附録-

百名山やまある記  

                               目次 (1)大朝日岳(2)石鎚山(3)祖母山

 

本ホームページのサブタイトルにあるように、深田久弥選定の「日本百名山」のうち印象に残っているいくつかの山についての「やまある記」を書きます。冒頭から第3章までのようなストイックな長い前置きを加えることで、凡庸な百名山記にアクセントをつけようというのが筆者の目論見であります。週末に河原でバーべキューをやることが主のアウトドア愛好者とも、岩場でフリークライミングをきわめる本格的登山者とも一線を画する「週末・山のぼらー」の視点で、名だたる百名山を記してみたいと思います。

 筆者の登山スタイルは、マイカー利用で車中泊・早朝登山開始というかたちで、当初は4ドアセダンの自家用車利用だったので単独行がほとんどです。マイカー単独行の利点はなんといっても決まった予定を立てないことで、当日の天候次第では東北方面の山行をいきなり四国方面へと変更することができます。百名山なら登山者も多く、道に迷う心配もありません。ただ単独行は無理をしがちで、8月の晴れた午後、日程を短縮した挙句、剱岳山頂からバテバテで真っ暗闇の登山道を下り午後7時過ぎにようやく剣山荘にたどり着いたということがありました。

 

(1)大朝日岳   〈1996年7月〉

 山登りも経験を積むと木を見て、森を見て、山を見られるようになるという。筆者のレベルでは山頂に立って景色を眺めることが一番の楽しみだが、山登りのベテランともなると登山道の周りに生えている木々を観察し、その場所の標高を見極めながら山歩きを楽しめるという。むしろ森林歩きのほうに興味を持つ登山愛好者もいるのだ。日本の山はブナ、ダケカンバ、サワグルミ、ナナカマドなどの広葉樹やシラビソ、スギ、カラマツなどの針葉樹が一定の山域に棲み分け、あるいは混在して非常に豊かな山林を形成しているが、筆者はそれを楽しめるほどの域には程遠い。ただただ稜線をめざし、ひんやりとした森の中の登山道をもくもくと登るだけだ。        

 朝日連峰の日暮沢登山口に夜中のうちに入った。日暮沢への林道の入口は幹道沿いに案内標識がなく、安易に朝日岳に入ろうとする者を拒んでいるかのようで登山者に媚びない姿勢には好感がもてる。車中で仮眠後、早朝5時前に出発。ハナヌキ峰側登山道から取り付き、まずは小朝日岳を目標に上り始めた。ヒナウスユキソウが咲く時期をねらってやってきたが、ほかに登山者を見ない静かな山歩きとなった。稜線にたどり着いて直ぐ脇にある水場の湧き水のうまいこと。これまで飲んだ水の中で一番うまいと感じたのはこの水だ。山頂近く の雪解け水である金玉水や銀玉水は実際には飲めたものではなく、山腹の湧き水のほうがその生成過程からみてもうまいのは当たり前だろう。小朝日岳直下の登山道脇にはヒメサユリが咲いており、ふと立ち止まる。12時に大朝日岳山頂肩に到着。山頂までピストンしたが、山頂直下の稜線周辺にはヒナウスユキソウが群生し、そのあと竜門山分岐までの間いくつもの群落をみながら歩くことができた。中岳から振り返る大朝日岳は見事なピラミッド型の山容で、肩にある大朝日小屋がワンポイントになっている。稜線の登山道から今日の登山口の日暮沢方向を眺めると、尾根の森が一直線に下っており、ふもとはそれほど遠くに見えない。北西の方向には、以東岳方面へと続くどこまでもふところの深い山塊が連なっていた。朝日連邦の主稜線を竜門山で分かれ、日暮沢へと下り、午後6時頃やっと登山口にたどり着いた。

 前日の月山に続き2日連続の日帰り登山だった。この日、念願の朝日連峰に一部だが触れることができて大変満足しながら下山した。前年、仕事で鶴岡市に来ており、はるかに望む月山や鳥海山に思いを馳せたものだ。素泊まりの小屋しかない山域のひと気のない静けさというのもまた良い。麓の大井沢という集落に花柳幻舟の大衆演劇のための芝居小屋があったのには驚いた。幻舟といえば、家元制度に反旗を翻した人物で、70年代頃に前衛的活動で脚光を浴びた創作舞踊家だが、どのような所以でこの朝日山麓との関わりがあったのだろうか(その後閉鎖されたとのこと)。その年発行の昭文社の山岳地図ではまだ載っていなかった非常に道幅が広い立派な舗装道路が山形盆地方面側へ貫けていたのにも驚いた。

