【 路 線 図 】

 
京都駅八条口
七 条 堀 川
七条西洞院
烏 丸 七 条
烏 丸 六 条
烏 丸 五 条
烏 丸 松 原
四 条 烏 丸
烏 丸 三 条
烏 丸 御 池
烏 丸 二 条
烏丸丸太町
府 庁 前
堀川丸太町
丸太町智恵光院
智恵光院下立売
上 長 者 町
智恵光院中立売
智恵光院一条
今出川智恵光院
今出川浄福寺
千本今出川
千本上立売
乾 隆 校 前
千本鞍馬口
千本北大路
市電金閣寺
金 閣 寺 前
衣笠惣門町
衣   笠
 
25号系統
(1976年4月現在)
 

25号系統 四条烏丸(1978年)
1978年 四条烏丸
※画質の悪い写真で申し訳ございません

25号系統は14号系統の番号変更というかたちで誕生し、上賀茂御薗橋と立命館神山学校を結んでいましたが、2ヶ月程度で廃止されました。その後、上堀川車庫から西大路三条への出入庫系統として運行されましたが、こちらも2年程度で廃止されました。

25号系統として市民に利用されたのは3代目になってからで、この3代目は廃止されるまで25年間運行されました。

路線図 25号系統(1956年)

新設時は三条京阪と北野神社を智恵光院通経由で結ぶ系統でしたが、当時10号系統と非常に良く似た路線だったので昭和32年5月河原町通経由から市内の中心である烏丸通経由に変更されました。

路線図 25号系統(1957年)

智恵光院通の利用客が多かったのか、終点を北野神社前から寺ノ内智恵光院に変更されました。寺ノ内智恵光院での折り返しは道路幅も狭かったので大変だったと思います。

路線図 25号系統(1957年)

昭和34年9月、起点を三条京阪南口から三哲(京都駅前)に変更し、終点は大徳寺前を経由し金閣寺前まで延長されました。寺ノ内智恵光院からの北伸は寺ノ内智恵光院での折り返しが大変だったからでしょうか?しかし、寺ノ内智恵光院、大宮寺ノ内での右左折は道路幅が狭いのであまり大変さは変わらなかったと思います。

路線図 25号系統(1959年)

昭和36年10月、操車の関係からでしょうか、三哲〜京都駅前間が短縮されました。しかし、起点が京都駅前というのは変更されませんでした。

路線図 25号系統(1961年)

翌月、金閣寺前付近の一方循環を廃止し、起点を金閣寺前に変更、市電金閣寺前を経由し北大路通に、という経路に変更されました。

路線図 25号系統(1961年)

翌年8月、起終点を衣笠グランド前に集約。それに伴い、衣笠グランド前〜金閣寺前間が延長されました。

路線図 25号系統(1962年)

寺ノ内智恵光院の北伸から4年と3ヶ月、市バスの車両が徐々に大型化していく中、寺ノ内智恵光院、大宮寺ノ内での右左折が不可能となってきたことから、今出川智恵光院〜千本北大路間を智恵光院通・旧大宮通経由から千本通経由に変更されました。

路線図 25号系統(1964年)

昭和39年6月、観光客輸送の強化でしょうか、25号系統を御室まで延長した25甲号系統が新設されました。当時の運行本数は多くありませんでした。因みに25甲号系統は、昭和44年10月に廃止されます。

路線図 25号系統(1964年)

昭和39年10月、東海道新幹線の開業に伴い、京都駅前〜京都駅八条口間が延長されました。京都駅八条口からの市バス利便性を考えた延長だと思います。

路線図 25号系統(1964年)

前回の改正からしばらく改正がありませんでしたが、25号系統最後の改正が昭和51年4月に実施されました。変更内容は京都駅八条口〜烏丸七条間の経路変更で、京都駅前経由の廃止でした。烏丸通を南進する市バスは全て京都駅へ行くと利用客に思われていた為、誤乗車が非常に増えた経路変更でした。

路線図 25号系統(1976年)

昭和56年5月、地下鉄烏丸線の開業と同時に25号系統は姿を消しましたが、最後まで面白い経路を運行していたので記憶に残る系統だと思います。

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