2004/10/23〜

SUDA’sHomePage「ツーリング&キャンプ・レポート番外編」
新潟県「中越地震」
〜大きな地震の小さなコミニュティー〜

 

2004年10月23日午後5時56分

まぁ、ビックリしたなんてもんじゃない。
これに比べたら今までの三十数年のビックリなんてビックリじゃない。

事が事だけに大きな記事等はいくらでも見つかるであろう。
よって、オイラがここで紹介するのは
を中心にの周りでの出来事、
被害状況なんかを軽〜く紹介する。

 

当日、夜勤明けのオイラは寝もせずに過ごしていた。
午後7時からの飲み会の為にシャワーを浴び
着替えを済ましPCにてメールチェック。
PCの電源を落とし当時6時から放映中の
「ガンダムSeed」を見ようと立ち上がろうとした
その瞬間!!

 

ドカン!!

 

ときたもんです。

 

つまり、「ガンダム」の放映が無けりゃ外へ非難した時、
丸裸だった可能性大です、俺。
ありがとう、サンライズ。

 

正直、この時俺が思った事。
@宇宙人強襲!!
A北挑戦の東京角攻撃!!
射程足らず三国峠へ。
B大型トラックのカチコミ。
C地震

 

さて、@〜C番のどれだったでしょう??

 

 

正解・・・@〜Cの順番にマジメの思った。
まず、窓の外を見る。
宇宙船&ミサイルの飛んでいない事を確認。
ここで@Aが消えた。
広範囲での停電確認。
B消えた。
「マジかよぉ〜〜。」
とつぶやきながら階下へ駆け下りる。

台所で三女を背中にした嫁が次女と抱き合っている時に
第二波。

できたて熱々の寄せ鍋が落ちない様に抑えながら耐える。
揺れが収まったところで居間の長女を確認。
なんと、倒れたタンス、TV、食器棚などの隙間に
おとなしく座っている。
ありがとう神様。
その状況を見て思わず出た台詞。
「何やってんだ!!オメェー!!」
何もやってないのに怒鳴られた娘は何を考えてたのだろう・・・。

 

何とか家人全員、野外へ脱出。
そこへ第三波。

家の中と違い捕まる所が無いので皆コロコロと転んでしまう。
周りの山々が物凄い音で鳴っているのがわかる。

外へ逃げたはいいのだが、どうすればいい?
落下物の無い所へまずは非難とすぐ近くの駅の駐輪場で
隣近所の人達と集まり怪我人等いないのを確認。
家の前の工場駐車場は液状化していて使えない。

揺れの合間をぬって家に潜入。
使えそうなモノをわずかだが運び出す。
冷めないうちにと寄せ鍋も勿論持ち出す。
その時、俺の視界に入った白い物体・・・。

 

「堀之内町消防団」

 

と書かれたヘルメット。

「・・・行かねば・・・。」

ヘルメットを頭にガレージの前に立つ俺。
シャッターはゆがんでいる。

!!

足技一閃

まだだ。
2発、3発と根性を入れなんとかシャッター説得に成功。

バイクは皆転んでいる。
VTRは先日のモツ焼きで使った発泡スチロールの上。
傷無し、ガス漏れ無し。
ほおっておこう。
KSRはフロントが僅かに横を向いている。

!!

足技一閃

よし、治った。
すかさずエンジンスタート!!
こんな時でも調子のいいエンジンだ。

 

そして、見守る家族を背に漢は村の消防小屋を目指して旅立った・・・。

 

 

 

何か、これ以上書いたらクレームがきそうなので止めます。
文章的には比喩的表現が多々ありますが、
発生〜2時間位での俺の出来事。
嘘は書いてません。

この後、10日間程非難及び消防活動。
発生から三晩くらいは不眠でした。

KSRの活躍ときたらそりゃもー凄いモノでして、
電話は使えないので情報伝達、
車が入れない道では偵察へ。
夜間の不審者対策の夜回りなどなど
伝説を残しました。
ありがとうKSR。

 

ここからは画像をおりまぜて。

 

発生から3日目、26日の画像。
オイラのPC部屋。
手前がPCデスクなのでオイラも漫画本など落下物かぶっていたのがわかる。
数cm後に鏡台が・・・。
プリンターが落ちてこなくてよかった。
寝室。
普段から汚い部屋が更に凄い事に。
TVが落ちていたり、二段ベットも50cm以上ずれている。
落ちて壊れた時計。
見事に5時56分で停止していた。
27日早朝、小学校の消防団待機テント内。
発生後4日目位で新聞が配られた。
初の情報源だったので皆が食い入るように見ていた。
消防活動の合間を見て隣町まで歩いて偵察。
川口町の和南津地区にて。
オイラの家から山道歩いて30分位。
偵察の帰り。
この数分前にも大き目な余震が有りビビリながらもここを歩いて帰った。
運の無い黒猫が落ちていた。
国道17号線、歩道より自分の家を眺める。
電柱が皆斜めになっているのがわかる。
目前の車と人々はNHKのスタッフ。
ここはJR上越線の土砂崩落現場(↓画像有り)の目の前である。
30日深夜、前出の消防待機テント内。
一週間も過ぎると人員もまばらになり、物資も充実。
情報源としてTVもある。
堀之内町最後の晩餐。
翌日、近隣6町村合併にて「魚沼市」誕生。
祝宴のツマミが救援物資(のあまり)なので・・・。
11月7日
発生より二週間後。
KSRに乗って近所を見回り。
マンホールは全て浮き上がっている。
ここはまだマシなほう。
道路の寸断箇所。
ひび割れ多数。
橋は周りが沈下する為、浮いている様に見える。
KSR、落ちちゃいそうですね。
完全に崩落、寸断。
コーナー直後で突っ込みそうになる。
上越線の土砂崩落現場。
家から200m程離れた所。
JR北堀之内駅ホームより。
ここも崩落してますね。
線路がうねってます。
「土石流ダム」で有名になった竜光地区にある山。
側面が全てくずれて丸裸。
この地区は25歳位までオイラが暮らしていた所でもある。
 
ここからの画像は国土地理院より無断にて失敬。(26日までの速報地図)
Aの青丸の地点がオイラの家から200m程の地点。
震源地から3km程しか離れていない事にこれを書いている今更気付く。
X・・・震源
黄三角・・・土砂崩れ
赤丸・・・新幹線脱線
詳しくは
国土地理院中越地震関連へ。
A青丸地点
B青丸地点
C青丸地点

 

 

この記事を書いているのが、2006年5月。
すでに1年半以上経過している。
今だからこそ冗談交じりで話もできるが、
当時はとてもそんな気分ではなかった。
そんな中でも方々から励ましの電話やメールを頂くと
頑張ろうって気合の入ったものです。
応援くださった方々に感謝。

 

教訓

こんな非常時は一人では何もできません。
家族⇒隣近所⇒近隣地域⇒
という様に小さいところから協力しあう事が大切。

冷静に。
翌日、床についた血痕を見てもあわててはいけません。
自分の血だと恥ずかしいでしょ。
(気付いてなかった俺)

普段から備えておきましょう。
万が一の為にとキャンプ道具を揃えるのもアリです。

小さいバイクは勝ちです
万が一の為にと・・・。(・・・調子にのってきた。)

 

 

ここに掲載した事はほんの一部分でしかありません。
詳しい話やマジメな話が聞きたい人は
いつかお会いした時にでも・・・。

 

 

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