一年以上も眠っていると、さすがに身体のあちこちの昨日が低下してしまっていた。

    まず思い知ったのは足だ。

    いつも通りに、普段通りにベッドから足を下ろして立とうとしても体重を支えきれずに

    転倒してしまう。


    ・・・これは予想以上だ。


    バランスを崩すたびに近くにいるエミリオに抱きとめられる。

    少し見ない間に彼は背も伸びて声も低くなって、少年から青年へと成長し始めている。

    そんな彼に密着するのは何となく気恥ずかしいので

    はそれからリハビリに専念するようになった。








    一通りの説明を受けてから、10日程経つ。








    「ほら、ゆっくりでいい。」

    「ぐぅ・・・。」


    何なんですかこの状況は。

    人は羞恥で死ねるかもしれない、というぐらいの顔が真っ赤に染まっていた。

    彼女はただいま歩行訓練中である。

    だいぶ動けるようにはなったものの、以前通りに歩くにはまだまだリハビリが必要だ。

    放っておくと一人で歩いては転倒しているため、時間のあるときにはエミリオが付きっきりで

    面倒を見ていた。


    「うう・・・情けなくてしょーがない・・・。」


    幼子でもあるまいし、どうして今更歩行訓練なんぞしなければならないのか。

    はっきり言って逃げ出したい。

    しかし肝心の足はふるふると震えてまともに動かないため、それも叶わない。

    それにの両手はしっかりエミリオと繋がれているので、元より逃げ出しようもないけれど。


    「無駄口をたたくな。こけても支えてやらんぞ。」

    「いいですそれでいいです!」


    というか抱きとめられるぐらいなら寧ろこけてしまった方がいくらかマシだ、と

    心の中で付け加える。


    「・・・立つのに何分もかかるくせに無茶を言うな。」

    「ううぅ・・・。」


    こうして話している間にも、エミリオは手を引く力を緩めようとはしない。

    要するにスパルタなのだ、彼は。


    けれど自分を見下ろす優しい眼差しがどうにも気恥かしくてたまらなかった。


    (一年・・・。)


