ポケモン座談会『飢餓』

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        自分では実感することのない「飢餓」。でも、世界中には飢えている人はたくさんいるらしい。
いつものポケモン達もいろいろと考えたようです。

第四回 2010年5月15日

出席者:ヤドン,ラプラス,ブラッキー,カイリュー(進行役),エビワラー

1,飢餓という言葉から
2,飢餓の原因は?
3,食糧があっても飢餓が起こるのはなぜ?
4,飢餓を無くすには  もうひとつの「原因」
5,参考サイト

1,「飢餓」という言葉から

 初めてここで話をしてから、ちょうど10年経ったね。
ほしのやの子のズンタロも大きくなって、今度ある勉強会に参加することになった。
そこでズンタロが選んだテーマが「飢餓」だ。
世界中で、飢餓に苦しむ人は10億人とも言われている。
エイズ、マラリア、結核で死亡する人の合計よりも、飢餓が原因となって亡くなる人の方が多いとさえ言われる。
今日は、これを僕たちも取り上げて話をしてみよう。
まずは、「飢餓」と言われてどんなことを思い浮かべる?
その思い付きをとっかかりにして話を進めることにしよう。
 とりあえず、実感がわかないな。
オレはハングリーではあっても、飢えているわけではない。
 とても悲惨な状態というイメージがわいてきます。
それも、なんだか、沢山の人がそろってそういう状態に置かれているという気がしてしまいます。
 不思議な気がする。
食べ物はあるのに、なぜ飢餓が起こるのだろう?
 申し訳ない気持ちになるよ。

2,飢餓の原因は?

 実感がわかないというエビワラーの感想と、不思議だというブラッキーの感想とは、
なんだか似ているね。
じゃあ、なぜ僕たちには実感のわかない飢餓が、不思議なことに実際には世界中で起こるのか、
その原因を考えてみよう。
まず、飢餓とは何だろう。
 飢餓というからには、食べるものが足りないということだよな。
 ボク、昨日食べたかったおまんじゅうが売り切れだった。
 それは飢餓じゃありませんよ。
 足りないことが健康や、果ては命にかかわるようなことだな。
 だから悲惨な感じがするんですね。
 じゃ、ボクは足りてるんだ。
 お前は元気だもんな。悲惨なところなんか無いし。
 なぜそこまで足りなくなることがあるのでしょう。
 おまんじゅうだっていつでも買えるわけじゃないよ。お金が足りないこともあるもん。
 経済的な理由は無視できないな。
 食べ物は自然の中で作るわけだから、天候にも左右されそうだ
 でも、おまんじゅうはお店の奥で作ったり、大きな工場で作ったりもするよ
 そのもとになる原料はやっぱり畑とか田んぼで作るわけだろ。
海で採るものだってあるかもしれない。
 そうか、やっぱり自然の中だね。
 台風でコメが不作になるというニュースも聞きますね。
 温暖化などということになると、地球全体の環境変化ということになるな。
 売り切れじゃなくても、遠いお店のおまんじゅうは毎日買いには行けないよ。
 それは流通の問題ということになりそうですね。
 オレがすごく不思議なのはそこだな。
世界中全部合わせてみれば、全人口で食べても食糧は足りているはずだというじゃないか。
それが行き渡らないから、
一方では食べ物が余って捨てている国があるのに、他方、足りなくて餓死する子供まで出てしまう。
 飢餓を救うために援助している食糧を世界中の分集めたよりも、
日本で余って捨てている食糧の方が多いんだって。
 どうしてそうなってしまうのだ。
なぜ、必要としているところに届かないのだろう。
 遠いから?
 今は、自動車もあれば飛行機もある。
その気になれば世界中どこにでも食糧が届かないということはないんじゃないのか。

3,食糧があっても飢餓がおこるのはなぜ?

