二等巡洋艦「浪速」

明治19年2月イギリス・アームストロング社で竣工。6月26日品川沖に到着。日本海軍乗組員で回航した第一号艦であった。
排水量3,709トン、長さ91.4メートル、幅14.1メートル、出力7,604馬力、速力18ノット、備砲26センチ砲2門、15センチ砲6門、魚雷発射管4門。但し、26センチ砲はすぐに15センチ砲に取り替えられた。
日清戦争では第一遊撃隊として出撃し、英国船「高陞号」を撃沈し物議をかもした。
当時、「浪速」は艦長東郷平八郎大佐に率いられ、朝鮮半島豊島沖を警戒中に清国砲艦「操江」に護衛され清国兵士1100人を乗せた「高陞号」と遭遇し、これを臨検し降伏を勧告した。清国兵士はこれに反対し航海の継続を艦長に迫ったため、東郷平八郎大佐は再三降伏を勧告し警告した後に砲撃により「高陞号」を撃沈した。
当初、英国世論は反日一色となったが、ロイター通信の記者が詳細な記事を打電し、国際公法学者のウェストレーキ博士、ホランド博士らが「浪速」の処置の正当性をロンドン・タイムスに掲載すると英国民の反日感情は収まり、東郷艦長の見識と勇気をたたえる声が高まった。しかし、一時は明治天皇、伊藤博文首相をはじめ色を失った事態であった。
黄海海戦では、清国艦隊に肉薄して猛射し、速力の遅い「西京丸」らが敵に囲まれるやその援護に急行し「定遠」「鎮遠」と砲撃戦を繰り広げた。
日露戦争では第二艦隊第四戦隊旗艦として活躍したが、明治45年7月、北海道の測量作業中座礁して沈没した。

戻る