俺様ヒトラー論
初めに
以下に述べるのは、私のアドルフ=ヒトラー論である。これまで駄文や各種掲示板で多くの俺様**論を展開してきた私だが、今回は極め付けの俺様**論となる。ヒトラーについては語り尽くされてきたし、その経歴や事績も世界で広く知られており、日本でも例外ではない。従って、今更ヒトラーの経歴や意図を、先行の諸説を引用しつつ紹介しても意味がないだろうから、私の独断を書いてしまおうというわけである。では、こちらは意味のあることなのかと問われたら、自信をもって答えられないが。まあ、このような見方をする人もいるのだ、という程度の軽い気持ちで読んで頂ければ幸いである。
尚、今回の駄文を書くにあたって参考にした本は、主に@村瀬興雄『アドルフ・ヒトラー』中公新書1990年 A村瀬興雄『ナチズム』中公新書1991年 Bセバスチャン=ハフナー、赤羽龍夫訳『ヒトラーとは何か』草思社1997年 CJ=H=ブレナン、小泉源太郎訳『魔術師ヒトラー』アリアドネ企画1997年D横山茂雄『聖別された肉体』水声社1990年 Eケン=アンダーソン、澤田憲秀訳『ヒトラーとオカルト伝説』荒地出版社1997年 F歴史群像シリーズ42号『アドルフ・ヒトラー 権力編』学研1995年 GJ=ハーバーマス他、三島憲一他訳『過ぎ去ろうとしない過去』人文書院1996年 H成瀬治・黒川康・伊東孝之『ドイツ現代史』山川出版社1990年 Iセバスティアン=ハフナー、山田義顕訳『ドイツ帝国の興亡』平凡社1990年 J平井正『ゲッベルス』中公新書1992年 K五島勉『1999年以後』祥伝社1988年 である。
当初は、ヒトラーとオカルトの関係について書こうかと思ったのだが、DとEからの引用だけで終わってしまいそうなので、今回は断念した。新たな知見が得られたら、何か書いてみようかと思う。
従来のヒトラー評価への疑問
歴史上、ヒトラーほど悪しく言われ続けた人物も珍しい。確かに強く非難され続けるだけの行為をしてしまったのだが、それらの非難や低評価の中には少々疑問を抱いてしまうものもある。例えば、ヒトラーの絵画には静物画が多く人間への無関心や冷酷さをうかがわせると共に芸術性の低さを感じさせる、といった評価もしばしばなされるが、前者は政治家としてのヒトラーの行為からの邪推であり、後者に至っては単なる言い掛かりにすぎないように思える。また、ヒトラーの作品そのものではなく芸術観への批判も同様である。ヒトラーの近代芸術への批判はユダヤ民族への蔑視や憎悪に基づいたものであり、その観点からの批判は分かるのだが、例えば大ドイツ芸術展の作品をもって、ヒトラーの芸術観が画一的で貧弱なものであり、人間の持つ奥深さに欠ける、といった評価も私には言い掛かりに思える。ヒトラーの名前を伏せて、こういう芸術を好む者の人物像を推測せよ、と問われたら、果たして同様の評価を下すのだろうか。
女性関係についての評価にも疑問がある。ヒトラーには人間性が欠如しており、親しい女性達を都合よく冷たく扱ったかのようによく言われる。例えば、ヒトラーは女性達を添え物のように扱い幸福にしてやらず、エヴァ=ブラウンは蔑ろにされて絶えず傷つけられて苦しみ、二度の自殺を図ったし、姪のゲリ=ラウバルも同様の理由で自殺したとする人もいる(BP4より)。だが、果たしてそうなのか。ゲリはヒトラーと共に過ごすのを特に喜んでいたとする人もいる(EP184より孫引き)。「蔑ろにされて絶えず傷つけられて苦し」んでいたはずのエヴァは何故最後までヒトラーと決別せず、心中したのか。心中する直前に二人は結婚もしているのである。確かにゲリは自殺したし、エヴァは自殺未遂を起こしたが、これはよくある恋愛関係のもつれで、女性側が感情の起伏の激しい人物だったため自殺(未遂)に至ったのであり、ヒトラーが特にひどい仕打ちをしたとは必ずしも言えない、という見解も或いは成り立つのではなかろうか。まあ、私は今まで恋愛に無縁だったので、見当違いのことを言っているかもしれないが。
