井上直幸のシュ−ベルト        1997/6/22

 

 鎌倉芸術館で地元出身の井上直幸のリサイタルを聴いた。実に現代的な明晰なシュ−ベルトだった。だから一種うつろう、茫漠としたシュ−ベルトの像(個人的な見解かな?)とはちょっと異なっていた。しかし、ネクラで、深遠な側面もかいま見られ、なかなかすぐれた演奏だった。 プロは@音興の時 D.780、Aエコセ−ズ4つ(突然当日演奏された)、B即興曲D.899 より第2と第4曲、後半は遺作の3曲のソナタの中のイ長調D.959 。アンコ−ルは5つのワルツ。

 @は6曲の構成で、1曲目はモデラ−ト、ハ長調。3曲目がアレグロ・モデラ−ト、ヘ短調の一番親しみやすい旋律で有名。一番最初に作曲されている(1823 年) 。6番が2番目の作曲(1824 年) 。1曲目を含む4曲が1827年の秋に作曲されている。

 やはり、偶数番に触れなければなるまい。第2番アンダンティ−ノ、変イ長調。変イ長調と嬰へ短調の合交差する形。変イ長調から最初の短調へ移行するまでのわずかな時間は実に貴重だった。今日の白眉だったかもしれない(ソナタのアンダンティ−ノ楽章とともに)。第4番モデラ−ト、嬰ハ短調。早いテンポに驚くとともに、右手のアルペ−ジョの明確さにも驚かさせられた。揺れ動くような軽くはない、ウィ−ンのリズムと浮遊感が嫌がおうにも欲しくなった。中間部のシンコペ−ションの動機が最後に顔を覗かせる絶妙さには、もう、脱帽!

 5番から引き続き、さりげなく演奏が開始された第6番アレグレット変イ長調。「吟遊詩人の嘆き」と当時の出版社がタイトルをつけたというが、まさに詩人のむせびがコラ−ル風の旋律にのって様々な表情付け(転調)を伴って絶え間なく行き来する、シュ−ベルト一流の流儀で締めくくられた6曲目。

 即興曲の間に何か、“ちょっと息継ぎを”という感覚で、愛らしい4つのエコセ−ズを挿入したのだろう。小品に触手を伸ばしたくさせる「くせ」になりそうな誘惑的な演奏。 

 Aの第2番はアレグロ、変ホ長調。グルダのウィ−ン風の演奏スタイルが昔から耳についていたせいか、シュ−ベルト得意の3連譜が流れよりも明晰に一音一音整理され過ぎているように感じられてしまう。中間部の舞曲風の部分でも、リズムガ強調されていてクリヤ過ぎるきらいがあった。コ−ダまでが急ぎすぎではないか?第4番、アレグレット、変イ長調の押さえられた、さり気ないコ−ダに拍手したい!

 それでは、ソナタの方を簡単に。3つの遺作のソナタの中でも、一番シュ−ベルトらしくない、テクに走った作品と言える。1827年シュ−ベルトのリ−トに涙したフンメル(1778~1837) に激励されたためか、実に全体的に明るい雰囲気がおおっている。

 T楽章、アレグロ、イ長調、4/4拍子。ソナタ形式。ちょっとベ−ト−ヴェンを思わせるような男性的第一主題の出だし。展開部は第二主題が発展的に扱われてい進行する。特にコ−ダが深く沈潜していくくだりは圧巻だった。

 U楽章、アンダンティ−ノ、嬰ハ短調、3/8拍子。哀愁の旋律は変奏的に4回、多少俗っぽく歌われる。中間部は幻想的で、まるでショパンを思わせるところもある。哀愁の旋律と書いてしまったが、“哀愁的”どころでは済まされない深淵をのぞかせる演奏だった。

 V楽章、スケルツォ、イ長調、アレグロ・ウ゛ィウ゛ァ−チェ、3/4拍子。跳びはねるような躍動感のある印象的なスケルツォ。トリオは穏やかな、何とも心なごむひと時----。

 W楽章、ロンド・アレグレット、イ長調、4/4拍子。これも俗っぽさが匂う旋律だが、繰り返し聴いていると螺旋的に天上界に近づいていく気がしてくる。この終結の演奏は難しい!

 前半で、“小品が聴きたいなあ!”という思いをさせておいて、アンコ−ルで満たしてくれるこの心憎さ!

 シュ−ベルトの小品も含めて、彼のピアノ曲の魅惑を感じさせてくれた井上直幸の満ちあふれた音楽性に感謝!