今回の山行以降しばらく山形県周辺の百名山シリーズが続き、翌年に蔵王、飯豊山、翌々年に鳥海山を登った。なお、朝日岳登山の帰路の外来入浴には、寒河江市南側の中山町の国道112号線沿いにある「ひまわり温泉・ゆらら」が夜9時まで開いていて、日帰り組みには都合がよい。

  

 

 

写真 ()ヒメサユリ  ()大朝日岳   ()ヒナウスユキソウ 

                                                           

 

(2)石鎚山   〈1999年5月〉

 筆者はマイカーで移動する登山アクセスが圧倒的であるが、正直言って心に引っかかるものがあることは否定できない。マイカー登山は、渋滞さえなければ時間を計算でき、待ち時間が少なくなり便利だ。電車で行ったとしても駅から登山口までは、バスかタクシー利用になる。結局、これからも車を利用し続けることの罪悪感から、SOxやNOxなどの排ガス汚染度がより少ないとされる直噴ガソリンエンジン車(車種はシャリオ)に変えた。道路がすいている夜中に走行するので燃費も良いはずだ(しかし一番自然環境に良いのは車に乗らないことだが)。一つひとつの行動の際には、必ず自然に対する衝撃がより少ない方の手段を選択するというローインパクトの原則を守ることで、ご容赦願いたい。

 筆者の居住地から石鎚山までは、新幹線を利用してもその日のうちに登山口まで入ることは難しい。そこで夕方に車で出発、明石海峡大橋を渡って徳島県から四国に入り、まず剣山に寄ってから石鎚山に向かうことにした。剣山は登山口からほとんど汗をかくこともなく山頂に立てるが、眺望は四国山地の背骨を思わせるような景観で、どこまでも尾根伝いに歩いていきたくなるような気持ちにさせる。途中、貞光から剣山までの山中を貫く国道438号線は、道幅が狭いところに大型観光バスが往来し通り抜けに難儀して、ついには立ち往生する一幕に遭遇してしまい、持ち合わせの水と食料だけで大丈夫だろうかと本気で思ったほどだ。香川から愛媛に通ずる海沿いの国道11号線は夕景の中に時折島影が望まれ、これぞ瀬戸内海の景色と感慨深いものがあった。夜9時過ぎに石鎚山麓の下谷に到着、車中泊で翌日に備えた。

 石鎚山には古来からの登山口である成就から入山したが、石鎚神社成就社まではロープウェーを使うのでらくらくである。かなたに山頂を望みながら歩き始めるが、さすが修験者の道だけあって、ただの登山道という気がしない。中間点付近にある全長74メートルの「試しの鎖」に取り付いたが、ひたすら鍛錬のための時間であったという感想が残った。後ですぐ脇にゆるやかな登山道があることに気づき、えらい遠回りをしてしまった、と思うのは不謹慎だろうか。石鎚山は北側斜面にスキー場があり、冬は気温が低く降水量も多いためブナ林が発達している。登山道脇に気に入ったブナを見つけたので、幹に近づき枝ぶりを見上げてみた。樹林帯をぬけてササ原に出ると、山頂一帯が目前に現れた。天候に恵まれ、徐々に近づいてくる山頂直下の荒々しい岩肌がくっきりと見え、胸が高鳴る。「一の鎖」「二の鎖」「三の鎖」と、鎖場は避けずに取り付き、山頂の弥山に到着した。連休中のため山頂はたいへんな人だかりで、腰を下ろす場所もままならない。天狗岳の少し先まで歩いて振り返り、早々に下山した。

 午後3時過ぎには駐車場を出発。JR石鎚山駅の近くにある湯ノ谷温泉という日帰り客が主体のひなびた一軒宿に寄り、一風呂浴びた。バイクツーリングの客もかなりいて観光客と地元の高齢者で大賑わいだった。帰路も明石海峡大橋経由のルートを通ったが、近畿以東から車で香川県を除く四国3県へ向かう場合は、瀬戸大橋経由は意外と遠回りになるので、走行距離も通行料も明石海峡大橋経由の方が割安になるようだ。