    どうして一年以上も眠ったままだったのだろう。

    自分が眠ることで何の意味があったのだろうか。

    仲間たちはこの一年をどう過ごし、そしてどう成長したのだろうか。


    自分一人、置いていかれたような気になってしまうのは考えすぎなのだろうか。


    「、集中しろ。」

    「・・・え。」


    意識が飛んでいた。

    は少し慌てた様子で足を動かすのだが、焦ったことがいけなかったらしい。

    自分の足が引っ掛かりバランスを崩してエミリオの方へ倒れこんでしまう。


    「だから言ったんだ。」


    上から呆れたような彼の声が降ってきて、彼女は何だかとても情けない気持ちになって

    泣きたくなった。

    誰かに支えてもらわなければ満足に立つことも歩くこともままならない。


    「・・・。」

    「あ、ああ・・・ごめん、何でもない。」


    あまり考え込んでしまうと、すぐに気付かれてしまう。

    はリハビリを再開しようとエミリオから離れようとするが、何故か彼は

    方に置いた手をどけてくれない。


    「ええエミリオ・・・?」

    「どうせ余計な事を考えていたんだろうが・・・。」

    「な、何でもない何でもない。」


    ぶんぶんと頭を横に振っても無駄だった。


    「例えば、・・・そうだな。歩けないことが情けない。」

    「う・・・。」

    「周りに迷惑をかけている事が後ろめたい。」

    「ぐぅ・・・。」

    「その顔を見ると、どうやら当たっているらしいな。」

    「・・・・・・。」


    ドンピシャと当たっているので、何も言い返せない。

    しゅんとして俯いてしまったを見て、エミリオはまた呆れたように溜息をついた。

    肩に置いていた手を、そっと彼女の背に回して引き寄せる。


    「お前は本当に・・・バカだな。」


    言葉とは裏腹に、その声はとても優しい。


    「ちょ、ちょっ・・・、な、リオ、・・・じゃなかった!え、ええミリお!?」


    以前、海で抱きかかえられた時とは全く違う抱擁は、を混乱させるには十分だった。

    背丈も違う、身体つきも違う、声も、香りも全てが"少年"のものではない。


    「余計な心配はしなくてもいい。僕が・・・その。」

    「・・・な、なに・・・?」


    言いにくいのか、いつもの彼らしくもなく口篭っている。


    「・・・。・・・、手足に、なってやる。目が見えなくなったらお前の眼になってやるし

     歩けないのなら手足にでもなってやるから。」

    「・・・・・・。」


    何だろう、何故だかわからないが既視感を覚えた。

    同じことを前にも言われたような、何故かどんな気がする。

    一体誰に言われたのだったか―――・・・。


    「どんな事があっても、僕は・・・。」









    「よぅバカ弟子ー、やっと目ぇ覚め・・・た・・・。・・・・・・・・・・・・。」









    一瞬、時が止まった。



    ノックもなしに部屋の扉を開けたのは、の師であるベルだった。

    ただいま彼女は扉を開けたままの状態で硬直している。

    双方動くことなく、そのままたっぷり15秒。


    「魚がたくさん獲れたんでお裾分けしに来たんだけどねー・・・いっやー悪い悪い。

     邪魔しちゃってごめんなさいねぇ。」


    一番最初に我に返ったのはベルだった。


    「どっ、どどどうしてベル先生がここに!」


    はハッと自分が今どういう状況なのかを思い出して、慌てて身体を離そうとするが

    まだまともに足が動かない彼女には当然無理だ。


    「師としてこれほど喜ばしいことはないね!今までまともな恋もしてこなかった

     アンタがねぇ・・・良かった良かった。」

