東京シティ・フィルハーモニック第153回定期 本名徹次 2001.9.13 東京文化会館

 

 今日など演奏会に足を運ぶどころではないが、気持ちも憂鬱だし、横須賀にいるとよけい問題が身近であり、危機的な実感もしてきて、少々気が滅入っているので、逆に現実逃避をして上野に出掛けてみた。大オーケストラの演奏、4曲ともよかった。

 とは言うものの、11日朝の横須賀米軍基地前の厳重なボディ・チェックの話しを聞いたり、それによって国道16号の渋滞が続いたことなど身近に感じてみれば、とてもニューヨーク、ワシントンだけの話では済まされない。あのワールド・トレイド・センター・ビルに、ハイジャックされたアメリカ自国のジェットが追突して炎上し、もろくも巨大ビルが崩れ落ちていく光景をほとんどライヴ映像で見ていたが、まるで映画の一こまのような感覚だった。(湾岸危機の時はアメリカのパーフォーマンスを見たが、今回は全くアメリカが逆手に取られた)これが現実だとすると、---- 一種、異様である。「事実は小説よりも奇なり」とはよく言ったものだ。ヴァーチャルなこの世界に、より一層リアルな意味をもってこの言葉は響く。ふと、現実であることを自分に納得させると、予想も想像もはるかに越えた次元のテロ行為であり許されるべき事がらではない。とてつもない事件だけに、何が原因で、誰が首謀者なのか、私などは想像もつかない。しかし、これだけの力が今回の事件に結びつくまでには、アメリカの取ってきた世界政策が湾岸危機以来独断的に過ぎたのではないか、また、フォード政権になってから渦巻いていた何らかの力が一挙に噴出した感もする。

 さて、さて音楽界に逃げるとしよう。今日は(1)ジェルジ・リゲティ(1923-)の大オーケストラのための「ロンターノ」[1965-67]、(2)権代敦彦(1965-)のDIES IRAE / LACRIMOSA(怒りの日 / 嘆きの日)[1995](3)ベラ・バルトーク(1881-1945)のヴァイオリンとオーケストラのためのラプソディ第2番[1928]、(4)同じく、組曲「中国の不思議な役人」[1918-19、管弦楽編1923、改1924、1926-31]の4つで、(3)のヴァイオリンは川久保賜紀(たまき)。

 今日、本名徹次(ほんなてつじ)の指揮を聴くのは初めてだ。山田一雄、井上道義に師事。1992年にハンガリーのブタペスト国際指揮者コンクールで1位。95年にハンガリー国立響の東京公演を指揮している。大阪シンフォニカーの常任、名古屋フィルの常任を歴任。ジャパン・チェインバー・オーケストラを設立している。2000年から しらかわシンフォニアの指揮者。プロフィールを見ていると、現代曲を多く取り上げてくれそうな指揮者である。川久保はジュリアードで、かのドロシー・ディレイと川崎雅夫に師事。現在はケルン音楽大学で、あのザハール・ブロンに師事している。(3)の後、拍手に応えてバッハのパルティータ3番の1曲目を披露した。これぐらいのテクニックはほとんど一線の若手ならば身につけていよう。しかし、豊麗な音色は貸与されているストラディヴァリ「カテドラル」によるところも大きいのだろうが、これほどの豊かな音色は久々の体験で、グリュミオーのバッハの録音を懐かしく思いながら聴いた。

 (3)の話しが出たところで、バルトーク、後半のプロから行こう。2曲のラプソディは、ほぼ同時期に書かれていて、どちらかというと、1番の方が、シゲティに捧げられ、チェロ編曲でカザルスも取り上げているので、こちらが有名である。今晩の2番が演奏会にかかるのは珍しい。はじめは2曲ともピアノとヴァイオリンで書かれ、後で編曲されている。曲は第1次大戦前にバルトーク自身がトランシルヴァニアでロマ(ジプシー)のヴァイオリン奏者から録音した素材の旋律がもとになっている。短い断片的な動機の反復その発展という曲作りは西欧の手法から逸脱しており、構成的に彼もかなり悪戦苦闘したらしい。最終版においても不安定感はぬぐえず、それが曲の魅力となっていると今日の演奏を聴いて思った。構成は二つのの部分からなり、ゆったりしたと「ラッサン」、速い「フリスカ」である。若い二人(本名、川久保)はこの実験的な作品をはじめの美しいラッサンの部分からさえ暴力的に響かせていた。フリスカはもっと荒々しいのか、と思っていたらそうでもなかった。とにかくこの2番はこれからもっと演奏されて然るべき曲だろう。

