第1章
人類の出現とその定義
人類の定義
そもそも、人類とはどう定義されるべきであろうか。人類の特徴として思い浮かぶのは、直立二足歩行・巨大な脳・複雑な言語の使用・道具の複雑な使用(道具から道具を作製するなど)などである。私は、絶滅・現存問わず直立二足歩行の霊長目の生物と定義してきた。通説でも、普通は直立二足歩行が人類と他の生物とを分かつ最大の指標とされており、人類の定義は直立二足歩行する類人猿である、との指摘もある(内田.,2007,P157)。これは広く浸透した考えになっているようで、後ろ足二本で直立するレッサーパンダが大きな話題を呼ぶのも、直立二足歩行が特別視されていることの表れなのだろう。
もっとも、二足歩行は人類特有というわけでもなく、オランウータンが手を補助的に使用した二足歩行をしていることが報告され、樹上での二足歩行の利点が指摘されている(Thorpe et al.,2007、関連記事)。また、二足歩行の起源がかなりさかのぼる可能性も指摘されていて、中新世の2100万年前頃に現在のウガンダにいたモロトピテクス=ビショッピが、現在確認できる最古の直立姿勢の哺乳綱だという見解もある(Filler.,2007、関連記事)。これらの見解は、すでに1990年代末において有力になっていた、人類の直立二足歩行はサバンナではなく森林で始まった、とする見解(Lewin.,2002,P105)と整合的である。
しかし、直立二足歩行の起源が1000万年以上前までさかのぼり、霊長目において直立二足歩行がありふれた行動形態だったとすると、現在のところは人類と考えられている中新世・鮮新世の化石群のうち、どれが本当に人類化石なのか怪しくなってくる。それだけではなく、そもそも人類の定義じたいがあやふやになってしまうので、大問題だと言える。こうした懸念は杞憂に終わるかもしれないが、もっと化石の発掘が進まないと、人類の定義と化石の人類認定については楽観視すべきではないかもしれない。
こうした懸念を抱くのは、人類とチンパンジーの分岐年代はおよそ410万年前頃との見解が提示されているためでもある(Hobolth et al.,2007、関連記事)。この見解が妥当だとすると、現在のところ人骨とされている400万年前以前の化石は、直立二足歩行をしていた霊長目の生物ではあるが、人類にとってチンパンジーとの最終共通祖先よりも遠い系統に属するのかもしれない。
現在のところホモ属へといたる系統は、アルディピテクス=ラミダス(450万〜430万年前頃)→アウストラロピテクス=アナメンシス(420万〜390万年前頃)→アウストラロピテクス=アファレンシス(370万〜300万年前頃)→アウストラロピテクス=ガルヒ(270〜250万年前頃)→ホモ属と考えるのがもっとも有力だろう(諏訪.,2006)。
しかし、直立二足歩行の起源がかなりさかのぼり、人骨とされてきた400万年前以前の化石が怪しいとすると、現時点でアウストラロピテクス属とされている化石のうち、どれだけ人類と分類され得るのか疑問もある。アファレンシスの女児とされる化石の肩や腕はアフリカの類人猿と似ている、との見解があるのも気になるところである(Alemseged et
al.,2006、関連記事)。
では、人類をどう定義すべきであろうか。一つの解決案として考えられるのは、直立二足歩行に特化した生物と定義することである。そうすると、ほぼ確実な人類とは、異論の余地のほとんどないホモ属(ハビリスやルドルフェンシスを含まない)以降ということになろう。つまり、エレクトス以降が人類ということになる。脳の大きさに注目すれば、ハビリス以降が人類ということになる。その場合、アウストラロピテクス属ではなくホモ属にハビリスを含めることになるだろう。
言語に注目してもよいだろうが、古生物の言語能力を推測するのはほとんど無理である。もっとも、核DNAの採取できる古生物については、今後あるていどは言語能力について推測できるようになるかもしれない。複雑な道具の使用を定義に用いようとする見解もあるかもしれないが、チンパンジーもかなり複雑な道具を使用することが報告されており(Pruetz et al.,2007、関連記事)、やはり定義は難しい。
そもそも、道具の使用を種区分の定義とする見解は、「文化的発展」と進化とを直接的に結びつける見解とも通ずるところがあり、私は賛同できない。人類の定義はなかなか難しく、すぐには解決しそうにない問題である。とりあえず今は、直立二足歩行にかんする今後の研究の進展に期待するしかないだろう。こうした懸念があることを前提に、以下人類の起源について述べていく。
人類の出現
人類の起源地については、かつてはアジアかアフリカかということで論争があったが、現在ではアフリカということで決着済みと言ってよいだろう。確かに上述したような問題点はあるが、200万年以上前の人類候補の化石となると、可能性の高いものはやはりアフリカからしか出土していない。ただ、アフリカのどこかという問題についてはまだ決着がついていないし、今後も確定するのはきわめて困難だろうと思う。あえて現時点で推測すると、アフリカ東部の可能性がもっとも高そうである。
