2003(平成15)年投稿
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34,幼児教育研究会『小学受験合格の秘訣』受験研究社,1997
 評価 ★★★☆☆  批判的に参考にする程度が無難  投稿日2003/1/21

 小学校受験に臨む子の親として踏まえておくべき諸々を,主として経験者や指導者に対する取材を通してまとめた本です。

 小学校受験を,合否はさておき,子供にとって実り多い経験となるイベントと捉えようとする姿勢には共感できました。そして,受験のための対策は,日ごろの生活こそが肝腎なのであって,受験塾なども親が振り回されるようなことなく,主体的に利用すべきであると説くのもその通りだと思います。

 しかしそれだけ冷めたことを言うものの他方で,この本にはいわゆる「お受験」の臭みも強く残っているようです。「お受験準備のお教室のお授業」などと真顔で言われると,気味の悪い思いがします。そんな乱れた日本語を用いておきながら,「母親が自分自身を『わたくし』と称していないような家庭は日本語感覚を大事にしていないから門前払いが当然」,などと言って無自覚でいるところなどは,滑稽にしか映りませんでした。

 また,取材対象に関して不満が残りました。受験生の親子,受験塾の指導者などの他に,選考を課する小学校の側についても,どういう考えを持っているものなのか深い関心があるはずなのに,殆ど直接の取材対象としていません。

 後半3分の1ほどは,入試問題の実例紹介です。

 様々な傾向の問題を網羅しており,親の目だけではなかなか手の回らない分野に気付かせてくれるので,便利だと思います。

 ただ,大人でも戸惑うような入試問題が多いと感じました。こうした出題をする小学校の意図するところは,「難しい問題を子供がどれだけ正解できるか」,を見ようとしているところにあるわけではないのではないでしょうか。こうした問題の正解率を高めることに躍起となることは,本末転倒だと思います。

 むしろ,「ああ,これまで子供とこんな視点での遊び方をしたことはなかったっけ。今度一緒にやってみよう」という程度の参考にした方が,ずっと有意義に活かせるのではないかと思いました。

35,池田晶子『14歳からの哲学』トランスビュー,2003
 評価 ★★★★★  「知りたい」と思うと止まらないホンモノ志向への誘惑  投稿日2003/5/16

そこかしこにころがっている簡単な結論に飛びつくことによって,
全てを手に入れたと虚しく悦に入ったり,逆に全てが手に入らなかったと徒にがっかりしたりすることのばかばかしさを,
他の著書から受ける印象からすればこの著者には少々不似合いに思われるほど友好的な口調で噛み砕いてくれている。
そして,「ホラ,もっとホントウのこと知りたいでしょう?」と,
馴れぬ手つきでオイデオイデをしながら妖しく微笑みかけてくる。

でも,自分の頭ひとつで問をとことんまで追い詰めることというのは,
はたして誰にでもできることなのだろうか。
また,それは「善い」ことなのであろうか。
果て無き旅路へといざなうことは,
野垂れ死にの覚悟がない人に対しては罪作りな顛末をさえもたらすことになりはしないであろうか。
もっともそんなばかげた覚悟をしたりしない健康な人は,
いざなわれてもその気になんかならないから大丈夫ダナ。

36,ヤコブ・ラズ著,高井宏子訳『ヤクザの文化人類学』岩波書店,岩波現代文庫,2002
 評価 ★★★★☆  日本人には困難であったろう実地探査に基づく報告分析  投稿日2003/5/16

同じアングラ社会でありながら,
マフィアとヤクザとではオモテの世界での位置付けがずいぶんと違う。
著者はそのへんからヤクザに興味を持ったのか,
「ガイジン」としての特殊性を利用してヤクザ社会の内部に入りこみ,
直接彼等と生活を共にするフィールドワークを試みた。

ヤクザは,自らの社会的立場を例外的と認めながらも,
それが実は本来の日本的な精神に他ならないと自負してもいる。
そうした自己認識のあり方には,日本人一般,更には人間一般にさえ共通するものを観察することができるのではないか。
自らの中にある「ヤクザ」性を自覚するのは,なかなか愉快でもあった。

ところがその後,著者のフィールドワークの後に施行された暴対法によって,
ヤクザは衰退し,急激に体質を変えて「暴力団」となっていったという。
となるとそこにはどのような特質分析ができるものなのか,著者の見解を知りたいところである。

37,林明子『こんとあき』福音館書店,1989
 評価 ★★★★★  弱音をはかないこんに頭が下がりました  投稿日2003/6/13

弱音をはかないこんに頭が下がりました 2003/06/13

ぬいぐるみのこんはキツネの子ども。
でも,あきのお守りをしてあげなくちゃならない自分の重責を,
力んだりせずドンと引き受けています。
本当は心細さに自分が泣き出したくなるような場面でも,
あきに心配をかけまいと,また自分自身を励ますかのように
「だいじょうぶだいじょうぶ」を唱えつづけます。