 いろいろ出てきたね。一度ここで整理してみよう。
飢餓の原因として、今、大きく分けて三つのことが上がったね。
@経済的な原因
A自然の原因
B流通の原因
もっと大きく分ければ、@とBはどちらも人間の活動にかかわるものだから、
T自然の原因
U人間の原因
という分け方もできそうだ。
このなかで、とくに不思議に思うのはBの流通の原因ということだね。
じゃあ、これを少し掘り下げてみようか。
 確かに、それは流通という言い方もできそうだが、
問題はそうシンプルには考えられないんじゃないだろうか。
とても複雑な気がする。
ひとつ、逆に考えていってみないか。
 どういうことだ。
 つまり、今の日本では、なぜうまく食糧が行き渡っているのか、ということだ。
 なるほど。
もともと人類が始まって以来ずっと、飢餓の状態の方がむしろ当たり前だったという見方ですね。
 そう。
狩猟・採集にせよ、漁労・農耕にせよ、自然の条件次第で人は常に飢餓と隣り合わせで過ごしてきたはずだ。
そう考えてみれば、今の日本のように飢餓と縁が無くて済んでいることの方がよほど不思議にも思えてくる。
 そうだな。
確かに、なぜうまくいっているのだろう。
 結局さっきの@〜Bの原因を、ひとつずつ克服することができている、ということだよな。
@の経済的原因についてみてみると、
日本は他の国に比べても豊かだし、国内にも貧富の差はあまりない。
食べ物を買うことができなくて飢餓になってしまうことは、今の日本では稀なことだろう。
 Aの自然の条件に対しても、品種改良とか栽培技術の工夫とか、
いろいろな対策がなされているわけですよね。
 交通も発達しているね。
 それはBだな。
日本中のものが、たいていどこの地方でも簡単に手に入るよな。
 食糧自給率の低さを考えても、
逆に言えばそれだけ外国から食糧をたくさん輸入することができている、ということでもある。
 それは経済的原因とも関係することになりそうですね。
 でも、世界では飢餓がたくさんあるんでしょ。
日本のようにうまくいってはいない国が多いのかな。
 そうなるな。
 今、ラプラスが言ったことでオレも思ったんだが、
考えてみると@〜Bの原因って、バラバラのものじゃなさそうだよな。
自然の条件を和らげる工夫も、円滑な流通も、
経済的な裏付けがあって初めて利用可能になるものじゃないか。
 じゃあ、飢餓が起こってしまうのは、
みんなビンボが悪いっていうこと?
 それはかなりありそうだな。
 「飢餓輸出」という言葉がありますよね。
 それなあに?
 自分の国で食べていればみんなで食べても余る食糧を作ることができているのに、
外国に輸出してしまうために国内の食糧が足りなくなることだな。
 え、ひどいじゃない。
なんでそんなことするの?
 外国からの借金を返したりするためでしょうか。
 やっぱりビンボが悪いのか。
 自分の国の人に売ったら100円にしかならないものが、
外国の商社がやってきて1,000円で買ってくれる、なんていうことになれば、
食べ物を作る方だって外国に売っちゃうことにもなりそうだ。
 なんだか、金持ちが貧乏人をいじめているような感じだな。
 もっと極端に、昔の植民地の時代だったら、
「宗主国」が植民地に無理な輸出を強制するなどということもありそうだな。
 それが今でも続いてしまっているのでしょうか。
 植民地と言えば、宗主国の言うなりのものしか作らせてもらえないこともあったというじゃないか。
 モノカルチャー経済というやつだな。
 なにそれ?
 例えば、宗主国が他の国に売って儲けるために、コーヒーばかり作らせたりとか、
天然ゴムばかり、パルプばかりなどという無理な産業構造を押しつけることですね。
 それじゃ、食べ物にならないじゃない。
 永い間そんな産業構造で暮らしていたら、
独立して植民地ではなくなったとしても、まともな国に建て直すのは大変だろうな。
 植民地でなくとも、強引な政治家がいたりすると、
国民の食糧を無視して戦車やミサイルを作ろうとするなんていうこともありそうですね。
 ボクたちが輸入して食べているものって、今でもそんな風に無理やり買い集めているものなのかなあ?
 輸入食品を食べるのが、悲しくなってしまいます。
 でも、そんなことをしたら自分の国の人が飢えちゃうって分かってても、外国に売るの?
 それもおかしいな。
 それじゃまるで、ビンボより飢餓の方がまだいいって思っていることになっちゃうじゃない。
 そんなはずないですよね。


