ポケモン座談会『戦争論』

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        何かと注目を集めているマンガ,小林よしのり『戦争論』を読んで,ポケモン達もいろいろと考えたようです。

第ニ回 2002年9月9日

出席者:ヤドン,ラプラス,ブラッキー,カイリュー(進行役),エビワラー

 小林よしのりの『戦争論』が,特に若い人たちの間で注目されているようだ。
まだ一巻目を少し読み始めてみたところでしかないけれど,みんなそれぞれに強い印象を持ったんじゃないかな。
今回は,これについてみんなで話をしてみようと思う。
 オレは気に入ったぞ。なんといってもカッコいいじゃないか。リベラルだの良識だの,説教クサイ連中に一泡ふかせるのは痛快だ。
 好きじゃないな。はねっかえりのガキがイキがっているようにしか見えない。
 でも,確かに,これまであまり考えていなかった点を指摘されて,なるほどと思うところもありますね。
 よく分からなかったなあ。
 エビワラーとブラッキーとで,ちょうど感じ方が正反対になったようだね。
じゃあ,二人の感じ方の違いを出発点にして話を進めてみようか。
 戦争をカッコいいと思っているなんて,あまりにも幼稚じゃないのか。
 別に,戦争をカッコいいなんて言ってないぞ。無闇と戦争を悪者扱いすることがばかげているというのだ。
 世界から戦争が無くなってしまっていない以上,それをただ悪者扱いしているだけでは現実を見ない姿勢になってしまいますね。
 しかし,『戦争論』では,「日本がやったことは悪いことではなかった」と言おうとしているのではないのか。
 おまえは「悪い」と考えているのか。
 オレが何か特定の評価を結論として抱いているわけではないが,「悪い」という評価が不可能だとは到底思えない。
 ずいぶんと逃げ腰じゃないか。自分の考えで物を言ったらどうだ。
なぜ「特定の評価」を自分で責任を持って抱いていないのだ。
 確かに,自分で結論を持つところにまで考えを深めていればそれに越したことはないとは,俺も思っている。
その意味で,オレの考えは確かに浅い。「逃げ腰」であることは認めよう。
しかし,巷にあふれている「結論」を見渡すにつけ,
そんなケチな「結論」を鼻にぶら下げているくらいならなら,「オレには分からない」と言っていたほうが気分がいい。
 でも,みんながそれぞれ抱いている「結論」がそんなつまらないものだとしたら,
なぜみんなそんな「結論」を持ってしまうのでしょう。
 「分からない」という状態で辛抱することができないからだろう。
およそ人間は,「答え」を欲しがるものだと思う。
なんだか得体の知れない宙ぶらりんということを,とても怖がるものではないのだろうか。
「怖い」事件が報道されたりすると,いろいろな分野の「学者」がそれぞれ自分の知っている手法でその事件を「理解」しようとする。
そして,聞いているほうも,そういう「理解」が提供されることでなんとなく安心する。
「人生」や「社会」についての「答え」を大安売りする怪しげな新興宗教が人気を集めるのは,そういう人の弱みに付けこんでいるからだ。
そうして「答え」を求めてしまう性情そのものを責めはしないが,
あまりにもこらえ性がなく,お手軽な答えに飛びついてしまう根性無しは,オレはご免こうむる。
目に入ってくる「結論」は,どれもこれも,まるで見世物小屋の看板のようだ,
見てくればかりを飾り立てた上滑りな言葉を恥知らずに並べ立てているばかりではないか。
「歴史」とはなんだ。「国」とはなんだ。「個」とは,「公」とは,「民族」とは,そも「善」「悪」とはいったいなんのことなのだ。
そんなことを,これっぱかりも思ったことがないからこそダラダラと口から出すことができてしまう,そんな「結論」ばかりじゃないか。
 そうでしょうか。みんなそれぞれ,「国」とか「善」「悪」とかについて,自分の考えを持っているのではないでしょうか。
 みんなが持っているという「自分の考え」は,それは自分でよくよく考えたものではない。
世間にゴロゴロ転がっているいろいろな「考え」の品揃えの中から
パッと見でお手ごろなものをつまみ出しただけのものだ。
歴史をどう評価するかということは,コンビニの店先で弁当を選ぶようなこととは違うのだ。
まだ自分の考えは浅いということを認める覚悟くらいなら,オレにもあるつもりだ。
自分の腹から搾り出した魂と引き換えの言葉を吐いている人間に「逃げ腰」と言われるのならオレも己を恥もしよう。
しかし,安っぽい「結論」をポケットにあふれさせて「自分の考え」だと得々としている連中に「結論を持て」などと言われても,
オレはばかばかしく思うだけだ。
オレにとっては,そんな「結論」を抱いていることの方が,よほど恥ずかしいことだ。
 ちょっと話が脱線してきちゃったね。もう少し,『戦争論』に関係した感想に戻ってみよう。
 ああ,悪かった。エビワラーに「逃げ腰」などと言われて,ムキになっちまったようだ。
オレが言いたかったことはこうだ。
そもそも歴史の評価などどこまで行っても多様でありうるはずだろう。
それにもかかわらず,「悪い」という評価をする人間を揶揄したり茶化したりして貶めるという『戦争論』のやり方は,
お世辞にも真面目な論者の姿勢とは言えないぞ。
 「論」としての『戦争論』の姿勢が正攻法のものかどうかは,ひとまず置こうじゃないか。