立ちすくんでしまうような砂丘の広がりの中で,
これまでこんに助けられ続けてきたあきが,
ついに初めてこんを助けてあげる側になります。
子が育ち,それを見つめてきた自分は古くなっていく。
身につまされるようなすっぱさがありました。

頑張って旅路を切りぬけた二人には,
頼りになるおばあちゃんが,きっと待ってくれていることでしょう。

38,晴山陽一『ワイド版 TOEICテスト「超」必勝法』筑摩書房,2001
 評価 ★★★★★  意外な収穫のある本  投稿日2003/6/13

試験時間の割には問題量が多いために,姑息な「対策」が通用せず実力が丸出しになるという評判のTOEIC。
しかし,多量の情報を処理する効率的システムで臨みさえすれば,
その問題量の多さは逆に英語力そのもの以外の工夫で付け入るスキにもなる。
そんな発想でミもフタもない試験対策を紹介するのがこの本の前半です。

しかし,そんなコスカライことを言いながら,
実はこの著者が英語に接する姿勢はとても真面目で,そして魅力的なものでした。
英語のことわざを文法事項別にまとめてみせたり,
日本語訳になるととたんに難解の仮面をかぶってしまう哲学書の英訳を示して,
その分かりやすさを示してみせたり,
この本の後半には,英語に接するのはとても楽しそうだと釣りこまれてし!まいそうな,
また,それだけで一つの金言,名言集にもなってしまいそうな豊かな話題がいっぱいです。

小手先の試験対策を期待してこの本を読んでみた人の中には,
「いやあ,やっぱり地道に英語の勉強をした方が面白そうだ」と
気が変わってしまう人も少なくないのではないかと思いました。

39,金谷治訳注『孫子』岩波書店,岩波文庫,1963
 評価 ★★★★★  映っていたのは自分の顔だった  投稿日2003/6/22

とても簡潔な言葉が,多くないページの中にさらさらと並んでいます。
軍人が読めば,命のやり取りをする戦略,戦術の教科書として,
商人が読めば抜かりない金儲けの鉄則集として,
市中人が読めば絡み合う人間関係を泳ぐための処世訓として,
それぞれが「これこそ自分のために書かれた書物だ」と惚れこんでしまうであろうほど,それぞれの関心に応じてそれぞれに違う顔を見せてくれるのだろうと思います。

もともとのきっかけはいくさという特殊な状況の中で感じたこと考えたことであっても,
それをすぐに言葉にしてしまうことなくじっくりと練り上げたからこそ,
このような普遍的で味わい深い言葉のエッセンスが熟成されたのではないでしょうか。

この本に,どれだけの中味を読みこむことができるか,
そのことで読む側の生きる姿勢を試されているような気分にさえなります。
作者自身が念じこめた熟成の深みに,いくらかでも近づくことが自分はできているのか,
また近々試されにこの本を訪れたいと思います。

40,<N64ソフト>『どうぶつの森』任天堂,2001
 評価 ★★★★☆  むら気分は満喫できるが少々世話が焼ける  投稿日2003/6/22

 ハマリました。
 身近に「どう森仲間」がいないので,カセットを二つ買って「ひとりお出かけ」までして楽しみました。

 夕暮れに遠くから聞こえる時計台のさびしげなむらメロディー,夏の昼下がりのけだるい蝉時雨,人気のない秋の砂浜を歩く肌寒い足音, 雪ダルマを作りながら踏みしめる雪のきしみ。
 待つ者のない自分だけの部屋に帰ってくれば,気ままに作ったしつらいにくつろぐことができる。
 やらなくてはいけないことも,ここまでやればおしまいということもない小さなむらで,気分をしっぽりと濡らしてくれる音に存分に包まれることができます。

 ただ,このゲームの世話が焼けるところは,実際と同じく時間が流れているという,まさにその点にあるかもしれません。
 つまり,なるべく毎日村を訪れるようにしないと,いろいろと不都合が出てくるんです。
 雑草がむやみと生えたり,部屋にゴキブリが増えたり,友達にイヤミを言われたり忘れられてしまったり。
 そうなると,いちいち時計を戻して実際の季節との食い違いを大きくしていく覚悟でも無い限り,毎日村を訪れて除草,家具移動,挨拶回りと,まるで義務のようになってしまってそのうちには重荷に感ずることにさえなり兼ねないと思いました。

