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いい加減な古代史考察・時期区分編

序文
 以下に述べるのは、私の古代史の時期区分についての常日頃の雑感である。なぜ古代史について書こうかと思ったかと言うと、他の時代より好きだからというのもあるが、毎日更新している日記に対して駄文の方はあまり更新していないから何か書いた方が良いだろうと思ったからでもある。この文がきっかけとなり古代史好きの人も訪れてくれると良いのだが、この程度の駄文ではそれはおこがましい期待か・・・。
 まあ、勉強不足でほとんど素養もない素人による底の浅い思い付きなので、多少なりとも古代史を学んだ人からすれば事実誤認やとんでもない解釈が随所に見られると思うが、そうした誤りは掲示板やメールで御指摘頂ければ幸いである。尚、正規の論文ではないので注は付けない(ダメ人間らしくいい加減だね)。まあ大きな問題を扱うだけに、極端な話、今まで読んできたほとんどの本を参考にしているとも言えるし、そもそも引用や論拠がどの本や論文によるものか把握できない場合が多いだろうから注を付けようにも付けられないというのもあるが。参考文献は、頻繁に参照したものをいくつか挙げることにする(本当にいい加減だね)。

時代区分
 果たして、古代・中世・(近世)・近代・現代という時代区分を世界史において設定するのは妥当なのだろうか?なぜこのような疑問を抱くかというと、そうした時代区分は単なる年月による区分ではなく、古代史は奴隷制で中世は封建制といった何らかの社会を規定する共通した(しているように思われる)重要な特徴を見出して分類した区分であり、帝国主義時代(19〜20世紀)以前の世界に、そうした特徴を世界の主要地域で共通して認めることができるのか?と思うからである。勿論、歴史とは人間の営みなのだから、何らかの共通項を見出すのは容易であろうが、それが時代や地域を問わず広く人間社会全般に共通して認められる特徴であれば、わざわざ時代区分を設定する必要はない。こうした時代区分を重視して歴史を解釈する人の中には、特定の年代に特有の重要な共通項を見出しづらいためか、アジア的生産様式などといった用語を造ってまで特定の年代に共通の重要な特徴を見出そうとしており、異なる事象や物質の間に類似性を発見し研究するのが科学(歴史学も、人文科学に属する立派な科学である)の基本とはいえ、これでは我田引水であろう。
 そもそも、こうした時代区分はルネサンス期の欧州に由来し、当時の知識・文化人は、ギリシアの諸ポリスやローマ帝国の栄えたいわゆる古典古代を理想として、(当時の人々にとっての)現代を理想が復興されつつある希望に満ちた時代、現代と古典古代の間を暗黒期と考え、古典古代を古代、ルネサンスが始まってから現代までを近代、その中間の暗黒期を中世としたのである。ルネサンス期以降の歴史家は、それぞれの時代に、相互に異なり尚且つ重要な社会・経済・政治状況を認めてこれを歴史的な時代区分とし、その流れを受けて上述した現在の時代区分が広く認められるようになったのである。
 だが、ここで種々の状況を比較する対象となった地域はほとんどが欧州であり、奴隷制や封建制といった用語も欧州の歴史状況を分析してこれを説明するために用いられた概念である。その概念を敷衍して世界全体の歴史状況を説明しようとするとどうしても綻びが生じてしまい、上述したような我田引水が行われるのも当然だろう。
 では、帝国主義時代以前に時代区分を設定するのは無意味で、それ以前の世界史は地域(小世界)史の寄せ集めに過ぎないのかというと、そうでもないと思う。この項の最初で私が現在の時代区分に疑問を呈したのも、それが欧州偏重のものだからであり、特定の年代(多少のズレはあるにせよ)に特有の共通した重要な特徴を世界史に認めることはできるのではないかと思う。その理由は、帝国主義時代以前といえども各地域間の交流は盛んであり、相互交流により文化・技術・思想・法律そして恐らく政治制度や社会制度や軍事制度も相互に伝播していったであろうからである。本来ならここで新しい時代区分を示す用語を造るべきだが、そうした大それたことはダメ人間にできるはずもなく、古代・中世・近代といった用語は取り合えずそのまま使用することにする。

