灰野敬二 1stソロアルバム 「 私だけ ? 」  PHOTOSETION    撮影: 1981年6月〜7月


灰野敬二 : ソロアルバム「私だけ?」 カバー写真の裏表

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この撮影をする事になる端緒は、吉祥寺のライブハウス、「マイナー」の店主であり「ピナコテカレーベル」を主催する佐藤隆氏からの依頼に拠るものだった。嬉しい申し込み、だけど何故僕なのか?。。。.....この頃でもレコーディングされた曲、テイクはかなりの数に上っていた。が、終わっていないまま撮影を始めた。

撮影のキーワードは「黒いアイスクリーム」、なぜそうだったのか ? 思い出せない。とにかく灰野氏は嫌と言うほどこの黒いアイスを食いつづける事になる。当時珍しいアイスで材料はほうれん草だったかしら?、撮影中は直ぐ解けて形がなくなるので傍に控えた佐藤夫妻がせっせと、てんこもりにしたアイスを主役に渡す。真剣にかつ楽しく。

1981年6月に始まった、灰野氏の1stソロLPのための写真撮影。メジャーレコードでは滅多に繰り返す事の無い再撮影の連続。特筆すべきはピナコテカレコード佐藤隆氏のプロデューサーとしての力量にある。ここに紹介する写真は制作プロセスを示しています。





左から、佐藤隆、敏子夫妻。灰野敬二。代々木公園と記憶


 「、、、、らしさ」って何だろう ?  

かつて知ったる灰野氏を撮る事は彼の人となりを知る重要な機会だった。Photosetionは写真家にとって楽しみであり写真家自身の自己表現でもある。主張の強さでは誰にも引けを取らないタフガイ灰野氏相手では尚更の事、結果に行くつくまでが戦いでもある。
黒いアイスクリームが彼の手元から消え、彼のバックにお守りのように銀色の人形がぶら下がり、気になる存在を表している。灰野氏の髪型、選ぶ背景、選ぶ時間帯、フィルムの種類や現像方法、etc.。「これじゃない!」と、消去しながらお気に入りを捜して行ったと記憶する。意見が一致する事は稀で口論もたびたび。ようやく絞り選んだ写真が一枚ではなく、2枚。「見られたくない写真」と「見せたくない写真」が選ばれた。その結果が裏表の無いLPジャケットの登場となる。

当時シルク工房で働いていた私が、その工房に関係者全員集まってアルバム試作をした。シルク用に写真製版を準備した。それはかなり贅沢な試作品作りの工程だ。使用する紙の色に拠ってハイライト部にその色が反映する。白い紙であれば、その白がハイライト部を表現する。つや消しの黒インクで赤、黄色の紙に試された。圧巻は金と銀、その美しさと渋さに居合わせた全員感動。この唯一一点のジャケットは存在し私の手元にあり宝物。灰野氏に拠って最終的に選ばれたのはつや消し白紙につや消し黒インク。これが商品として発表される。

、、、らしさ」、これが灰野だと言い切れるか、そうしたものは存在しない。あるのは恐らく積み重ね、プロセス、現にこれまで彼が世に出した数多くのCDが端的に物語っている。セッションで求めた物は、絶対的な何かを探していたのだと思う。

掲載した写真を御覧になり、撮影の進捗と灰野氏の人となりを推理しお楽しみください。   2006.6.9記す

余談:この灰野氏のレコード以後、ピナコテカレーベルから発売された「コクシネル」の三角形ジャケット他数点が、佐藤夫妻の拠点だった武蔵五日市の山奥スタジオでシルク印刷で作成されていた。パソコン印刷が無かったこの時代にかなりの重厚な表現力を持つこの印刷方式は手作りでかつ小部数発行の自主制作レコードにはうってつけだった。

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