 何週間も何ヶ月もほったらかしにしておいたとしても,ただ季節が巡っていっただけで,同じ顔のむらが迎えてくれる。そんなどう森だったら…と思っています。

41,<DVD>『トムとジェリー 魔法の指輪』ワーナー
 評価 ★☆☆☆☆  ドタバタが空々しくなってしまった残念な作品  投稿日2003/6/23

 楽しめませんでした。
 元のトムとジェリーとは,ずいぶんと違うんです。もちろん,元通りでなくてはいけないなどと思いはしませんが,私が期待していたものではありませんでした。

 トムとジェリーにどんな楽しさを求めるかは人によってそれぞれだと思います。私は,どんなに乱暴なドタバタがあっても決してそれが度を過ごしたものになってしまわない優しさが,トムとジェリーを安心して楽しめる魅力だと感じていました。
 でも,この作品にはそれが感じられなかったんです。

 例えばブルドッグのスパイク(あるいはブッチ)。元のシリーズでは,このマッチョなイヌがトムをやっつけるのは,トムが彼にちょっかいを出したり愚弄したりした場合に限られていたものです。ところがこの作品ではスパイクは単なるゴロツキ同様,理由もなくトムをぶちのめします。
 またおしめをしたチビネズミのニブルス。このジェリーの被保護者は,元のシリーズでは常に「オマメ」の役で,イヌやネコに,時に追いかけられはしてもこっぴどい目にあわされることはありませんでした。ところがこの作品では,子供を恐喝する街のチンピラのような2匹のおとなのネズミに追い詰められます。しかもそのチンピラ役は,元の作品ではネコの愚連隊を叩きのめしてくれる心強い味方だったあのマッスルマウスの変わり果てた姿なのです。
 そうした場面を見ると,この作品にはトムとジェリーの優しさを期待することはできないと感じてしまうのです。

 そもそも,トム達の表情も,元の絵とは大きく違います。特に,怒った顔,困った顔,照れ隠しの顔,そうした表情が妙にリアルになっています。その分怒った気持ち困った気持ちに対する同情が強くなってしまうせいなのか,それを笑う気になれなくなってしまいます。やはり,怒っているトム達と適度に距離を置いてそれを外から眺めて笑う気持ちになれる戯画化という点では,元のシリーズの絵のほうがずっと優れているのではないでしょうか。

42,ラス・カサス著,染田秀藤訳『インディアスの破壊についての簡潔な報告』岩波書店,岩波文庫
 評価★★★★☆  息苦しくなってくるけれど目をそらすことはできない  投稿日2003/7/4

コロンブスの「発見」後数十年の間に,「新大陸」では激越な侵略行為がエスカレートして行ったようです。この本は,それを直接見聞した一人の司教がその非を糾弾するためにスペイン国王に提示した報告書です。

インディオを執拗にさいなむ胸の悪くなるような蛮行を訴えるのに言葉を失ったのでもあるのでしょうか,とても感情的な非難の言葉が単調に繰返されています。そこには侵略行為についての解釈も分析もなく,まるで報道写真のような描写になっていると感じました。それは文章表現としてはある意味で拙いというべきものなのかもしれませんが,それが却って,悲憤に震えて絶句している司教の眉間を端的に彷彿とさせてもいます。

この本は出版当初から,スペインに対立する他国勢力などによって様々な政治的思惑の元に繰返し利用されてきたそうです。今日それを我々がどういう視点で受け止めるのか,「なんてひどい奴等だ」と他人事のように言えるほど,現代の人類はこのような醜行から無縁でいられるような精神性を勝ち得ているのか,自問しなくてはならない思いが刻み込まれました。

43,<ゲームキューブソフト>『どうぶつの森e+』任天堂,2003
 評価 ★★★★☆  「どう森は初めて」という人か「マイナーチェンジでも嬉しい」という人に  投稿日2003/7/10

お気に入りのゲームです。私は64版を楽しんだあと,「+」は見送りにしてプレイしてませんでした。
今回「だいぶ変わったのかな」という期待もあり,またカードeリーダー+同梱という買得感もあって,購入してみました。
結局,ゲームの中味そのものは64版と比べてもマイナーチェンジに留まっているようです。

前作までの村に思い入れが深い人にとっては,新しい村で一から出直すことには抵抗が小さくないかもしれません。「引越」機能を使ったところで,借金は最初から返済しなくちゃならないし,苦労して集めた非売品は全て失ってしまっており,テマヒマかけて親しくなった村仲間もいないのです。

それでもたしかに,できること,手に入るもの,便利な機能は大幅に増えているので,そのための苦労ならいとわない,という人には嬉しいでしょう。私は,地下倉庫(とりあえず取っておくだけの物を無造作に収納できる),2階建(客間と居間とを使い分けられる),収納家具に物を三つ入れられる,ひとつのオーディオにとたけけのミュージックを大量に入れておける(64版では部屋にいくつもオーディオを置いていた),メモリーカードを二つ差し込んでおくだけで手軽にお出かけができる,島を持つことができる,などの快適さに納得して,「買って損は無かった」と思いました。