古代史の開始時期と特徴
 では、各時代には具体的にいうとどのような特徴が認められ、またその時期はいつ頃からいつ頃までなのだろうか?この駄文では古代史を扱うので、ここでは、古代史と、古代史を際立たせるために中世史も少し考えてみることにするが、中世史は一先ず措き、古代史に限定して考えてみたい。
 歴史というと、広い意味では人類誕生からを、狭い意味では文字が使用されるようになってからを扱うことが多く、古代史の開始時期は後者に設定されることが多いが(それ以前は先史時代)、この駄文でもこれに準じ、必要に応じて文字使用以前についても考えようと思う。当然のことながら、地域ごとに歴史状況が異なるわけで、相互交流が後代ほど密ではなかった古代においては、地域間の発展段階の相違も大きいということになるから、古代史の開始時期や終焉時期を全世界一律に設定することは到底できない。また、史料・考古学的遺物の少なさから、終焉時期よりも開始時期を特定する方が困難だが、主要地域の古代史開始時期は、メソポタミアが紀元前4000年期(紀元前4000年〜紀元前3001年)半ばから後半、エジプトが紀元前4000年期末、ギリシアが紀元前3000年期前半、インドが紀元前3000年期半ば、中国が紀元前2000年期半ばといったところであろう。
 古代史がどのような特徴を持った時代か具体的に述べるのは難しい。年代が下るにつれ技術も発展し、そのため相互交流が活発になって相互作用が大きくなり、共通した特徴を見出しやすくなるが、年代を遡るとその逆が言えるからである(勿論、地域によっては、以前より交流が衰退した、という逆転現象が起きた時期もあっただろうが)。
 政治史的には部族(氏族)共同体→都市国家(普通、ここからが狭い意味での古代史の開始時期とされる)→領土国家→中央集権的大帝国(古代帝国)、軍事史的には原始的集団戦→戦車(勿論、近現代の戦車=tankのことではなく、馬に車輪の付いた乗り物を引かせたもの)戦→集団(重装・密集)歩兵戦、技術史的には磨製石器→青銅器→鉄器、という大まかな流れ(特徴)が主要(先進)地域では共通して認められるように思う(勿論、主要地域でもそれぞれ相違があるから例外はあり、それが多様性なわけである)。他には、現在にも大きな影響を有する宗教や倫理(仏教、キリスト教、儒教など)がイスラム教を除いて出揃ったこと、歴史を認識し史書が編纂されるようになったことなどが特徴として挙げられるだろう。
 経済・社会史的(この分野に関してはほとんど知識がないため、本当にいい加減なことを言っているかもしれない)には、獲得経済の原始共産制→農耕・牧畜の開始による富の蓄積に伴う私有概念の発生→灌漑農業などの大規模事業が行われる中での階級分化→技術革新による生産力向上と私有化の一層の進展に伴い奴隷制社会の誕生、という図式が描かれることが多かったが、私有概念が農耕・牧畜の開始前には存在しなかったか疑問があるし(厳密な意味での古代史からは外れる問題だが)、ギリシアやローマをモデルにした奴隷制度をその他の地域に当てはめるのは難しいと思う。身分や階級の細分化、交易や手工業も盛んではあったが、都市(国家)単位では例外があるが地域経済の基盤は圧倒的に農業に置かれていた、というのが主要地域で共通して認められる特徴だと思う。