4,飢餓をなくすには   もうひとつの「原因」

 ややこしくなってきたね。
飢餓の原因を整理してみたつもりだったけど、
それはどうやら複雑に絡み合うものでもあるようだ。
原因が単純ではないとなると、それに応じて講ずべき対策も簡単にはいかなそうだ。
いったいどうしたら飢餓を無くして、いや、無くせないならせめて減らしていけるのだろう?
その講ずべき対策を、何とか見つけてみようじゃないか。

 こうやって考えてきてみると、
食糧が足りなくなってしまう状況そのものは、
いろいろな原因が絡み合って起こるのだから、
すぐに根本的に解決するなんてできない相談だと思う。
だいいち、簡単に解決できるくらいなら、みんなとっくに手を打っていていいはずだ。
 簡単には解決できないから、大きな問題になってるんだろうな。
 そういうこと。
でも、食糧が足りない状況が発生したらすぐに、
余っているところから届けることくらいはできそうじゃないか。
 さっきエビワラーが言いかけた、
「その気になれば」世界中に食糧を届けられる、というのがカギになりそうだな。
 やればできるはずだよな。
 じゃ、みんなその気になってないの?
 そうですね。食糧を届けることよりも優先してしまう他のことがあるのでしょうか。
 そうなの?
でもそれじゃあ、他にやることあるから、みんな飢えていろっていうのと同じじゃない。
 ひどい話だな。
 ラプラスが最初に感想の中で言った、「沢山の人がそろって」というのも
もしかするとその辺が原因なのではないだろうか。
その社会で他に優先されてしまうことがあるものだから、
そこの人はみんな一斉に飢えてしまう。
 どれほどみんなが飢えているのか、
食糧を届けることのできる人たちが分かっていない、
という原因もありませんか。
 それはもしかしたらすごく大事なことなんじゃないだろうか。
その気になれるような情報が足りないのではないか。
 そうだな。
昔なら、山の向こうの村が不作で飢えていても、山のこちら側の村ではそれに気が付きもしないでそのまま、
などということが、当たり前だったのだろうな。
知らないから飢餓を救えない、というのは大いにありそうだ。
 でもさ、余っているところから足りないところに、
うまく食糧を届けることができてもさ、
ずっとそれを続けなくちゃならないんじゃない?
 発生してしまった飢餓を当面救うことができたとしても、
飢餓が発生する原因そのものの方は別問題だもんな。
 飢餓は、一時的なものばかりじゃないですよね。
 慢性的な飢餓の方が深刻だそうだ。
 飢餓よりも他のことを優先、というのも、
分かっていてしているというよりは、むしろ分かっていないから結果的にそうなってしまう、
ということが多いのかもしれませんね。
 さっきの飢餓輸出の話でも、
そんなに外国に売ってしまったら自分の国で食糧が足りなくなってしまう、ということが
みんなよく分かっていない、ということもあるんじゃないだろうか。
 それじゃあ、みんなに分かるようにしよう。
 オレはよく思うのだが、
ニュースなどで大地震だとか大きな台風だとかの被害状況を報道するじゃないか、
昔は、そんなことが世界中で起こっていても、みんな知らずにいたはずだよな。
 テレビなんか無かったんだもんね。
 ところが、今はそうした災害などがすぐに目に入ってくる。
昨日はあっちの国で大地震、今日はこっちの国で大洪水、と、毎日のようだ。
 あのようなニュースを見るたびに、つらい気持ちになります。
 そうなんだよ。
昔は、全く気にとめたり心配したりすることのなかったことについて、
我々は毎日気持ちを揺さぶられてしまう。
地震の国の人も助けたい、洪水の被害の地方にも援助したい、
自分がボランティアだったら、どこへ行って何の手伝いをしたらいいのか、とても迷うんじゃないかな。
 一人で全部を助けるなんて無理じゃない?
 それそれ。
自分が何をしたらいいのかは、結局自分で決めるしかないよな。
でもどのみち、自分でできることに限界があるんだから、
こっちの地震を後回しにして、あっちの洪水を助ける、っていうことは避け難いだろう?
 そうなると、
できるだけ、そういう災害などの状況を詳しく知っておいた方がいいのでしょうか。
 そうそう。
自分がすべきことを決めるのにも、結局情報がなくちゃ決めようがない。
そうだとすれば、本当は知らずにいた方が心静かでいられるような
大変な災害などのニュースも、なるべく見るようにして、
じゃあ自分はどうしたらいいのか、考える必要があるんじゃないかな。
 そうだな。
飢餓についても、なるべく世界中の食糧事情についてよく調べて、
自分の国では食糧は余っているのか足りないのか、
食糧が足りていないのに、他のことを優先させてしまっていないか、
足りないところがあるのなら、
どこに真っ先に食糧を届けなくっちゃならないのか、
そういうことを、常に把握しておくことは必要だな。
そうしてみると、飢餓の原因として、その困っている深刻さが知られていないという、いわば
C情報の原因
とでもいうものも、分けて考えておいた方がよさそうだな。
 知っていれば助けることもできたし、欲張って外国に売ったりもしなかったのに、
知らないから手も差し伸べられなかったり、金儲けを優先してしまったり、
などという状況は減らすことができそうだな。
 なんだか、先ほどの@〜Bの原因を一つずつ克服していくためにも、
どこで食糧購入の資金が不足しているか、とか、
どんな自然災害があったのか、とか、
どこの交通手段が不十分なのか、とか、
結局、そういう情報が伝わっていることがとても大事なことのようですね。
 「情報の原因」というのは、意外と大問題のようだぞ。
 今の日本で飢餓と無縁でいられるのも、
まずはその情報が行き渡りやすい、ということのおかげも大きいんじゃないだろうか。
 @〜Bの原因を一つずつ克服できる能力の他に、
その能力を活かすことのできる情報力が備わっているということなんですね。
 ヤドンが最初に「申し訳ない」と言ったのも、それかな。
今の日本の力なら、そうしたデータの収集整理、そして輸送手段の確保も
比較的容易にできるんじゃないだろうか。
少しの手間で簡単に助けられるはずのことをしないでいるとしたら、
それは確かに「申し訳ない」気持ちにもなる。
 じゃあ、飢餓のこともっと勉強して、みんなにも教えようか。
 「情報の原因」を克服するということだな。
 私たちにとっては、輸入食品に頼らない食習慣も大事そうですね。
 安く手に入るのは、貧しい国の人が犠牲になってのことでもあるかもしれないからな。
 それくらいが精いっぱいかな。
 いくらかは、申し訳ない気持ちも解消できそうか?
 分かんない。
でも、それぐらいしかできなさそうでしょ?


