Gin Satoh Profile  佐藤ジン「写真のしごと」プロフィール
1948 宮城県仙台市生まれ
10〜20才代、大学や写真専門学校に籍を置くも、うろうろ。沖縄、離島を中心に撮影旅行。
1970年前半 「裸のラリーズ」との出会い、その2,3年後からライブの撮影。
1970年後半 東京、高円寺に住む。ようやくプロ写真家への認識が起こる。
1973 ルーリード「ベルリン」に衝撃を受け、ロックの力を知る。
1978 「フリクション」ファーストライブを目撃。身近な人々の重大さを知る。後に「東京ロッカーズ」と呼ばれる人々の出会いと、撮影が始まり、90年代半ばまで続く。
1979 初めて写真がポルノ雑誌のコラム欄に売れる、一枚3000円と記憶。
ちっぽけな自費出版「イギーポップ」、収支は大赤字。TalkingHeads初来日の撮影依頼有り、感動のライブを目撃。しかしノーギャラ。
1980 舞踏への接近、「大駱駝艦」「北方舞踏派」など、舞踏家の撮影開始。
'80以降 「平凡パンチ」「Focus」「宝島」他音楽雑誌、レコード会社、プロダクションの依頼で仕事を得るようになる。音楽雑誌のギャラは安かった!!!、今でも同じ状況。
1983 渋谷区神宮前に転居
1985 個展「東京ロッカーズ 新宿オリンパスギャラリー
1986 写真集、東京ロッカーズをテーマにしたGIGをエジソンより発刊
1987 ニョーヨークで人の姿を意図的に消した都市風景の撮影を始める。
1989 東恩名裕一氏との合作「Zoning」-New York-阿佐ヶ谷・西瓜糖
1989 個展「Zoning」-Tokyo・NewYork-新宿オリンパスギャラリー
1990 個展「Edge」-NewYork-銀座ギャラリー古川
東恩名裕一氏との合作「Collaboration」銀座電通ADギャラリー
1991 写真集「都市風景」を沖積舎より発刊、しかし印刷失敗作と反省。
1992 個展「Zoning U」-Paris-千葉県市川市ギャラリーグレ、構成失敗、不評。
難病「ALS」患者数人の闘病生活撮影に関わる、ALS協会に参加。
1994 企業誌の企画ページに風景、環境に関わるテーマを提案、撮影が始まる、以後1998年まで年4回のペースで続く。
1997 舞踏写真4人展、エルパーク仙台ホール。中野テルプシコールに関わる舞踏家、舞踏批評家(合田成男、五井輝、大森政秀氏他)を中心に展示。この時期に催された舞踏ウィークと同時開催。
1999 舞踏脈3人展、神保町オリンパスギャラリー。初めてデジタル処理による写真の展示。水彩用紙へのプリントによる効果を求めたもの。
三浦半島、三崎での大規模な現代美術展「半島」に参加
2000 島村美紀さんと二人展「景観の記憶」青山ギャラリーアートスペース
2002 横浜市金沢区に転居
2005 「横浜美術家の集いノーウォー展」に参加、パキスタン、カラチの人々を展示。
現在 1992年以降、ミュージシャン、舞踏、都市風景など撮影は進めていたが、個展などの積極的作品発表を怠けている。乞う、ご期待!


撮影リスト作成中

この夏、約30年に及ぶ撮影履歴を出来るだけ正確にリストアップしてみようとと思い立ちおよそ3分の1が出来、その姿の一端が見えてきた。不完全な日記やコンタクト写真に拠って少しずつ埋められてゆく過去の時間表が、否応無く、都合いい場面をつないだ素敵なイメージを無残に打ち砕き始めている。反省するには遅すぎる。まぁーそれなりに努力している時もあるが、おおかた中途半端が目に付く。ここに写真のもつ偉大な記録性を再認識したわけです。現在に近くなるに連れて、この作業はつらい物になるでしょうね。

トモアレ、数多く撮影してきたバンドの名前、撮影日などは有名無名を問わずリストに載せています。公表する時期も来るでしょう。このHP更新の資料にもなりますし、リクエストの受け皿にもなるでしょう。お楽しみに!!
2006.8.29記す。ジン


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