どうぶつの森はまだやったことがない,という人になら間違いなくお勧めです。

44,<ゲームキューブソフト>『ポケモンボックス ルビー&サファイア』任天堂,2003
 評価 ★★☆☆☆ たしかにお買い得ではあるけれど…  投稿日2003/7/17

買うつもりはなかったんですが,買っちゃいました。ずばり,GBAケーブルが欲しかったんです(どう森e+に使うために…)。
どうせ大して値段が違わないなら,「ポケモンボックスというオマケ」がついているほうが…,というナメた判断でした。
ポケモンボックスそのものは,期待して「いなかった」とおりのものでした。
64のポケモンスタジアムシリーズに,それこそオマケのようについていた,しかしかなり便利に使えていた「ポケモン研究所」の機能がグッと弱体化したもの,という程度のシロモノです。

★ポケスタの「ポケモン研究所」ではできたのに,ポケモンボックスではできないこと
1,複数のルビ・サファカートリッジソフトをつないでおいてボックスとの間でまとめて整理する
2,ボックス内外のポケモンに道具を使ったり持たせたりする
3,道具そのものを預ける
4,ボックスをまるごと移動させる
これらはみんな,このポケモンボックスではできません。

また,どの状態でGBAのスイッチを入れるのか切るのか,「今切っちゃいけない」とか「ケーブルはつないだまま」とかあれこれ言われておっかなびっくりになります。テレビでルビ・サファをプレイすることもできるのですが,やっぱりゲームボーイプレイヤーの方が圧倒的に快適だと思います。
また,このソフトにはメモリーカード59しか使えないようです。251はダメだとか。つまり,このソフトのデータは他の251メモリーカードにいれておいて,同梱のルビ・サファカラーのメモリーカードを他のソフトに使おう…,などという魂胆は通用しないようになってます。

一人前の単体のソフトとして発売するのはさすがに気が引けて,GBAケーブルのオマケ扱いなのかなあ…。
まあ,なにやら珍しそうなタマゴをもらえたのはちょっぴり嬉しかったんですけどね。

45,<音楽CD>『ポルカ・オ・ドルカ』メディアファクトリー,2003
 評価 ★★★★★ つまりこれがロケット団的霊性ということなのか!?  投稿日2003/7/21

 アニメのエンディングではワンコーラスだけしか聴けずに歯がゆい思いをしていましたが,ついにポルカ・オ・ドルカが全貌をあらわしました。

 挑発的にスキップする三味線の音色,刹那的な歌詞とコード進行。かつてのアソビズムに見られた,マエムキでケンコウ的だった自力本願は,頽廃の坂を転げ落ちた挙句の果てに浄土教的他力本願として進化してしまったのでしょうか。なんだそれ・・・

 このマキシシングルの特典扱いで収録されたボーナストラックとして,各種アレンジでのポルカ・オ・ドルカが楽しめます。いったい歌と合っているのかいないのかケムに巻かれたような無理やりな曲が勢ぞろいしています。まるで香港製B級アクション映画のような悪ふざけ,あきれて何度も聴いてしまいました。

 もう一つのボーナストラックは,ロケット団のBGM。カントー編とホウエン編とでは,登場の際にも音楽が違っていたんですね。このCDを聴いてはじめて気がつきました。

 マキシシングルというと,欲しくもないカップリングに閉口させられる例もありがちですが,このCDは文句無しでした。

46ブラッドリ著,寺澤芳雄訳『英語発達小史』岩波書店,岩波文庫,1982
 評価 ★★★★★ 英語より日本語の方が興味あるんだけど,という人も是非  投稿日2003/8/8

 英語を題材に,言葉と歴史と文化とがない交ぜになった絡み合いを眺めさせてくれます。大陸から少し離れて位置する島国という点で日本とよく似た地理的条件のブリテン島では,しかし日本とはだいぶ違った歴史が展開したようです。ケルトをゲルマンが追いやり,ゲルマンをローマが支配し,フランスが支配しノルマンが支配し…と,学校の世界史ではあまりたくさんには取り上げられないブリテン島の歴史に照らして,ブリテン島の言語,つまり英語がその中味を豊かにしていった経緯が綴られます。

 本書では,言語の良し悪しに関して,思想を表現する手段としてどれほど有効であるかを尺度として評価する姿勢が自覚的にはっきりと貫かれていて明解です。その尺度に基づくからこそ,いろいろな人との間で思想を取り交わしていくその集団の経験が言語を優れたものとしていく,ということになるのであり,それがまさに,ブリテン島の歴史が英語を育んできたということにもなるのでしょう。

