ダメ人間の定義
記念すべき第一回目の駄文では、こういうページの管理人の責務として、私自身のダメ人間観を述べておかねばならないだろうと思ったため、私なりのダメ人間の定義について述べようかと思ったのだが、私はダメ人間らしく論理的思考能力に欠けており、また下手な文章しか書けないため、上手くまとまるかどうか不安ではある。まあ、こういった問題は各個人によって基準が異なるもので、私の定義に多数の人が納得するかどうかには疑問はあるのだが、一応最大公約数的な見解を示すことはかろうじてできるのではないかと思い、以下に主に私にあてはまるダメ人間の条件(と私が考えているもの)を列挙する。
(1)解決すべきことを先延ばしにする。・・・・・これはそれほど異論はないだろう。
(2)自分に甘く、同じ失敗を何度も繰り返す。・・・・・これも異論は少ないだろう。
(3)無職だが呑気に構えており、惰眠を貪っている。・・・・・まあ、私は現在2年前に就職した会社に現在も勤めているのだが、これが私にとって初めての定職で、当然のことながらその前は長期に渡って無職だったわけである。無職の頃は自由になる時間がふんだんにあり、流石に多少の恥ずかしさはあったものの、毎日なかなか楽しく、金の心配さえなければ今すぐにでも無職に戻りたいくらいである。ヒトラー政権下のドイツなら労働忌避者として収容所送りになるだろうし、貧困に喘いでいる国ならとっくに死亡しているところだが、こうして国家権力や社会的圧力に拘束されることもなくのうのうと生き延びてホームページを作成しているのだから、私も大いに不満はあるし先行きに大変な不安を抱いてはいるものの、現代日本はやはり(過去の諸国家も含めて)他国と比較して恵まれた国家・社会であり、常日頃私が悪口ばかり言っている自民党政府も(歴史上のものも含めて)他の権力と比較すると良好と言える部類に入るのは認めざるを得ないだろうし(だからと言って、自民党政権の在り様を認めて良いということにはならず、あくまでも他との比較を通じての評価である)、また現代日本に生まれた私は運の強い人間なのであろう(そう言えば、あるページで50近い質問に答えたら「あなたは運だけの人です」という結果が出たことがあったな)。運だけの人間というのはいかにもダメ人間らしいが、運を信じることこそ重要だ、と私の尊敬する山野浩一先生も仰っていたし、生きていく上で運が才能や人格と少なくとも同程度には重要なものだとは言えるのではないだろうか。
(4)貯金はほとんどない。・・・・・これもほとんど異論はないだろう、と言いたいところだが、道楽者やどら息子はダメ人間だが金には困っていないなあ。まあだが、大抵のダメ人間は金欠状態なのであろう。
(5)友人、知人が少ない。・・・・・そもそも、友人や知人の定義が各人によって異なるのだろうが、それはさておき、これは、必ずしも多くのダメ人間に見られる特徴ではないかもしれず、皆さんの意見を伺ってみたいところである。私にも、一応友人と呼べる男性が二人いるが、相手が私を友人と思っているかどうかは定かではなく、私のことをただの知人としか思っていないかもしれない。知人は、他の人と比較して明らかに少ないと思う。最大限見積もってもせいぜい30人といったところか。
(6)全てに中途半端で何一つモノになっていない。・・・・・恐らく私の最大の劣等感はこの点で、他人に自信を持って自慢できるものは皆無である。私はオタクなので(両親からもはっきりそう言われた)、一般人よりも詳しい分野はいくつかあるのだが、それらの中のどの分野でも一流とは到底言えず、全くもって狭く浅くというべきか。広く深くというのが理想だがこれは到底無理なので、せめて狭く深くというところまで持って行きたいが、ダメ人間なので恐らく無理だろう。
他にも色々と思い付いたのだが、取り敢えずこれで止めておく。ダメ人間の定義について皆さんから御意見をお寄せ頂ければ幸いである。しかしまあ、初回から全く纏まらない文章になってしまい、きちんと読んでくれる人がいるか不安である。