航空戦艦「伊勢」


 「伊勢」はその後度々改造工事を行った。砲戦距離の伸張に伴う戦闘指揮能力向上のため艦橋は鐘楼化し第一煙突の煤煙よけのキャップが追加された。砲指揮所などは度々改装され、高角砲も単装砲から連装砲となり、高射射撃装置が設置された。主缶の交換により煙突が一本になり、連装機関銃などが強化され逐次近代化がはかられ、昭和十年の大改装で主砲仰角は43度に引き上げられ最大射程は35,450メートルとなった。基準排水量は35,800トンとなり出力8,000馬力、速力は25.4ノットに向上した。
 太平洋戦争では36センチ砲12門の火力を期待された「伊勢」型であったが、時代は艦隊決戦から航空主体に移っており「伊勢」の能力を発揮できる戦闘には参加できなかった。


ミッドウェー海戦で主力空母4隻を喪失した日本海軍は海上航空戦力の建て直しをはかり、戦艦の航空母艦への改造を計画した。「大和」型、「長門」型は主力艦として期待され、「金剛」型は高速戦艦であるため構想から外され「扶桑」型、「伊勢」型が候補となったが「日向」が砲塔の爆発事故を起こしていたため「伊勢」型の改装と決定された。全面的に空母に改装した場合、54機を搭載する全長210メートルの空母となることができたが、工期が1年半かかるため断念し、後部の5.6番砲塔を撤去し、格納庫と長さ70メートルの飛行甲板を設置しカタパルトで射出する方式となった。
 搭載機は22機で、水上機「瑞雲」を搭載する予定であったが、昭和18年9月僅か4カ月で改造工事が終わったにもかかららず「瑞雲」の生産は間に合わず、結局その広い格納庫を利用した輸送作戦に使用された。
 戦局の劣性を挽回すべく捷号作戦が決定され、搭載機を持たない「伊勢」は対空用ロケット砲180門、高角機銃104挺を積み込み出撃することとなった。小沢囮艦隊の一艦として昭和19年10月10日、柱島泊地を出撃しフィリピン沖にむかったのである。
 米機動部隊ハルゼー提督に「老練なる艦長の回避運動により、ついに一発の命中も得ず」と言わしめた「伊勢」は、小沢艦隊攻撃に対するハルゼー艦隊の猛攻撃から無事帰還したのである。
 呉軍港に係留された「伊勢」は、昭和20年7月28日米艦載機の集中攻撃を受け被弾。着底し終戦を迎えた。やむなく放棄されることになり軍艦旗を卸そうとしても、旗索が引っかかりなかなかおりてこなかったという。超弩級戦艦として誕生し、改装に改装を重ねた数奇の戦艦の最後であった。

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