装甲巡洋艦「出雲」
明治33年9月25日、イギリス・アームストロング社で竣工。排水量9,826トン、全長121.9メートル、幅20.9メートル、出力14,700馬力、速力20.8ノット、主砲20センチ連装砲塔2基、副砲15センチ砲14門、魚雷発射管4門。
「磐手」と姉妹艦である。日露戦争では、第二艦隊第二戦隊旗艦として上村彦之丞中将が座乗した。
旅順港の攻撃、対馬海峡の哨戒、ウラジオストックの封鎖など千島、樺太まで足を伸ばして奮戦したが、「ロシア」「グロムボィ」「リューリック」などのロシア・ウラジオストック艦隊は日本海から太平洋まで出没し通商破壊活動を行った。
一時は、上村長官の自宅に投石されるほどの苦境に立ったが、明治37年8月14日午後4時30分、ついに蔚山沖にウラジオストック艦隊を発見し猛烈な砲撃戦を展開して「リューリック」を撃沈、他の二隻を撃破した。
日本海海戦では、戦艦主体の第一戦隊が方向転換を急ぎすぎ戦域から離れた時に、果敢に肉薄し打撃を与えつづけた。
第一次世界大戦では、戦艦「肥前」と共にアメリカ西海岸の警戒に派遣され、後に「日進」とともに駆逐艦隊を率いて地中海に派遣された。
太平洋戦争では、シナ方面艦隊旗艦として上海に進出して揚子江にその勇姿を浮かべた。
昭和19年3月、戦局の悪化に伴い内地に帰り呉の練習艦隊に加わったが、同20年7月28日アメリカ軍艦載機の攻撃を受け、至近弾により浸水し転覆、沈没した。
日露戦争以来、常に第一線に立った武勲艦の静かな最後であった。