    「んな何言ってんですか!ていうか独身を貫く先生に恋愛がどうだの言われたくありませんよ!」

    「なぁに、自分は嫁の貰い手があるからってえらそーに!」

    「そんなものありませんっ!」


    「・・・とりあえず落ち着け。ベルも病人相手に挑発しないでくれ。」


    このまま放っておくと収拾がつかなくなりそうなので、エミリオは二人を諌める。


    「ごめんごめん、からかいがいがあるからさぁ、つい。」


    言葉では謝っているが、その表情はまだからかい足りないといったような色だ。

    ベルは含み笑いをしながら、部屋を出て階段を下りていった。

    はあ、とどちらともなくため息が漏れる。


    「・・・昔を知っている人相手だとどうも調子が狂う・・・。」

    「誰だってそういうものだろう。・・・ほら、行くぞ。」

    「え?」


    ついと出された手をは不思議そうに見やる。



    「気分転換だ。」






    エミリオに手を引かれ、着いたのはとても広々とした物干し台だった。

    ルーティが干した洗濯物を注意して避けながら、ゆっくりと手すりのあるところまで

    誘導される。


    「うわ・・・何だかすごく久し振りに外に出たような気がする・・・。」

    「落ちるなよ。」


    眩しい陽の光、爽やかな風、木と水の香り、しばらく外に出ていないと

    余計に懐かしく感じてしまう。


    最後に太陽を見たのはいつだったか、と記憶の糸を辿ってみると思ったよりも日が経過していた。

    の記憶にあるのは、スタンやルーティとダリルシェイドで別れた後ぐらいまでだ。

    それからは気絶している間に海底洞窟へと連れて行かれてしまったので、太陽を見たのは

    それが最後だった。


    「いっやー、まさかベル先生のところに辿り着いたなんて・・・。」

    「・・・・・・。」


    話を進めていて気付いたのだが、彼女の記憶は脱出艇に乗ったあたりで途切れていた。

    ベルの島に流れ着いたこともエミリオの背を押したことも覚えていない。

    彼は内心、少しだけがっかりしていた。


    「寝ている間に・・・色々あったんだね・・・。」

    「・・・ああ。」


    その声がとても寂しそうに聞こえたのは、気のせいだろうか。


    まずが驚いたことは、ヒューゴの精神が既にミクトランという過去の独裁者に

    乗っ取られていたということだ。

    けれどそれを聞いた時、彼女の中で合点がいった。

    調べによればヒューゴという人物は本来、温厚で穏やかな人間だと聞いていたから。

    彼が豹変したのはベルセリオスの中に潜んでいたミクトランが原因だったのだ。

    ルーティを捨てたのも、妻のクリスやエミリオに冷たく当たっていたのも

    全てミクトランだったのだ。


    ルーティもエミリオもちゃんと愛されているのだ、と分かると何だか自分のことのように

    ホッとして、そして嬉しく思った。


    「?」

    「あ、いや、何でもない。それから・・・?」

    「・・・・・・。」


    話の先を促すと、ふと彼の表情が曇る。


    ソーディアンが、失われたんだ。


    小さくか細い声で、エミリオは言い難そうにそう告げた。

    ソーディアンが失われた。


    「暴走した神の眼を制御下に置くにはそれしか方法がなかったんだ。」


    そして彼らは言った、我らは永く生き過ぎた、と。

    神の眼やソーディアンのような強大な力を持った兵器がある限り、また新たな騒乱が

    起きてしまうだろうとも。

    彼らはそれ以上言葉を交わすこともなく、最期の時を迎えたのだった。


    「・・・・・・。」

    「シャルは・・・最期に笑ってこう言った。」


    "そういう運命だったんですよ"


