渡辺玲子ヴァイオリン・リサイタル        1998/9/20                               鎌倉芸術館

 

 渡辺玲子のリサイタルに大船へ行った。ちょっと彼女の経歴を調べてみると、正に天才少女だ。15歳の時に1981年の日本音楽コンクールで1位。1984年のヴィオッティのコンクールと1986年のパガニーニのコンクールで両方とも1位なしの2位を得ている。アメリカのジュリアードに学んでいる。現在ニューヨーク在住、もっと若く見えたが、もう、当年とって32歳。ク−ルで知的で、音楽は潔癖で完璧。近づき難いところがある。見た感じはそんな印象だ。

 今日は、(1)モーツァルトのK454、(2)ベートーヴェンの「クロイツェル」、休憩をはさんで、(3)ヒンデミットの無伴奏のヴァイオリン・ソナタ、(4)イザイの無伴奏のソナタ6番、(5)ヴィエニャフスキの創作主題による華麗な変奏曲。といったプログラム。

 野平一郎を伴って黒と渋い金の重厚なドレスで、登場。このドレスが袋状になっているデザインで、歩くと、空気が入って、膨らんで、いっそう豪華さを増すつくりになっていた。それに金色のゴージャスな靴。演奏中は多少眉を寄せるような表情で、顎のところが緊張している顔になる。

 モーツァルトの(1)ソナタ第40番変ロ長調K.454。これには「ストリナサッキ」”Strinasacchi”という名を付すこともある。当時のイタリアの女流ヴァイオリニスト、レジーナ・ストリナサッキの名前だ。彼女はモーツァルトに、ウィーンでの演奏会に当たって、共演を依頼し、彼女を高く評価していた彼もその申し出を受け、1784年4月29日に皇帝ヨーゼフ2世の前で演奏している。しかし、その時までに、ヴァイオリンの譜しか書けておらず、モーツァルトは譜面無しのぶっつけ本番で、こなしたようだ。

 実に確固たる演奏振りだ。低音の素晴らしい、とうとう鳴る音色、テクニックは、もう、これ以上望めないレヴェルにまで、達している感じで、ほとんど非の打ち所が無い。今までライヴを聴いてきた中で、最高のテクニックだと思う。難しい箇所でも全く音が不安定にならずに音が鳴りきっているのがすごい。演奏の基本がしっかりしているし、動作に全く無駄が無く、すきも無い。付け入る余地がない。全く完璧といってよいテクニシャンだ。

 それでは(1)。第1楽章、ラルゴ〜アレグロ。ゆったりした、長い序奏に始まる。主和音の強奏に続き、ピアノ〜和音〜ヴァイオリン、そして息の長いヴァイオリンの旋律が奏でられ、二人の掛け合いとなる。モーツァルトは既に、ここで、ヴァイオリニストに敬意を表したつくりを象徴させている。アレグロは心うきうきさせる、軽やかに上昇する第1主題に始まる。流麗な第2主題、ヴァイオリンが歌う第3主題、そしてピアノが鳥のさえずりを模倣したりする。展開部は短いが、二人の即興性が発揮されるデリケートな部分だ。再現部は第1主題を巧みに加工しながら進み、コーダを向かえる。序奏を聴いた瞬間、これはただ者では無いと、思ったが、モーツァルトはやはり、力を抜いた、遊び心のある浮遊感が欲しい。あまりにも、正面切って立ち向かい過ぎだ。渡辺のは完全無欠の潔癖な音楽!