 

写真 (左上)石鎚山への道 ()天狗岳を振り返る (左下)ブナを見上げる

 

 

(3)祖母山   〈1998年8月〉

 別府に用事があった帰りに祖母山へ行った。寝袋とガスコンロを用意していたのだが、羽田空港で荷物をうっかり機内持ち込みにしてしまったので探知機に引っかかり、ガスカートリッジを没収されてしまった。後日さてこれから豊後竹田まで行くぞというときに、キャンピングガスのカートリッジを売っている店を探さなければならない。タウンページをめくるとどうやらJR西大分駅近くの「山渓」というアウトドアショップにあるようだが、買い物を終えて豊肥本線でJR豊後竹田駅についたときには、祖母山登山口の神原(こうばる)へ向かう最終バスの時間を過ぎていた。かなりの出費になるが、タクシーで登山口へ向かう。竹田市(「たけた」と読む)は瀧廉太郎ゆかりの地で、武家屋敷や旧跡を多く残す観光地だ。人口は1万8千余りのこじんまりとした市だが、さすが歴史のある街で住民は地元に誇りを持っているように見える。タクシーのドライバーは「最近、祖母山に登りにくる県外の人が増えた」といっていたが、タクシーだけでは食っていけず、普段は農業をしているとのことだった。車は林道の終点まで入れたので今日はあと20分歩くだけだが、既に森の中は薄暗い。五合目小屋で宿泊したが、星明りも見えない避難小屋の中は真っ暗闇で、近くの川の流れる音が良く聞こえた。

「祖母山にはクマが出る」と以前同じ職場にいた宮崎県出身の女性に聞いていたので、念のために小さなカウベルを購入しザックに取り付けた。これが結構うるさく、普段は中にティッシュを詰め込んで消音している。翌朝、身支度を整えて小屋内を片付け、安堵してしかも無料で宿泊できたことを感謝しつつ出発。この登山道には営林署などが設置したいろいろな掲示板があり、祖母山一帯の植生の勉強になる。たしかブナやミズナラの原生林のことが書いてあったとおもうが、筆者にはどれがミズナラかよく分からない。急登を抜けると国観峠の明るい広場に出た。ここで始めて山頂付近が見渡せる。再び森の中の道となり間もなく山頂に到着。あいにくガスが出て展望はなかったが、岩肌がのぞく険しいピークが連なっている稜線の景観を想像してみる。祖母山は百名山の中でも観光地化されていない方に属するのではないかと思うが、過疎地域に位置し、スキー場開発にも適さない地勢で、著名な温泉も周辺山域に見当たらないところから、これからも俗化することなく今のままの姿を残していくことが期待できる貴重な山だ。筆者にとって祖母山は九州で最初の百名山でもあったが、また別の山に登って、違う土地に行ってみたいという意欲が湧いてくる。

 下山の途中、雨でえぐられぬかるんだ登山道でスリップして、膝頭が泥だらけになってしまった。しかたがないので五合目小屋裏の小川でズボンの洗濯をし、歩きながら乾かすことにした。ところで祖母山登山口までのアクセス道路は森の中の林道だと思っていたら、道幅は主要国道並みの立派な広域農道になっていた。麓の神原集落までの約3キロメートルの間、すれ違った車は4,5台。地方は人口一人当たりの公共投資額が高いのは、領域面積規模からやむを得ないとしても、対費用効果を考えると何か別の理由が必要だといいたくなる。物価が高いうえに、住宅も狭く住みにくい都会を離れて、地方へ転居しろというところか。竹田市営バスに乗って駅に向かった。学生と高齢者と観光客が頼りにしている公営バスの維持にも、大変な国の税金が投入されていることだろう。どうやらズボンも乾いたようだ。別府行きの特急列車にはまだ時間があったので、竹田市の町並みウォッチングをした。廉太郎トンネルあたりの観光スポットまで足を伸ばす。周辺を丘が取り巻いていて、なるほど殿様が居を構えるにふさわしい地形であることに気が付く。往時の武家屋敷がそのままの配置で今日の町並みに入れ替わったのであろう。豊後竹田駅周辺には日帰り温泉はなく、別府まで戻って駅前の公衆浴場を利用した。

写真 (左上)国観峠からの祖母山 (右下)豊後竹田駅前の竹田橋付近

 

 

 

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