二等戦艦「鎮遠」
明治14年、ドイツ・フルカン社で進水。排水量7,310トン、全長91メートル、幅18.3メートル、出力6,000馬力、速力14.5ノット、主砲30センチ砲4門、他に15センチ砲4門、発射管3門。
新造当時は清国北洋水師所属の所属艦で東洋一の強力艦であり、チタデルと呼ばれる装甲方式を取り、砲塔・弾薬庫、機関部を356ミリの装甲板で覆っていた。
当時の帝国海軍ではこれに対抗できる有力艦は無く、黄海海戦(日清戦争)において上部構造物は被弾したが主要部には被害が無かった。
30センチ砲は20口径の短砲身のものである。
日清戦争で僚艦「定遠」とともに黄海海戦で被弾し、威海衛軍港で降伏して戦利艦として連合艦隊所属となった。
日露戦争では艦齢20年以上にもかかわらず第3艦隊に所属し、日清戦争当時の連合艦隊主力艦「松島」「厳島」「橋立」とともに第五戦隊を構成し、朝鮮海峡の警戒にあたった。黄海海戦、日本海海戦にも参加し、明治44年除籍され売却された。