私が思うに、ヒトラーは必要以上に非難され、低く評価され、凶悪な人物とされている。また逆に、この反動として一部で過大評価されている。どちらにしてもヒトラーの実像から離れているように思われるが、それは、ホロコーストというとてつもないことを企図し実行したことから、ヒトラーに対して極めて異常な人物である、との先入観を抱いてしまい、その先入観からヒトラーの性格や私生活や対人関係や芸術観や政策を解釈してしまうためではないかと思う。そのため、ヒトラーの言動全てが異常人説を証明するものとなり、ヒトラーの異常性を強調することになり、一種の循環論法に陥っているのではなかろうか。これは、ヒトラー政権下の要人への評価にも当てはまることで、ヒムラーやゲッベルスやゲーリングについても実像から離れた評価が一人歩きする傾向はないだろうか。
同様の現象は、曹操逆臣論や簒奪者論にも見られるように思う。五胡十六国以降、次第に蜀漢正統論が支持されるようになり、南宋期に朱子学が成立するに及んでそれは決定的となる。こうなると、必然的に曹操逆臣論が強調される。また、曹操は魏王にまで昇り、嫡男の曹丕は献帝より禅譲を受けて皇帝に即位したわけだから、曹操逆臣論は故無きではない。従って、どうしても曹操逆臣論から曹操の言動を全て解釈するようになり、曹操の逆臣としての性格が強調されるわけである。しかしこれは、いわば自分で自分を説明し自分で自分を理解しているわけで、本当に説得力があるのだろうか?もう一度、例えば荀ケの死や孔融の処刑について検討が必要なのではないだろうか。同様に、曹操に反逆した人物についても再検討が必要だろう。例えば董承もそうだが、彼らを「逆臣」曹操に反逆したという理由だけで安易に漢の忠臣と見なしているのではなかろうか?これらの疑問点に答えるためにも、今一度『三国志』と曹操の詩や文に謙虚に向かい合う必要があるように思う。
ヒトラーの実像
ホロコーストという恐るべきことを実行したヒトラーは、確かに異常な人物と言える。だが、果たして、その異常性は一般人と隔絶した理解不能なものなのだろうか。恐らく、そうではないだろう。非難されたり否定されたり貶められたりするばかりで、一般人が理解不能な異常性を持ち、肯定的な要素が皆無の人物などいるはずもなく、それは空想の産物でしかあり得ない。
無論、史家も含めてほとんどの人はそんな極端なことは言っていないわけだが、ヒトラーの政策なり行為なりを多少でも肯定的に評価しようものなら集中砲火を浴びてしまうわけで、一般には上記の理解に割と近い形でヒトラーが認識されているように思う。例えば、最近話題になったオーストリアの自由党前党首ハイダー氏である。氏はナチスやヒトラーを擁護したとして世界で大きく報道され、結局辞任に追い込まれた(とはいっても実権は握っているようだが)。ではハイダー氏のどんな発言が問題視されたのかというと、「ヒトラーの雇用政策は秩序的だった」というものである。ハイダー氏の日頃の言動には問題が多かったようだが、それにしても、この発言を以ってナチスやヒトラーの擁護とは行き過ぎではなかろうか。
確かに、ナチズム復活への危惧から神経質になるのは分かるが、これでは却って逆効果なのではなかろうか。過剰にヒトラーやナチズムを否定し攻撃するから、一方で一部にヒトラーやナチズムへの憧憬を掻き立てるのではなかろうか。ヒトラーへの憧憬は、しばしばその力への過大評価を産み、時としてオカルト的な色彩を帯びたヒトラー像を形成する。例えばCやKがそうで、まあKに関しては五島勉氏の著作ということで容易に想像のつく人も多いかもしれないが。それらの著作では、ヒトラーがオカルトに傾倒していたり予知能力に非常に長けていたりする。確かに、ナチスの幹部でオカルトに傾倒していた人物は少なからずおり、ナチス親衛隊(SS)の長官であったヒムラーもそうだが、ヒトラーがオカルトに傾倒していたことを示す直接的証拠はなく、それどころかオカルトの政治への容喙について警告を発している。ヒトラーとオカルトとの直接的関連を敢えて示すとすれば、ヒトラーがハンス=ヘルビガーの宇宙氷説を信じていたことくらいだが、知識や理解力の不足からトンデモ系の学説もどきを真としてしまうことなど珍しくもなく、現在に生きる我々にもよくあることだろう。
