戦艦「富士」
明治30年8月17日、イギリス・テームズ社で竣工。排水量12,649トン、全長114.2メートル、幅22.3メートル、出力13,678馬力、速力18.3ノット、航続力10ノットで7000浬、主砲300ミリ連装砲塔2基、副砲150ミリ単装砲10基、水中魚雷発射管4門、喫水線装甲457ミリ、甲板装甲64ミリ、砲廓152ミリ、乗員726名。
我が国初の戦艦として国民の期待と誇りを担って購入された。
竣工当時最高のハーヴェィ鋼を使用しており攻守に優れた艦となった。竣工に先立って受領され、明治30年6月14日のヴィクトリア女王即位60周年記念英国大艦隊観艦式に我が国代表として列席し、明治31年の明治天皇行幸の帝国海軍観艦式の際にはお召し艦となっている。
日清間の緊張が高まる最中、「厳島」「松島」「橋立」の三景艦も未完成であった明治24年に海軍は戦艦4隻の建造を帝国議会に出したが解散のため案は流れ、翌25年の第三回議会、第4回議会も否決となってしまった。この時、明治天皇が宮廷経費の一部を下賜し、全官吏も俸給の一部を献ずるように詔勅を下された。これにより予算案が可決され、戦艦2隻、巡洋艦級若干の建造が行われた。戦艦「富士」「八島」はこの時発注された艦である。
日露戦争では、第一艦隊第一戦隊の一艦として常に主要な海戦に参加した。日本海海戦では後部主砲塔の砲眼部に直撃を受け砲塔員多数が死傷した。
大正元年8月一等海防艦となり、同年9月特務艦に分類され長く練習艦を勤めたが昭和20年11月20日除籍、解体された。