 本書のボリュームにこれ以上を盛りこむわけにはいかないのであろうし,また十分な学校教育も受けていなかったという著者のこれだけの博識に頭が下がらないわけではないのですが,できれば他の言語の発達史との比較で英語発達の特徴を浮き上がらせてくれたら,発達史としてもっと興味深かったろうに,と思いました。

 年令や教育によって少し古い言葉になじみのある人の中には,ひと世代ふた世代前の言葉が変化していること自体をむやみと嘆かわしく訴える向きもあるようです。しかし,ただ変化するからよくないと難ずることは,やたらと新しい言葉を使いたがることと同様の,浮薄の傾向なのではないでしょうか。膨大な情報流通の中で言葉が激しく変化する今日,言語の変化というものと真面目に向かい合う本書は,言葉との付き合い方を改めてじっくりと考えさせてくれるようです。

47,池田晶子『あたりまえなことばかり』トランスビュー,2003
 評価 ★★★★★ この人はホンモノだという気がしてなりません  投稿日2003/8/8

 この著者の本は手に入る限り読んでしまっています。私はガッコウで哲学をたくさん勉強したわけではないのですが,この著者の哲学はホンモノだという気がするのです。なんの権威も笠に着ないその姿勢は,「文筆家」という,言葉にするとなんとも頼りない著者のその社会的立場から,専門用語を締め出して妙に生温かいその文章まで一貫しているようです。これこそ,「オレはただ気になるからひたすら考えるのだ」という哲学の根本を身を以って表してくれていることに他ならないのではないでしょうか。

 テーマはよくあるヤツです。「幸福」「癒し」「孤独」「老い」。しかし,こうしたテーマに関して巷に出まわるお手軽なコメントを,本書はその足元から揺さぶってなにもすがるもののない奈落の底へと突然落とします。突き落とされた底には実は既に著者が先に落ちていて,突き落とされたこの地点をはっきりと踏まえない限りいつまでたってもホントウのことを捕まえることなんかできないのだと,ニッコリ笑って自分だけサッと飛んで行ってしまいます。

 奈落の底でおいてけぼりを食ったその中でも,「哲学と笑い」が愉快でした。まるで,学問としての「哲学」をまるごと笑い飛ばしてくれるかのようにも思えて,とっても痛快。「誰もそんなこと言わないけど,私には分かる。ヘーゲルは著書の中でゲラゲラと大笑いしているのだ」などと言われると,「そうなのか。しまった,自分にはヘーゲルの笑い声が聞こえなかった。よし,もう一度読んでみよう」などという気にさせられてしまいます。自分もヘーゲルの笑い声を!聞いて奈落の底から飛び出して行きたい。

48,ジョイス著,安藤一郎訳『ダブリン市民』新潮社,新潮文庫,1971
 評価★★★★★  自分をいとわしく思うことの密かな快感  投稿日2003/8/21

 短編集です。特定の地域の特定の時代の風俗,気分を前面に出しているので,それが気になると違和感があるかもしれません。それぞれの話は,直接には相互になんの関連もないものですが,読み進めていくうちに,どこかで見たようなシチュエーション,前にも出てきたような人物がちらほらと見受けられました。もしかしたら,本当はとても細かくそうしたカラクリを張り巡らせてあるのかもしれません。
 ひとつひとつの話はバラバラですが,全編を通じて感じたのは,自分が世界の中心から外れていて,常にその辺境から世界の中心を見つめている,という雰囲気でした。そのまなざしは,憧れとそして劣等感とに満ちており,読んでいて次第に惨めな気持ちになってきました。

 最後の一編では,その劣等感と!の長い格闘のあげくに,ようやくそれをうまく飼いならすことが出来たと解放感に胸を張った次の瞬間,実はその惨めさから一歩も逃れていなかった自分を見出して底無し沼のような無力感に沈んでしまいます。

 読んでいて決して楽しい本ではないのですが,どういうわけか不快な思いはなく,もう一度読み返してみたい思いが残りました。

49,金谷治訳注『韓非子 第三冊』岩波書店,岩波文庫,1994
 評価★★★★★  秦の始皇帝も感心した割りきった方法論  投稿日2003/8/25

  本書は,国家をなるべく長い間維持していくことを目標として明確に掲げて,その手段としての支配者の心構えを説いたものです。そして,本書で重きを置く国家とは,すなわち君主の支配権のこと。つまり,一人の人間が多衆を効率的に支配しつづけるにはどうすべきかを説いたものということになります。