さてトンデモ系について少し触れたが、今回の駄文のキーワードがトンデモ系で、ここから漸く本論に入るわけである。結論から先に述べると、ヒトラーには性格面で偏屈なところもあり、世間一般の基準からは多少異常と言えるかもしれないが、理解不能ではなくまあ普通に付き合える割とよくいる型に収まっている。だが、トンデモ系の思想に嵌ってしまい、能力と魅力と時勢にたまたま恵まれたため大国ドイツの最高権力者となり、また自尊心が強く頑固な性格で自己の信念に割と忠実な政治家となったため、恐るべき惨劇を惹き起こしたが、それは一人ヒトラーのみ、或いはナチスの高官達のみに責任を負わせられるものではなく、それを可能とする状況も存在したのである。つまり、ヒトラーは極端に珍しい型の人間でも極めて強大で常識外れの力を持ち自らの意のままにことを進めた人間でもなく、ヒトラーとなり得る人物はどの時代にも案外多くいるのではなかろうか、というわけである。これは、ヒトラー政権下の要人への評価にも当てはまることで、ヒムラーやゲッベルスやゲーリングについても同様で、彼らも一般人から隔絶した全く別世界の人間ということではあるまい。
従来、ヒトラーの異常性や冷酷さを証明するものとされてきた数々の言動は、再検討が必要だと思う。ヒトラーには友人がいなかったとされ、ヒトラーの下で首相官邸建築を手掛け軍需相に抜擢されたアルベルト=シュペーアは、「ヒトラーにもし友人というものがいたとするなら、それは私だった」と語っている(ETV特集『ヒトラーと六人の側近たち』より)。この発言からは、生涯友人と呼べる存在はほとんどいなかったようだが、リンツやシェタイェルの実科学校時代には同級生達と行動を共にすることはあり、友人と呼べる存在はいたようである(@P106より)。また、アウグスト=クビツェクとはリンツ在住時代より交流があり、ウィーン移住後は同居しているし、クビツェクと袂を分かった後も、ナチス突撃隊(SA)幕僚長エルンスト=レームとはお互いに親しく呼び合う友人と言える仲であった。レームは後にヒトラーにより粛清されたが、これは政治的対立のためであり、このことから理解不能な際立った冷酷さを証明するものではないと思う。また、ヒトラーは上下関係のでしか交友関係を築かなかったとの見方もあろうが、そうした人は意外に多いように思う。総じて、ヒトラーには友人は少ないと言えるが、一般人も案外こんなものかもしれず、自分が友人と思っていても相手はそう思っていないことなどよくありそうである。ウィーン在住時も人付き合いはまずまずで(@P154より)戦場でも戦友とは上手く付き合っていたようで(@P157より)、友人関係からは、ヒトラーが際立って異常だとは言えず、一般人の範疇に含まれると言えよう。
ヒトラーが本質的には一般人とさほど変わりのないメンタリティの持ち主であったことを示す逸話も少なからずあり、リンツ実科学校時代には、冒険小説などの影響を受けて同級生と共に些細な悪戯に興じたし(@P106より)、ゲーリングの狩猟趣味に対しては、残酷だとして嫌悪感を表明していて、ヒムラーも同様の嫌悪感を示している。また、政権獲得後も、別荘に親しい人を招いては歓談している。だが、狩猟の対象となる動物には憐憫の情を催しても、劣悪な環境に放置されて死に至ったり、過酷な強制労働の末に死亡したり、直接殺害されたりしたユダヤ人やロシア人などに対しては一片の同情も示さなかった。これはどうしてなのか。やはりヒトラーは、一般人には到底理解不能なメンタリティの持ち主であったのだろうか。
残虐な行為を平然と実行した理由