これは最初から子供向けのマンガなのだ。印象や感覚で物を言わざるを得ない場面は多いはずだろう。
問われるべきは,その主旨だ。
日本がやったことを悪いと評価する人間を茶化すのがよくないというのなら,他の「戦勝国」がやってきたことが悪くないとでも言うのか。
 どう飛躍するとそんな反論が出てくるのだ。
日本がやった「戦争」を「悪い」とするのなら,同じ基準によって「戦勝国」の「戦争」も「悪い」とするべきだろう。
 だったら,そんな連中が日本を一方的に裁くことが許されるのか。
 なぜ「戦勝国」の「裁き」にそんなにこだわる。
「軍事裁判」が正しいことかどうかとは別に,歴史の評価はすべきことじゃないのか。
「戦勝国」が善いと言ったことでも悪いと評価すべきことはあるはずだし,
「戦勝国」が悪いと言ったことでも善いと評価すべきことはある,たったそれだけのことではないのか。
善い悪いはちゃんと自分で判断すべきだ。
 しかし,そんな不公正を押し付けられておまえは悔しくないのか。
 くだらん。おまえこそ,何を甘えている。
他の国に「正しい評価」をしてほしいなどと期待していることこそ物欲しげでみっともない。
おまえは自分がやったことのいちいちをママに誉めてもらわないといたたまれないとでも言うのか。
 でも,今の国際社会の中で,
一方的な評価のために,精神的にもあるいは経済的・物質的にも
ひどく不利益な状態に追い込まれてしまっている人たちもいるのではありませんか。
 コクサイシャカイがコウセイじゃないと,困る人がいるの?
 当然じゃないか。
 じゃあ,コウセイにした方がいいんじゃない?
 だから日本を一方的に悪く言うのはよくないと言っているんだ。
 それは,日本がやった戦争は悪くない,っていうことなの?
 なんのことだ。
日本がやった戦争を悪いと評価するのは一方的なことだから,そうではなくすべきだと言っているんだぞ。
そうに決まっているじゃないか。
 「悪くなかった」って言うことは一方的なことにはならないの?
 ヤドン,おまえの言おうとしていることは分かった。
つまり,無闇と「悪い」と言い募ることも,無闇と「悪くない」と開き直ることも,
同じような理不尽に陥りかねない,ということだな。
 どんなに根拠を挙げたところで,歴史の評価が一つにまとまることなど無いんでしょうね。
「悪い」と言うにしても「悪くない」と言うにしても,納得できない人は必ず残ってしまうことでしょう。
相手の納得できない結論を強要しようとすれば,人間関係という点からは理不尽なことになってしまいそうですね。
 不公正は,歴史の評価を「正しい」ものにしたところで防ぐことはできない,と言うのだな。
それなら,不公正をどう防いだらいい。なぜ不公正があるのだ。
 歴史に対する評価と,その時々の国際関係とを安易に結び付けてしまうことに問題があるのではないでしょうか。
 なるほど。ある国が仮に「悪い」ことをしたと評価されるにせよ,
その責任の取り方にはおのずと限度を設けるのが公正ということになるのかな。
 だとしたら,いつまでも日本を悪く言うのはまさしく不公正なのではないか。
 限度ってどこに設けるのがコウセイなの?
 問題はそこだな。
方や「もう『ゴメンナサイ』は済んだ」と思っているし,方や「まだ済んではいない」と思っている。
その受け止め方の違いが原因ということになりそうだ。
 その受け止め方の違いは,解消できるものなのでしょうか。
 解消しなくちゃ困るよね。
 そうさ。だから,いつまでも「まだ済んでいない」と言い張るのはけしからんと言っているのだ。
 それは向こうもそう言っているだろう。
いつまでも「もう済んだ」と言い張るのはけしからんと,向こうは言っているんだそ。
相手にだけ譲歩を求めるのは,公平ではない。
 どうしたらいいの?
 歩み寄るためには,自分の主張を控えめにするというのが,人付き合いの上で気をつけなくてはいけないことですね。
 それみろ。日本を悪く言うような主張を声高に叫んだりしてはイカンのだ。
 だから,それはおまえにも言えることだろうが。
 冗談じゃない。間違っているのは向こうなんだぞ。
 それじゃケンカになっちゃうじゃない。
 それもやむをえないだろう。我慢にも限度がある。
 「自分は悪くない」と言い張っていがみ合うなんて,なんだか子供のケンカみたいじゃありませんか。
 国同士の付き合いというのは,そんなに幼稚なものなのか。
 じゃあ,馬鹿にされるままになっていろと言うのか。主張すべきことは主張すべきだ。
 「主張すべき」だと言うのなら,
「限度がある」などと途中で投げ出すような腰抜けたことを言っていないで,相手が納得するまでとことん「主張」すべきだろう。
 だから主張するのだ。
 エビちゃんのは,「主張」なの?
 なんだかケンカ腰ですよね。まとまる話もまとまらなくなってしまいそう。
 要するにエビワラーは,自分の考えが受け容れられなくて面白くないんだろう。
だいいち,おまえは自分と違う考え方を示されると,「馬鹿にされた」と感じるのか。劣等感が強すぎるんじゃないのか。
 ブラッキーちゃん,それキツイ…
 結局,「主張」をするにはその仕方にも気をつけなくてはいけない,ということになりそうだね。
感じ方の違いを埋めるための話し合いには,ずいぶんと根気がいりそうだ。
短気なエビワラーにはつらいことかもしれないな。
今回は,『戦争論』の具体的な内容というよりも,それぞれの感じたところをめぐっての話になっちゃったけど,
次回は,問題点をもう少し絞り込んでみよう。