 面白いと思ったのは,どうせ君主も有徳の聖人ではありえないし,民衆も義理堅い善人であるはずがないのだから,ボンクラがコスカライ人間を思い通りに動かすにはどうすべきなのか,という,まるっきりシラケきった開き直りを出発点として物を考えている点です。そのミもフタもない人間観は,奇妙にリアルでうがった説得力があります。中国の古典というと連想されがちな,納まりかえった訳知り顔の臭みが本書にはなく,なんだか爽やかにさえ感じられました。

 この第三冊で魅力的なのは,「難」篇と称される一連の論集です。そこでは,当時評判だったいろいろな故事とその解釈について,「いや,それはおかしい」と,韓非子の立場からツッコミを入れています。どちらの考え方をもっともだと思うのか,それは結局読み手の考え方次第ということになるのだとは思います。ただ少なくとも中国の故事について時折感じられる,「そんな捉え方ばかりではないと思うのだけれど」という不満を,韓非子が共有してくれているのを見ることで,「やっぱり納得いかないのは自分だけではないんだな」と安心することができると思います。そうすることで,そうした批判を経てなお永らえてきた故事についての解釈を謙虚に深めていこうという気にもなってきました。

 四分冊とかなりの大部に感じられますが,白文,読み下し文,訳文と註解がついての分量です。実質的には半分以下のボリュームということになると思います。

50,プラトン著,久保勉訳『ソクラテスの弁明,クリトン』岩波書店,岩波文庫,1964
 評価★★★★★  いともあっさり死んだソクラテスに呆然  投稿日2003/8/25

 人民裁判の死刑判決を甘受して毒杯をあおいだソクラテス。しかし実際にこの本を読んでみた人は,信念を貫くだの,正義に殉ずるだのという大仰な形容が,この70過ぎの老人の人を食ったような言動にはおよそ似つかわしくないことを,きっと,特に『クリトン』の方で強く感じ取ることと思います。

 「死ぬのがそんなにイヤなことだって言うのかい?死ぬのがどんなことか,誰にも分かるわけないのにさ」。淡々としているというよりも,凡人には一種ふてくされたようにさえも映ってしまう論理の居直りには,悲壮な殉教者のイメージが全くないんです。

 確かに論理ではその通りだろうけど,それをそのままにあっさりと毒杯をあおぐというのは,あんまり淡白過ぎやしないだろうか。事態が命にかかわるところにまで立ち至ってもなお,ソクラテスの頑固さは「だってボクの考えは間違っちゃいないんだもの。」という程度の無邪気なこだわりとしか感じられません。もしかすると,自分の命というものを,そんなこだわりのために投げ出してしまうくらいのものだとしか思っていなかったのではと,訝ってしまいます。若い頃には数度の戦争で,とても勇敢に戦ったというソクラテス。老境で駆り出された裁判という戦場でも命知らずに勇敢に戦い,命を落とすことになった。やっぱり自分で納得のいく生き方をすることに比べれば,自分の「命の大切さ」なんて所詮後回しのものだったのでしょうか。

 この本を読むと,ソクラテスという人には「偉い」というより「スゴイ」という表現の方がピッタリくるように感じます。おそらく,ソクラテスよりはずっと普通の人に近かったであろう弟子のプラトンは,そうした師匠の人並み外れたスゴさに圧倒されて,この本を書くハメにもなり,生涯をそのスゴさを追いかけることに捧げるハメにもなってしまったのではないでしょうか。そちらはやっぱり「偉い」ことなのだろうなあ。

51,城山三郎『官僚たちの夏』新潮社,新潮文庫,2002
 評価★★★☆☆  官僚が経済を先導することの難しさ  投稿日2003/10/3

 戦後の高度経済成長を支えた通産省官僚たちの活躍を綴ったセミドキュメント。
 ミスター通産省の異名を取る主人公は,日本経済の将来を見据えた画期的な法案を作り上げ,その成立に献身的に奔走します。ところが,官主導色の濃厚なその法案の隠された規制的意図を見透かされ,政界財界いずれにも支持を得られず,頓挫。その主人公たちの挫折が物憂い倦怠感にまみれていきます。

 筆者の口ぶりは,「国のため」の思いに燃えた主人公たちにとても同情的なのですが,実を言うと私はあまりその気になれませんでした。それはきっと,「優れた官僚」が「国のため」に作った法律を,政界財界を欺いてでも成立させようとすることに不信を感じたからなのではないかと思います。主人公たちのやり方が,一部の人間の思い描いた「国のため」をだまし討ちのようにして国全体に押し付けようとする企てに感じられてしまったのです。親が幼い子供をしつけるのでもあるならともかく,官僚が国民を「説得する」のではなく頭ごなしに「しつける」かのごときあり方には納得がいかないのです。