いや、そうではあるまい。ヒトラーは青年期(といっても三十代半ばだが)までに確固とした信念を形成し、死に至るまでそれに忠実であったのだ。そして、その信念がトンデモ系であったというだけなのだ。トンデモ系に嵌ったからといって、一般人と隔絶した異常人だとか無教養人だとかいうことには必ずしもならない。ヒトラーの思想に共鳴したナチスの要人には、ゲッベルスやシュペーアのように高等教育を受けた教養人も多くいたし、身近な例で言うと、オウム真理教の幹部にも高等教育を受けた教養人が多く、林郁夫氏に至っては人格者と証言する人も多くいたのである。『トンデモ本の世界』を読むと分かるのだが、立派な見識や人格を有していると思われる人がトンデモ系に嵌るのは珍しくない。まして、私のような凡人なら尚更である。トンデモ系に嵌っている人を、対岸の火事として嘲笑するわけにはいかない。我々も、自分では気付かないだけでトンデモ系に嵌っているかもしれないのだ。
では、ヒトラーは何故トンデモ系に嵌ったのだろうか。どんな人物でも時代の環境に制約されてしまうもので、恰も特定の個人が時代を作り主導していったかのように描くのは、歴史における個人の役割の過大評価であろう。ヒトラーといえども例外ではなく、時代思潮に大きく影響を受けているのである。ヒトラーに大きく影響を与えたのは、多民族国家オーストリア=ハンガリーにおけるドイツ民族至上主義と反ユダヤ主義であった。個人で代表させるとすれば、ゲオルク=フォン=シェーネラーとカール=ルエガーということになろう。
ヒトラーはリンツ実科学校在籍時よりドイツ民族至上主義と反ユダヤ主義の影響を受けていたようだが(@P123より)、1907年から1913年までのウィーン在住時にその傾向が強まったようである。とはいえ、「芸術的画家」を生業としていたヒトラーはユダヤ人画商に自分の描いた絵の販売を委託することもあったし、兵役拒否も、多民族国家オーストリア=ハンガリーの軍に所属するのを嫌ったためだけではなく、怠惰なためでもあったようだから、この時期に政治家時代ほどの確固たる信念はなかったようである。尚、昨年放送された『知ってるつもり!?』でもそうだったように、ウィーン在住期のヒトラーが貧困に喘いでいたとの伝説は未だに根強いが、大嘘である。
だが、ウィーン在住時代はヒトラーにとって非常に重要な転機となった。様々な証言からすると、ヒトラーはこの時期に多くの本や雑誌や政治宣伝を読んでおり、これが後のヒトラーの思想形成に大きな影響を与えたようだが、体系的に本を読み学んだわけではなく、また本も飛ばし読みをしていたようで、要するに自分の考えに都合の良い見解しか読まなかったのであろう。これが、後にヒトラーをガチガチのトンデモ系に走らせた最大の要因になったと思われるが、こうした傾向の人は珍しくないどころか、程度の差はあれ誰にも認められることではなかろうか。
ウィーンを去ったヒトラーはミュンヘンに向かい、第一次世界大戦が勃発するとドイツ軍の兵士として出征し、終戦後はドイツ労働者党に入党して党の主導権を握り、1923年にミュンヘン一揆を起こして失敗し入獄するが、一年後の1924年末には早くも出獄している。この時までに、ヒトラーの思想はほぼ固まっていたようである。ミュンヘンでの生活、戦場での体験、敗戦と匕首伝説、ミュンヘン一揆の失敗と入獄といった強烈な体験が、強固で偏狭なドイツ民族至上主義と反ユダヤ・スラブ主義というトンデモ系思想を形成したのだろうが、これらを経験した人の多くはヒトラーのようなトンデモ系に走ったわけではない。ヒトラーの場合、先述したようにウィーン時代の視野狭窄な読書がここで重要な意味を持ち、自らの経験と情勢の変化をドイツ民族至上主義と反ユダヤ主義という視点でしか解釈できず、トンデモ系の深みに嵌ったのである。
確固たる信念を抱いた人物が恐るべき事件を起こすことなど珍しくはなく、宗教戦争からポル=ポトからオウム真理教まで、普通の人々が残虐な行為に関わっている。ナチス政権のドイツもその一例で、ユダヤ人やスラブ人などを迫害して死に追いやるのは、ヒトラーにとっては疑うべくもない正義の行為だったのだが、ホロコーストに手を染めた人々は、我々の身近にいるような普通の人々だったのだ。このことは、末端で関わっていた人々にはよく言われるが、ヒトラーやヒムラーといった上層部も同様で、立案者だけ特に隔絶した理解不能な人物であったはずがないというのは、上記の様々な例証から言うまでもなかろうと思う。