 (4)バレー組曲「中国の不思議な役人」の原作(音楽付きパントマイム)はケルン歌劇場で「青ひげ公の城」とともに初演(1926年)されているが、指揮者イェネ・センカールが出頭を命じられ、1日で中止になったほどのグロテスク且つ退廃的な作品であった。ストーリーは喧騒の都会、きたならしい2階の一室に3人の若いならず者が若い娼婦ミミと一緒にいる。ミミに男を誘惑させ金を巻き上げるのが目的だ。ミミは脅されていやいや窓から男達にモーションをかけていく。最初は老紳士。ミミは彼を可愛いがろうするが、金がないことが分かると3人のならずものに追い払われる。2人目は若い学生。ミミは一目で気に入るが、学生は一文無し。彼も追い払われてしまう。3人目に現れたのが中国人役人。無表情で、何を考えているのか分からない中国人に恐れをなしたミミは逃げまどう。(組曲1927は娼婦を追いかけ回すシーンまで)そこに3人が飛び出してきて、身ぐるみ剥いで、殺そうとする。しかし、息の根を止めたはずなのに、死なない!ナイフで刺されても、拳銃で撃たれても、ミミに襲いかかることを止めようとしない。シャンデリアに逆さ吊りされても不気味な眼光は鋭さを増すばかり。ついに、ミミはあきらめて中国人を受け入れて、抱擁する。すると彼はぐったりとして息絶える。簡単に記すと、こんな扇情的、スキャンダラスなスローリーである。作曲は管弦楽版はようやく1923年にオーケストレーションを完成したものの、翌年全面改定がされ、この年にブタペスト歌劇場で初演が予定されていたが、中止となり、26年に上記の件を経て再び1931まで難行、バルトーク50歳の誕生を記念してハンガリー国立歌劇場で上演されようとたが、宗教的な横やりが入り、実現されず、結局、演奏は彼の死後1945年12月になってからだった。小柄で繊細な風貌で禁欲的な作風と思われがちなバルトークにこのような挑発的、退廃的、不条理的側面があったのだ。音楽も孤高な作風という表情よりも都会的、雑踏的、凶暴化したもので、非常に興味深く聴いた。実に表現主義的で、激しい表情を持ち、大オーケストラの作り出す音響は強烈である。(3)からすでに暴力的とも言える音響を導き出していた、棒を持たない指揮者はより一層精緻に鮮烈にバルトークの一側面を暴き出した。バルトークを深く理解しているからに他ならない。

 前半に戻って、(1)の大オーケストラ作品は南西ドイツ放送の委嘱で書かれた。Lontanoの意味は「遠く」「はるかな」といった風。この曲あたり現代曲の古典かもしれない。1956年にハンガリー動乱で西側に亡命してから約10年を経て、何だか祖国を想った作品なのかな、とも思わせる一種ノスタルジックな叙情性をも感じさせる。また、昔に見た映画「2001年宇宙の旅」の音楽を想い出していた。リヒャルト・シュトラウスやヨハン・シュトラウスに混じって強烈に残っているのがリゲティの「アトモスフェール」(1961)だった。今晩の作品よりも全然硬質なトーンクラスターの響きだったが。今晩、こうして大オーケストラの一人ひとりがほとんど個別にプレイするのを目の当たりにすると、正に近代、現代、その総体が細分化され、解体されていく歴史であることを象徴しているかのようで、音響の甘さとは裏腹に背筋が寒くなった(一昨日の巨大ビルの崩壊のイメージも当然重なっているが、頭からぬぐい去れない!)。

 (2)は少し権代敦彦を理解しなくてはいけないだろう。東京に生まれ、キリスト教文化に魅せられて育ち、メシアン(1908-1992)のカトリシズムの神秘性に影響されて作曲を始めたらしい。カトリックの洗礼を高校卒業後に受けている。桐朋学園大在学中に「ミサ曲」を作曲し、最年少で文化庁舞台芸術創作奨励特別賞を受賞。桐朋の研究科終了後、独、仏、伊で研鑽を積む。末吉康雄、ニコラス・A.フーバー(1939-)、マヌリ、シャリーノに師事。オルガンをサットマリーに師事した。今はパリ、東京を中心に活動しているという。

 以前にシャリーノと自作をコーディネイトした一晩を見聴きしたが、数字の象徴性が強調されたりして形式的だなあと感じた部分が多々あったが、カトリックの文化の影響を受けていることを知ると、なるほどと思う。その時も感じたが、演奏と限定して言っていいかわからないが、空間の表現がユニークだ。今日もオーケストラは4つに分かれていて、ステージ中央のピアノ、ハープ、ティンパニ、パーカッション、ホルン4、トロンボーン3、テューバがメインで、その左右に対称的に小オーケストラ:前に出たトランペット、フルート、オーボエ、クラリネット、ファゴット各1、それに弦4部とパーカッション群、特にチャイムとムチが活躍していた。そして、1階後ろに4人、フルート、トランペット、ヴァイオリン、パーカッションが配置されていた。外面的な形式というのは現代では軽んじられやすいが、形式の実効性、力というものも考えて行かねばならない、と思った。内容と形式のバランスが取れている点で、この作品は彼の代表作の一つだろう。オレンジ色のTシャツを着た作曲者が指揮者にうながされてステージにかけ上がり、拍手を受けた。