 第2楽章、アンダンテ。美しいカンタービレ!だから、もう少し遅めにテンポを取って欲しかった。まず、ヴァイオリンで叙情的な第1主題が奏される。鳥のさえずりのような悲鳴に似た第2主題。転調された展開部(変ロ短調)はこの世のものとは思われない部分だ。実によかったが、地上の音楽、を免れてはいない。日々のトレーニングによる完璧な音楽をモーツァルトは求めているのでは無く、現実をひょいと自然態で越えていく身軽な超越性が必要なだけだ。

 第3楽章、アレグレット、ロンド。暗くなっているところを、「元気出せよ」とばかりに、そっと、つつかれるような、ロンド主題。愛らしい「つつき」の美学がこの楽章を支配する。3楽章への期待感もモーツァルトの場合は、よくあるが、このロンド主題が回帰するごとに期待感が高まっていく不思議さは本当に絶妙。すごい!。そういうスピリチュアルなすごさではなく、彼女のはフィジカルなヴィルティオージティのすごさだ。ピアノで言えば野島稔を想起させる。

 「クロイツェル・ソナタ」は第9番のソナタで、イ長調、作品47。1楽章、アダージョ・ソステヌート〜プレスト、イ長調、3/4拍子。ヴァイオリンの独奏で始まり、対話形式で、アダージョの序奏部がある。ここは祈りにも似た境地を示す。主部はプレストのソナタ形式。前の曲はいただけなかったが、今度は水を得た魚といった感じで、実に気迫に満ちた演奏が二人からほとばしり出ていた。特に、冒頭、序の部分は印象に残る気迫のヴァイオリン・ソロだった。彼女の常に知的で、クールな演奏態度がベートーヴェンではテンポがプレストになってから前のめりになっていったのが分かる。3楽章でも、そんな場面があったが、機会仕掛けが狂いそうな所こそ、スリルがあって面白い。

 2楽章、アンダンテ・コン・ヴァリアツィオーニ、ヘ長調、2/4拍子。ベ−ト−ベン得意の変奏曲。ピアノにより主題が提示される。第1変奏はピアノが主題を受け持ち、バイオリンは、ほとんど単純に奏でるだけ、しかし実に印象的な音楽だ。第2変奏は反対にバイオリンが細かなフレ−ズを、ピアノは伴奏的に。第3変奏では、短調に転じ、両者とも、少ない音を重々しく奏でる。第4変奏は長調にもどって、少し明るくなる。後半すなわち、3変奏、4変奏、それにコ−ダの前にあるアダ−ジョの問題意識はとりわけすぐれていたと思う。 3楽章、プレスト、イ長調、6/8拍子、ソナタ形式。ピアノ強烈な打鍵に始まる。第1主題がバイオリンに現れ、次にピアノがまねる。第2主題は短調で、バイオリンに現れる。ロンド主題の再現後、やはり短調の第3主題がデリケ−トに現れ、ロンド主題が現れる。実に躍動的で、生き生きした音楽を完璧なテクニックで、聴いたあとの爽快感が残った。しかし、音楽にはテクニックは大切だが、実に重要な要素だが、問題はテクニックだけではない。

 (3)は5楽章構成の短い曲。かなり、テクニックが必要そうな(簡単そうにプレイしているので)活気あふれる音楽だった。静かな楽想の2楽章、ちょっとバッハの体位法を模したような音楽。舞曲風リズムを持つ、3楽章。次の4楽章がよかった。詩情ゆたかな「間奏曲、歌曲」で、この楽章だけはずっと続いてもよいと思った。フィナ−レは目まぐるしく動きのあるテクニカルで練習曲風の曲で閉じた。聴いていると、全体的には地味な印象だが、もう少し取り上げられても良い作曲家だといつも思う。CDでは相当数発売されているので、どんどん聴いてみよう。 

 今までの曲は一応譜面は置いてやっていたが、この(4)だけは完全暗譜で通していた。G線で始まる太い豊かな音の響きのにはやはり本当に圧倒されてしまう。

 (5)はヴィエニャフスキ、19歳のときの作品。しかし、よく演奏される作品だ。名人技の冴えを見せつける作品。こういう曲は疲れているときは眠気をさそう。この路線の延長線上でエンタ−テイメントのアンコ−ルが2曲。マスネ−の「タイスの瞑想曲」とサラサ−テのショ−トピ−ス、「アンダルシアのロマンス」が提供されて、聴衆はうっとりして帰宅した。