中世の特徴と古代史の終焉時期
 次に古代史の終焉時期はいつかということになるが、この問いは、中世史の開始時期はいつかという問題でもあり、答えを導き出すには、古代と異なる中世の特徴を見出すのが有効であろう。では古代と異なる中世の特徴は何かというと、軍事史的には騎馬戦全盛期であり、従って騎馬民族の全盛期ということでもあるが、その頂点をなすのがモンゴル帝国である。文化史的にはイスラム教の誕生と興隆なのだが、イスラム教が西アジアから北アフリカを通じてイベリア半島まで勢力圏を拡大し得たのには、教義の魅力もあろうが、イスラム教徒がアラブ馬を用いての騎馬戦に熟達していたのが最大の要因だと思う。
 政治史的には古代帝国(ローマ、漢、ペルシアなど)の崩壊と封建制の確立と言われることが多いのだが、先進地域では古代帝国崩壊後も中央集権志向(中国がその典型的な例である)の強大な帝国が成立しており、封建制(もどき)が成立したのは、古代帝国の影響が及ばなかったり希薄であった日本や地中海を除く欧州のような後進(周辺)地域であったように思われる。経済史的には、古代都市・商業の衰退と貨幣流通の減少による不景気が言われることが多いが、これは欧州に偏った見解かもしれない。
 次に、上述した古代の特徴と中世の特徴を比較しそれを踏まえた上で、具体的に各地域ごとの古代史の終焉時期を考えてみたい。先ずは古代と中世における主要(先進或いは中心でもよいが)地域であった西アジアと中国について考えてみる。西アジアにおいては、古代帝国のササン朝ペルシアが7世紀半ばまで存続したが、これを滅ぼしたのは、多数のアラブ馬を用い騎馬戦術で圧倒したイスラム教徒であるアラブ人であった。従って西アジアは、7世紀半ばが古代史の終焉時期であり中世の開始時期だと思う。8世紀前半までにアラブ人に征服された地中海沿岸の北アフリカ及びイベリア半島は西アジアにやや送れて中世が開始したと言えよう。インドは、グプタ朝が衰退し長期に渡る分裂状態が始まった5世紀後半が古代史の終焉時期だと思う。
 中国においては、古代帝国の漢(後漢)が3世紀前半に滅亡して三国時代となり、これを3世紀後半に統一した西晋は4世紀前半に北方遊牧民族の匈奴に滅ぼされ、西晋支配層は江南(中国南部)へ逃れ土着豪族と連合して東晋を建てた。以後華北(中国北部)は100年以上に渡って複数の西方及び北方騎馬民族の支配下に置かれる五胡十六国の時代となり、騎馬戦術が中国に浸透することとなった。中国における古代史の終焉時期は、漢の滅亡時か、もう少し遡って動乱の幕開けとなった2世紀後半の黄巾の乱勃発時で、中世史の開始時期は4世紀の五胡十六国の時代で、三国及び西晋時代は古代から中世への過渡期だと思う。
 周辺(後進)地域ではどうかというと、欧州の古代史終焉時期は4世紀後半のゲルマン民族の大移動開始か5世紀後半の西ローマ帝国の滅亡に取るのが一般的だが、前者が古代史の終焉時期で後者が中世史の開始時期、両者の間が古代から中世への過渡期とするのが妥当だと思う。同じく周辺地域である日本と東南アジアでは、古代帝国(もどき)が成立したのが先進地域より随分遅く、前者は7世紀後半、後者は7〜8世紀である。両者の古代史の終焉時期をいつに設定するのかは難しく、後者は多くの民族・国家からなる地域だけに一概には言えないが、イスラム化の進む直前の12世紀末に取るのが妥当かと思う。一方日本は、開発領主が成長し寄進地系荘園が全国に広まって古代帝国(もどき)の律令国家の土地制度がほとんど意味を持たなくなった11世紀半ばに取るのが妥当かと思う。

参考文献
『古代史の潮流』謝世輝、原書房、1994年
『古代文明と遺跡の謎』中村慎一他、自由国民社、1998年
『週刊朝日百科 世界の歴史』阿部謹也他編、朝日新聞社、1988〜1991年

 本当は、古代史全般について書き、一元論と多元論、各地域の発展の様相と相互交流などにも触れようかと思ったのだが、時期区分の問題で当初予定していた以上に長く書いてしまったので、次回書こうかと思う。だが、ゲームの攻略法の作成などでこれから忙しくなりそうなので、いつ書き上げられるかは分からない。またしても纏まらない駄文となってしまったが、きちんと読んでくれる人はいるだろうか・・・。