ダメ人間の独り言

 

初めに
 このホームページは「ダメ人間のための憩いの場」と銘打っている。開設の趣旨は、ダメ人間が集ってお互いのダメさ加減を告白して慰め合う、というものであった。しかし、本来の趣旨に相応しい文章をほとんど提示できないうちに『三國志曹操伝』の攻略法に取り掛かり、一時はこれがホームページの中心となった。攻略法の完成した後は歴史関連の駄文の掲載が中心となり、駄文の水準がダメ人間らしいとはいえ当初の趣旨に沿った内容ではない。
 そこで今回は、久々に本来の趣旨に相応しい文を書いてみようかと思う。とはいえ、私のダメさ加減と日頃の雑感というか愚痴を述べるにすぎないが、ダメ人間の在り様の一例として読んで頂ければ幸いである。

 

独り言
 特定の個人の存在・生存価値を問うというのはあってはならないことなのかもしれないが、ダメ人間である私は、自分自身が生きている価値のある人間なのかどうか、自問することが屡々ある。歴史関連の優れた本や論考を読んだ後など、自分の未熟さというか無能さをつくづく思い知らされ恥ずかしい限りで、果して自分の存在価値がどこにあるのか考え込んでしまう。無論、優れた論考を書けないから存在価値がないなどと言えるわけもないが、私の場合、自分の最も優れている点は何かと考えると歴史関連の見識であろうから、歴史に関して極めて幼稚な論考しか書けないというのは、自分の存在価値に疑問を抱くには充分な契機足り得るのである。
 仕事もそうだが、歴史以外のことで私が水準程度に達しているものは恐らくなく、どうにも自分に自信がないというか誇れるものがないのである。まあその歴史にしても、一般水準に達しているか甚だ疑わしいが。家族も含めて特に自分を必要としている人もおらず、自分は世間一般の人からは存在価値用なしと見做されているのだろうと思うことが屡々なのだが、正確に言うと、注目に値しないというか、いてもいなくてもよいどうでもよい存在なのだろうと思う。
 私もそうだが、ダメ人間には大きな悪事を為すだけの気概も能力もないことが多いので、無能で迷惑をかけることが多いとはいえ、大変な悪影響を及ぼすということはほとんどなく、排除・抹殺せよなどと言われることはあまりないわけで、関心を払われない存在ということになるのだろう。

 自分の存在価値に疑問を抱くこともあるとはいえ、私は自殺をしようと考えたことは一度もない。どんな生物も、誕生した以上何らかの存在価値がある筈だと考えているためでもあるのだが、これも後付けというかほとんどこじ付けのようなもしれず、死ぬことが怖く、読書や競馬など色々とある楽しみをこれからも享受していきたいというだけのことなのかもしれない。
 社会なり他人なりに貢献しようという立派な心掛けがあるわけでもなく、ほとんど自己満足だけで生きているようなものであるが、私のような権力も経済力も魅力もない無能な人間が傍若無人に振舞えば、忽ち社会的に疎外されて生きていけないだろうから、実生活では仕方なく人に気を遣うことにしている。
 故に、他人から生きている価値がないなどと言われれば有効な反論はできず、何とも情けない限りだが、自分の器量を鑑みると仕方のないことかもしれない。そういうこともあり、私はかなり開き直って生きている。この世に自分の意思と関係なく生まれた以上、よほどの加害行為のない限り、私のようなどうしようもないダメ人間にも生きていく権利はあるのではないか、と考えている。

 とはいえ、私もただ単に開き直っているだけでは流石に辛いところもあるので、何とか大義名分を作り出そうとしている。何か人の役に立っているところがあるのではないかと考えるのだが、ダメ人間なだけにこれはなかなか難しい。
 私には一応は友人と言える存在がいるのだが、滅多に会わないだけでなく、メールや電話でも偶にしか連絡を取らないので、ほとんど役に立っていない仕事以外での人との関わり合いといえば、主にネット上となる。ネット上での人との関わり合いというと、このホームページに駄文を掲載することとメールのやり取りと掲示板での書き込みとなるが、いずれも人の役に立っているとは到底言い難い。
 これらの文章は主に歴史関係のものであるが、私の書いていることなど、どう過大評価しても大学の一般教養水準に辛うじて到達している程度で、多くは高校水準に毛の生えた程度かそれ以下である。こうなると、自分の見解や知識を書き込むよりは、参考にした論考を紹介するに留める方が遥かに有益な筈だが、私は歴史について語り合うのが好きで、掲示板などで人から見解を聞くだけというのも随分と身勝手なように思われるので、これでもよかろうとは思う。
 しかし、これでは人の役に立っているということにはならず、大して自分の存在意義の証明にもならない。そこで最近では、28歳にもなってこのような幼稚極まりない投稿をしている人間がいると知って優越感を抱いたり安堵したりする人も多くいるだろうから、そういう意味で人の役に立っているのかもしれない、と考えるようになった。
 情けない限りだが、私のような嘲笑される人間も世の中には時として必要なのではないか、とも思うのである。無論、そういう立場は辛いものだが、それに耐えられないというのなら努力すればよく、私のようにそういう立場からほとんど脱出不可能という場合には、他人に大きく迷惑をかけない程度に開き直って生きるしかないとも思う。
 とはいえ、そう悲観することばかりでもない。よく、上には上がいる、と言われるが、ダメ人間の私は逆に、世の中下には下がいる、と思うことがよくある。どんな人にも、多少は優れた点がある筈である。無論それが、私のように精々水準よりやや上か水準以下ということもあるだろう。しかしそれでも、自分より下の人間はいるばずである。自分が、全ての面で文字通りの意味での最低の人間ではないということを確認しただけでも、生きていく気力が湧くのではなかろうか。ダメ人間が生きていくには、「上を見るな、下を見よ」という心構えが必要なのかもしれない。

 

 

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