海防艦「橋立」
建造は横須賀造船所、明治24年3月24日明治天皇行幸下に命名進水した。
排水量4,278トン、長さ89.9メートル、幅15.4メートル、出力5,400馬力、速力16ノット、備砲32センチ砲1門、12センチ砲11門、魚雷発射管4門。
当時、東洋最強と言われた清国北洋水師「定遠」「鎮遠」に対抗するために作られた特殊艦である。
戦艦と違い舷側装甲が無く、32センチ砲を搭載して「定遠」「鎮遠」の装甲を撃破しようとした。
「松島」「厳島」の2艦はフランスで建造されたが、「橋立」はエミール・ベルタン造船大佐の設計図を元に横須賀造船所で建造された。
当時、主砲の32センチ砲を搭載するクレーンが無く、呉に100トンクレーンを造り横須賀から「橋立」を回航して作業を行った。
日清戦争の黄海海戦では、本隊4番艦として参加したが32センチ砲はたちまち故障し清国艦隊に対する命中弾もなかった。
副砲にイギリス・アームストロング社の12センチ速射砲を採用していたため、清国艦隊に対して手数で勝った日本艦隊は勝利を手中にした。
日露戦争では、すでに旧式化していたため第一線戦力からは外れたが第3艦隊第5戦隊として出撃し、黄海海戦、北方警備、日本海海戦に参加した。
戦後は僚艦「松島」「厳島」と練習艦隊を編成し、海軍幹部の育成に従事し各国を訪問。大正14年廃艦。