5,参考サイト

 こうしてみてみると、飢餓というのは大変な問題だね。
すぐに解決できるようなものではなさそうだ。
でも、飢餓のことをよく知って、みんなで理解できるようにすることは、
大事なことのようだね。
せめて、みんなで勉強できるように、
参考になるサイトを紹介しておこう。


WFP国連世界食糧計画の公式サイト

Link to top page<http://www.wfp.org/jp
国連機関のページ

 国連唯一の食糧支援機関であり、かつ世界最大の人道支援機関。世界各国に事務所を置き、緊急支援、給食プログラム、社会開発支援などを行う。ニュースレターなどの資料もPDFでたくさん手に入る。



八億人の飢餓
神奈川大附属高校生の研究ページ

 中高生のホームページコンテスト"Think Quest"の、2001年金賞受賞サイト。特定の政治的スタンスが無い高校生がまとめたものゆえ、とてもバランスがよい。WFP日本事務所を訪問するなど、意欲的。



日本国際飢餓対策機構
キリスト教系の民間NGOのページ

 緊急援助のほか、広報・啓発活動に力を入れている大阪の団体。展示パネル貸出、DVD教材頒布など、勉強したい人にとても協力的。



食糧第一

世界飢餓と食糧・食料問題のページ

 食糧・環境・開発問題の改善に取り組むNGO「手作り企画」制作。飢餓に関して誤解されやすい点が解説されていて分かりやすい。



Yahooきっず作文コンクール
「世界の飢餓を考える」生徒作文コンクール

 2006年にWFPが主催した、飢餓に関する小中学生の作文のコンクールサイト。受賞作が掲載されているほか、飢餓についての説明もまとめられている。



国連スクールバス
国連広報センターのページ

 国際連合が、子供のための広報・教育ページとして設けている「国連スクールバス」の中で、貧困を取り扱う授業カリキュラムの提案の一部として食糧問題が取り上げられている。