。このファイルは自由に配布してもかまいません。ただし、雑誌など印刷物への全文掲載は固くお断わりいたします。

杉村げげぼ


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