 主人公のモデルとなった某氏は,学生時代に末弘厳太郎教授の講義を聴いて,教授が戒める役人の悪習と正反対の道を自らに課したとか。その潔い気概がもし実際にこの小説の主人公のような形で空を斬ってしまったのだとしたら,日本経済にとっても官僚制度全体にとっても惜しいことだったのではないかと思いました。

52,中川善之助『民法風土記』講談社,講談社学術文庫,2001
 評価★★★★★  法学の皮をかぶった切ない回顧録  投稿日2003/10/7

戦後の家族法学を代表する民法学者の旅行記。
日本で実際に行なわれていた身分関係,財産関係のうち,末子相続,妻問婚,貰い子,家舟,甘土権など,近代の法制度が切り捨てていった例外的な慣習の実例を求めて日本中を調査旅行した著者が,自身の足跡を後年雑誌『法学セミナー』の連載記事で想い出語りに回想したもの。例外的な現象を求めた結果なのであろう,訪れる先は交通の不便な土地が多く,まるで民俗学者を思わせる地道なフィールドワークが積み重ねられていく。そこには,明治以後の近代化の中で急速に失われていった日本の残照が,著者のノスタルジックな眼差しのうちに映し出されている。

近代化が一段落した今日,切り捨てていったあれこれに対する後ろめたいような懐かしさを覚えると同時に,日本の近代化とはなんだったのか,法制度や国家とはなんのためにあるものなのか,考え直さずにはいられなくなる。

53,別宮暖朗,兵頭二十八『戦争の正しい始め方終わり方』並木書房,2003
 評価★★☆☆☆  たくさんの疑問が残る本  投稿日2003/11/12

「日本がやった戦争は悪いことではなかった」,そう思いたい気持ちは私にもあります。しかし,本書で自分にそれを納得させることはできませんでした。

 本書には,他では言及されることの少ない国際法などの名称がたくさん登場します。それを基準として戦争の「正しさ」を判断しようとするのが,本書のねらいのようです。それが,内外の政治を考える上で不可欠の視点であることは確かでしょう。しかし,もし本当に正面から法的判断をするのなら,条文を根拠に法上の定義や構成要件を明確にしたうえで,認定された事実に対して当てはめをしなくてはならないはずです。にも拘らず本書には「国際法上これこれが正しい」という結論が並べてあるだけで,そうした法的判断の過程がきちんと示されていません。これでは,その結論の「正しさ」を読者が自分で判断する拠り所が全く無いことになってしまいます。

 そしていっそう疑問に思ったのは,国際法を超える「正しさ」の判断をしようとしない点です。日本と中国との戦争ではどちらが「正し」かったのか,そのような評価に関しては,国際法に照らした結論で誰もが納得するということはないと思うのです。だとしたら,その国際法そのものの「正しさ」を含めて,「正しさ」の判断の基準に疑問を持つのが,知的に謙虚な態度ではないでしょうか。その点本書では,国際法の「正しさ」の限界を認めていながら,それ以上の「正しさ」を求めようとしません。国際法に反しさえしなければどんなことでも「正しい」ことになってしまう,そんな「屁理屈」はやっぱり受け容れられないのです。

 本書を読んで「ほら見ろ,日本は悪くなかったのだ」などと満足してしまうとしたら,「正しさ」という本腰を据えて立ち向かうべき難敵に背を向けることになってしまうのではないか,そう思えてなりません。

54,吉野源三郎『君たちはどう生きるか』岩波書店,岩波文庫,1982
 評価★★★★★  ゴマカシのない真っ向勝負  投稿日2003/11/12

 旧制中学1年の少年の成長日記…,などと言うと古色蒼然とした抹香臭さを感じて,読む前からゲッとなる人もあるかもしれません。ところが読むとそのマッタなしの真剣さにおどろきます。
 誰しも,日々の変わり映えのしない生活を送っているだけで色々な思いが湧き出てきます。主人公の少年コペル君も,日常のありふれた出来事で感じたことを出発点として,自分の考えを進めて行きます。借り物の「道徳」や「哲学」に寄りかからず,生きていることから直接湧き出てきた自分自身の思いから目を逸らさずに思考の歩みを進める姿は,とても勇敢です。そしてきっと,そうすることでしか,思索を深めてついには自分自身の「道徳」や「哲学」としてしっかりと踏まえることはできないのだろうと思います。
 風俗や文体に古くささを感じ取ることは簡単です。しかし,その古くささを言い訳にして,この本に問いかけられている人間としてどうあるべきかという課題をおざなりにするとしたら,自分をごまかして生きていくことになってしまうのではないでしょうか。

