【代替バスの新設】
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81号系統は明治28年2月1日に日本で最初に電車の営業が開始された路線(七条停車場〜伏見町油掛通)を走っていた市電9号系統(伏見線:京都駅〜中書島)の代替バスとして新設されました。代替経路は市電専用軌道(棒鼻〜肥後町の一部)を除けば全く同じで、後に横大路車庫前まで延長されますが、現在も殆ど同じ経路を運行しています。81甲号系統は朝夕のラッシュ時のみの運行でした。市電伏見線は軌道が道路の片側に寄っていることから、南北行の自動車が片側にひしめいていて正面衝突の危険性がありました。また、安全地帯も作れず市電が人家の軒すれすれに走っていたため、人家や道路からの飛び出しの危険性があるなど、安全面で問題が多かったことから廃止になりました。 |
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82号系統は昭和31年10月12日の下鴨線(洛北高校前〜河原町今出川)開通時に新設された市電18号系統(四条河原町〜中書島、後に河原町二条まで延長)の代替バスとして新設されました。代替経路は殆ど変わりませんが、伏見沿線地区の住民が便利になるよう、都心部(四条通・烏丸通)へ乗り入れるように一部変更されました。後に81号系統同様横大路車庫前まで延長されますが、それまで起点は四条河原町でした。昭和56年5月29日の地下鉄烏丸線開業に伴う市バス系統再編成時、地下鉄烏丸線との乗り継ぎを考えたときの経路が81号系統と殆ど変わらないことから廃止になりました。市バスの車輌はこの時新型が導入されています(京2
い 900番台の車輌)。 |
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83号系統は明治38年8月4日に開通された市電稲荷線(19号系統)の代替バスとして新設されましたが、勧進橋〜稲荷間は市電専用軌道のため竹田久保町から迂回するかたちで運行されました。新設当時は稲荷で折り返しを行っていましたが、市電専用軌道撤去後は一方循環するようになりました。昭和63年6月11日、南5号系統に系統番号を変更し、姿を消しています。 |
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