次に、ヒトラーが常識外れの強大な力を持った人間ではないという私の主張について、若干補足しておこうかと思う。実際の政策から判断すると、ヒトラー政権下のドイツが当初から一貫してユダヤ人絶滅方針を掲げていたか極めて疑わしいし、第二次世界大戦中でさえ、支配層が一致して絶滅方針を積極的に掲げていたか疑わしい。ドイツのユダヤ人対策は、移住から強制労働使用から絶滅に至るまで、絶えず揺れ動いているのである。また、ヒトラーが迫害したユダヤ人のほとんどは占領地域の在住者で、第二次世界大戦勃発後に激化したが、それは諸外国は無論のこと一般ドイツ人にもほとんど知られない形で遂行された。これらが意味するのは、ユダヤ人の迫害を容認するような状況は存在したが、絶滅には抵抗感を示す勢力が根強かっただろう、ということである。
恐らく、ヒトラー自身はユダヤ人絶滅を強力に推進したかったのであろうし、例えばヒムラー率いるSSのようにそれを強く主張する勢力も存在したのだろうが、産業界などを中心として移住や労働力としての使用を主張する勢力の意向も当然無視できず、妥協策として、強制収容所での待遇を一部改善したり、強制労働を通じての絶滅も図られたのだろう。確かに、ヒトラーは自己の信念に割と忠実に政策を実行し、近代国家の政治家としては独裁色が強いと言えるが、巷間言われているほどの独裁者ではなく、国内諸勢力の対立を調停して国家の無秩序化の防止と統一の保持という形で権力を行使したわけである。つまりヒトラーは、その信念を除けば決して常識外れの力を持った政治家でも人物でもなく、常識外れのその信念でさえ、当時の主要思潮から導き出されたもので、ヒトラーと同様の過ちに嵌ることは普通の人々でさえ充分あり得ることなのだと思う。
結び
ヒトラーは人類史における極めて例外的な人物ではなく、能力と魅力と行動力に長けて野心に溢れた人物がトンデモ系の思想に嵌ってしまった結果惹き起こされた最悪に近い事例である。ヒトラーは到底万能の独裁者などではなく、その言動や政策の全てをホロコーストという視点から解釈して批判しても実像からかけ離れた虚像を生むばかりで、却ってその反動として極めて強大で魅力あるヒトラー像を生み出し、ヒトラー及びナチズムへの憧憬も絶えないであろう。
トンデモ系に嵌るのは、都合の良い一面的な情報しか受け入れようとしない場合だが、これは程度の差はあれ全ての人がやりかねないことだろう。ある命題を大前提としてしまい、諸状況や諸資料も都合よくしか解釈しなかったり、都合の悪いものは拒絶したりする。誰でも陥ってしまう可能性のある罠であり、ヒトラーもその一人だったわけだが、ヒトラーがそうだったように体系的に学んでいない人が特に陥りやすい罠である。素人が「卓見」を提示しても、その多くがトンデモ系であるのは、そうした理由に拠るのだろう。これらの点は私に特に当てはまっており、本当に自戒しなければいけない。「今回の駄文もトンデモ系だ」と言われたら辛いものがあるが、全く的外れなことは言っていないはずである。
今回ヒトラーを取り上げたのは、本や雑誌などを読み散らして体系的に学んでいないという他に、二十代半ばまで定職に就かずブラブラとしていた点、禁酒禁煙など、私と共通する点があり身近に感じたためで、まあ単純な動機と言える。もっとも、私は倫理感や健康のために禁酒禁煙をしているわけではなく、単に酒と煙草が嫌いだからにすぎないのだが。特に煙草は、たとえ健康に良くて無料であったとしても、吸う気にはなれない、というくらい嫌いである・・・ってこれはどうでもよいことか。
例によって纏まらない自己満足全開の文章となってしまったが、最後まで読んでくださった方には本当に感謝する。何か感想をお寄せ頂ければ幸いである。