 行間には,読者として想定した思春期の世代に対する,著者のいとおしい思いがいっぱいです。ましてや満州事変の後騒然としてきた不安な世情のなかで,人間にとってよりよい明日への望みを若者に託す著者の筆は焦がれんばかりの熱さを放っています。

 自分が人生に向かう姿勢にゴマカシは無いか,言い訳をしてはいないか,逃げていないか,コペル君を見ていると自分を糺さずにはいられなくなります。この本の切っ先は,まっすぐ自分の喉元に向けられたものだったようです。

55,井田良『基礎から学ぶ刑事法』有斐閣,有斐閣アルマ,2002
 評価★★★★★  刑法が分からなくなってしまう心配を減らしてくれる本  投稿日2003/11/14

痒いところに手が届く入門書です。刑法を中心として,刑事訴訟法,処遇法,犯罪学,刑事政策と,周辺分野のそれぞれの意義を際立たせながら,全体を一望させてくれます。

本書では,著者自身が学生時代につまづいた記憶のある部分に力を入れたそうです。なるほど,従来の入門書,基本書を読んでいると納得しにくく思われるようなところを,そもそもなぜそのことが問題として取り上げられることになるのか,という点に遡って,著者自身が理解した言葉で説明してくれているので,つまづいたときには心強い助けになってくれるだろうと思います。

刑法の勉強はこれからという人は元より,学び始めたもののなかなか進まないという人,ひととおりは学んだけれど腑に落ちないところが多いという人も,この本で「そういうことか」と溜飲の下がることが少なくないのではないでしょうか。また専門の勉強をするつもりでなくとも,刑事問題に関心のある人には手頃な概説書になると思います。

56,<音楽CD>『TATAKU - BEST OF KODO』鼓童
 評価★★★★★  イマドキの耳で聞く日本の音色  投稿日2003/11/14

笛と太鼓です。鉦などもあったりします。和風です。でも音の作りは,いわゆる伝統音楽らしいものではなく,イマ風にキレイにお掃除されたものです。日本の笛を使っていますが,西洋音楽のような和音でハッキリしたメロディーを奏でたりするし,ジャズかラテンか,あるいは黒海沿岸地方の舞踏曲のような複雑なリズムパターンを繰り出して来たりして,ノリノリだったりもします。
伝統的な太鼓でなくちゃイカンという人からはお叱りを受けるかもしれませんが,ポップスやロック,あるいはクラシックを聞きなれた耳にもすんなり入ってきてくれるところはやはり「親切」です。鬼太鼓座のような,眉間にしわの寄った太鼓も「味」ですが,こういう楽しそうな太鼓もアリだと思います。

もしかしたらこんな風にして,伝統音楽が少しずつ姿を変えながら受け継がれていくのかな,という気がします。

57,永井均『<魂>に対する態度』勁草書房,1991
 評価★★★★★  ニーチェの亜流ではない永井均の本流  投稿日2003/12/18

 筆者自身「もう用済み」とする既発表論文の再収録。その中で,ニーチェをダシにして,道徳を根底から揺るがすようなくだりが一番印象に残りました。

 筆者は世界を眺める眼を二通りに分けます。何かの目的の為に世界を特定の型にはめて捉えようとする「解釈的理性」と,知ること自体以外に目的のない「省察的理性」と。ただ無性に知りたいと思う気持ちだけを原動力として世界を知ろうとする「省察的理性」には,幸福にせよ正義にせよはたまた信仰にせよ,全くなんの歯止めも無いので,それを知ったら幸福も正義も信仰も覆されてしまうような,知ってはいけないことまで覗いてしまおうとする罪深さがあるということになります。

 そして道徳の拠って立つ根拠についてまでそのような罪深い眼を向けてしまい,その結果自分で導き出した救いの無い結論に自分で慄いたのが,他ならぬニーチェだったのだとしています。それが果たしてニーチェ解釈として正しいものかどうかは分かりません。しかし,そのような解釈としての当否などはこの際どうでもよいことに思えてきます。というのも,仮令ニーチェはそんなことを言っていなかったのだとしても,筆者が看破したものは揺るぎようがないからです。ひとたび道徳の楽屋を暴露してしまえばそこにはいかなる「正しさ」もありはしないのだという寄る辺無き正鵠が,借物ではない筆者自身の省察的理性に基づいて射当てられているのです。

 本書には,「どうしていけないの」という問を子供から投げかれられ,本気でそれに答えようとしてついに本当に「いけない」理由などどこにもないことを見出してしまった生真面目な大人の姿があります。もちろん,容赦無くその問を投げかけ続けた「子供」は,筆者自身の省察的理性であったのでしょう。そうした発見を,取り乱すことなく,少なくとも表面上は何食わぬ顔で論文にする筆者は,ニーチェよりオトナだと思いました。