    神の眼と共に眠ることも、マスターとの別れも全て。

    シャルティエだけでなくディムロスもアトワイトも、イクティノス、クレメンテも皆同様に

    静かに自分自身の運命を受け入れたのだった。


    運命。


    「・・・あ。」


    その言葉では小さく声を上げる。


    「どうした?」

    「夢をね、・・・思い出したんだ。いろんな人に早く起きろって言われて・・・。

     最後にシャルティエが同じような事言ってた。」

    「・・・・・・。」


    エミリオの中で何かが引っ掛かった。

    眩しそうに遠くを眺めていたが突然静かになった後ろを振り返ると

    彼は考え込むように目を伏せている。

    邪魔をしないようにと、は再び景色を眺めようと顔を前に戻した。


    今日は天気も良いし、とにかく外に出られたことが嬉しい。

    自由に動けるようになったら、何をしようか。

    いや、まずスタンやルーティ、エミリオに恩を返すことが最初だ。

    彼らには世話になりっぱなしなのだから。

    落ち着いたら帰る、というジョニーとの約束もあるし、墓参りにも行きたい。


    それから、―――・・・。



    「・・・そうか・・・簡単なことだ。何故今まで気づかなかったんだろう。」



    ボソリと何かを呟く声が聞こえて、が再度振り返るとエミリオはすっと

    彼女の手を取った。


    「お前は意味もなく一年以上も眠っていたわけじゃない。」

    「え・・・?」


    話の筋が見えず困惑する彼女を引っ張り、木の台に座らせてエミリオも隣に座る。


    「イクティノスを覚えているか?」

    「えぇと・・・ウッドロウの?」

    「グレバムに奪われたイクティノスは強引に使用されたためダメージを受けて眠っていたんだ。」


    マスターでもない人間が強引に使用するとソーディアンはダメージを受けて意識が沈んでしまう。

    それはどのソーディアンにも起こることだ。

    だがシャルティエの場合は、ソーディアンではなく使用した人間にダメージが吸収されてしまった。


    「・・・これがどういう意味か、わかるか?」

    「いやそれが・・・サッパリ・・・。」


    困惑したままでは、あまり頭が働かず彼の言いたいことが一割も理解出来ない。

    エミリオは一つ咳ばらいをして、頭の中で要点を整理する。


    「もし従来通りソーディアンがダメージを受けることになっていたら、どうなった?」

    「どうって・・・シャルティエの意識が沈んで・・・?」

    「だとすると?」

    「だから、シャルティエが使えない・・・、・・・。」


    そこまで言われて、ようやくは気が付いた。

    はっとして顔を上げると、エミリオはゆっくりと首を縦に振る。


    「僕は戦えもしないどころか、神の眼の暴走も止められなかったかもしれないんだ。」


    ソーディアンも持たない彼が戦いに参加したところで、一体何の役に立てただろうか。

    モンスターの相手ならマンとか戦えたのかもしれないが、ベルセリオスをもったミクトランには

    敵わないどことか足手まといになっていただろう。

    万が一ミクトランを倒せたとしても、眠ったシャルティエのままで神の眼の暴走は

    おそらく止められなかった。

    もしかすると、どうにか制御下に置けたのかもしれないが、それは今どういう言っても仕方のない事だ。


    ソーディアンが5本あったからこそ、神の眼の暴走を制御し、スタン達が脱出する時間も

    稼ぐことが出来た。


    「お前が・・・シャルの代わりになってくれたからこそ、スタンもルーティも

     ・・・僕もここにいるんだ。」

    「・・・・・・。」


    思いもよらない言葉にはいまだに事を把握出来ていないのか、どこか呆然としている。

    エミリオはそんな彼女の頭をそっと自分の肩に押しつけた。





    「お前のおかげだ。・・・ありがとう。」





    その言葉はゆっくり、そして陽の光のように暖かく全身に浸透していく。


    一年以上も無駄に過ごしてしまったのだとずっと思っていた。

    けれどそれは違った、自分は仲間たちの役に立てたのだ。


    はエミリオの肩に顔を埋めながら安心したように息を吐いた。

    安心すると全体の力が緩んだらしく、ぼろぼろと涙が出始めてつい近くにある彼の

    服をぎゅっと握りしめてしまう。


    「・・・、・・・少しだけで、良いから・・・。」


    まるで懇願するかのように弱々しい声で言われては、エミリオは何も言えなかった。

    彼は仕方なくおずおずと彼女の肩に手を乗せる。

    微かに震えるその肩は、あの海の時よりも小さくなった気がした。

    それは自分が成長したからなのか、それとも。






    それからしばらくして、は服の袖で涙を拭いてゆっくりとエミリオから離れた。


    「はー・・・泣いたら少しすっきりした。」


    濡れた頬が風で冷たい。


    「・・・風が強くなってきたな・・・。そろそろ中に入るぞ。」


    エミリオはすっと立ち上がり、当たり前のようにに手を差し出した。

    そして彼女もまた、自然とその手を取る。


    「何だか不思議だ。」


    まだ覚束ない足元に気をつけて歩きながら、彼女がぽつりと呟く。


    「何故だかは分からないけど・・・何だかすごく話がしたいな。・・・エミリオと。

     私が話せる事なんてそれほど多くはないのに。」


    うーん、と首を傾げる。

    自分はずっと眠っていたのだ、その幅はより狭くなる。

    悩んでいるの様子に、エミリオも不思議そうな表情で。


    「不思議だな、僕もそう思ったところだ。」

    「え、・・・そうなの?」


    二人して鳩が豆鉄砲を食らったようにキョトンとしている。

    それからどちらからともなく笑い出した。

    以前の彼らには信じられないぐらいに柔らかい空気だった。


    「何を話そうか。」

    「・・・そうだな、・・・シャルの話を、しよう。」

    「シャルティエの・・・?」

    「ああ。きっとそれが・・・あいつの一番喜ぶ事だと思うから。」


    下手に口を噤むよりも、シャルティエを過ごした時の事を楽しく話した方が彼への供養にもなる。

    彼のことはよく分かっている、今までずっと一緒でまるで兄弟のような存在だったのだから。


    「じゃあ・・・私はエレノアの話をしようかな。」

    「ああ。僕も聞きたい。」


    そう言って、また笑いあう。





    もっとたくさん話をしよう。

    知らないことも、知っていることも、楽しかったことも辛かったことも、話してみよう。



    君とならどんなことがあっても、きっとこの先も手を繋いで歩いてゆける。




    "――――――――――"




    「・・・ん?」

    「どうした?」

    「あ・・・いや、何でもない。」


    風の音かな、と言ってはエミリオと一緒に家の中へと入っていった。







    ―――――全部運命だったんだよ―――――







    風に乗って聞こえたその声は、誰かの声に似ているような気がした。










        Fin





    ―――――――――――――――

    →あとがき