人類誕生の時期については、諸説あってまだ決着がついていない。そもそも、上述したような問題点があるので、人類の定義により人類誕生の時期は異なることになる。しかし、直立二足歩行の発達はチンパンジーと人類の祖先の分岐以降のことであり、人類とは常習的に直立二足歩行する生物であるとの伝統的な見解にしたがうとしても、現在推定されている人類誕生の時期にはかなりの幅がある。
アフリカの類人猿と人類との分岐時期は、化石証拠から3000万年前頃ないしは1500万年前頃とかつては言われていたのだが、その時期は500万年前頃ではないかとの反論が分子生物学の分野からあったのは(血清蛋白の免疫学的比較により遺伝的距離が測られた)、1967年のことだった。その後、ミトコンドリアDNAも分析対象となり、分子生物学の側からのデータは増加していった。古人類学の側でも、一時は人類の祖先と考えられたラマピテクスがそうではないと考えられるようになったこともあって、500万年前頃という人類とチンパンジーとの分岐年代が認められるようになった(Lewin.,1998,P66)。
しかし、2000年以降に相次いで中新世の人類(とされる)化石が公表されたため、人類の祖先とチンパンジーの祖先との分岐年代について、分子生物学の提示した500万年前頃という年代と、化石から推測される年代との間の矛盾が問題となった。しかし、分子生物学においても人類とチンパンジーとの分岐年代が見直されるようになり、670万年前頃とか、1000万〜700万年前頃とかいった見解も提示されている(河合.,2007,P26-29、関連記事)。
2000年以降に相次いで公表された中新世の人類(とされる)化石を年代順に簡単にまとめると、次のようになる(河合『ホモ・サピエンスの誕生』、諏訪「化石からみた人類の進化」)。まずは、アフリカ中央のチャドで発見されたサヘラントロプス=チャデンシスである(脳容量は320〜380CC)。年代は700〜600万年前とされているが、理化学的な年代測定ができず、年代にはやや曖昧な面が残る。次は、アフリカ東部のケニアで発見されたオロリン=トゥゲネンシスで、年代は600〜570万年前とされている。さらにその次は、アフリカ東部エチオピアで発見されたアルディピテクス=カダバで、年代は570〜530万年前とされている。なお、中新世の人類化石発見競争をめぐる人間模様については、アン=ギボンズの著書にて詳述されている(Gibbons.,2007、関連記事)。
この三種が現時点での最古の人類候補だが、この三種の類似性も指摘されている(諏訪.,2006)。したがってこれら三種の違いは、地理的・時間的な違いによる同一種における多様性を反映しているだけだ、と考えることもできよう。けっきょくのところ、これら三種の位置づけについては、今後の研究とさらなる発見とを待つしかないが、現時点で推測すると次のようになるだろう。
まず考えられるのは、これら三種はいずれも初期人類だということである。これら三種がじつは同一種だったとしても、初期人類はかなり広範な地域に拡散していたということになろう。オロリン=トゥゲネンシスとアウストラロピテクス属との類似性を指摘する見解もあるが(Richmond et al.,2008、関連記事)、これら三種のうちどれが現代人の祖先か、現時点では曖昧だと言うべきだろうし、今後確定することも難しいだろう。あるいは、これら三種以外の未発見の初期人類が、現代人の祖先であるという可能性もけっして低くない。
次に考えられるのは、これら三種はチンパンジーの祖先またはその近縁種だということである。ただ、これら三種は直立二足歩行をしていた可能性が高いだけではなく、雄の犬歯の縮小の可能性も指摘されているので(諏訪.,2006)、直立二足歩行が中新世の霊長目において珍しくはなかったとしても、チンパンジーの祖先ではなかった可能性が高い。その意味では、これら三種が人類とチンパンジーとの共通祖先である可能性も低いだろう。
もう一つ考えられるのは、人類の系統とチンパンジーの系統とが分岐する前に、これら三種が人類とチンパンジーとの共通祖先から分岐していた可能性である。つまり、これら三種は人類ではなく、人類にとってはチンパンジーのほうが近縁な生物であるかもしれない、ということである。直立二足歩行が中新世の霊長目において珍しくなく、人類とチンパンジーとの分岐年代が410万年前頃だとしたら、その可能性もあるだろう。ただ現在のところは、現代人の祖先かどうかはともかくとして、これら三種は初期人類だと考えるほうがよさそうである。おそらく800万年前頃に人類の祖先とチンパンジーの祖先が分岐し、かなりの変異幅を含みつつ初期人類が誕生したのであろう。
初期人類の登場過程についてよく言われていた説明が、大地溝帯の成立によりアフリカ東部の気候が乾燥し、森林が消失してサバンナ化したため、直立二足歩行を余儀なくされたというものである。その代表例が「イーストサイド・ストーリー」であり、1982年のローマ会議でイヴ=コパンが提唱した(Coppens.,2002,P40-46)。しかし、初期人類は形態面で類人猿との共通点が多く、樹上生活に適応した体型をしていた。また、初期人類とされる化石の出土様相からも、初期人類は森林環境に生息していたとの見解が有力になった。そのため、人類は森林で樹上生活をしつつ直立二足歩行を発展させた、と現在では考えられている(内田.,2007,P159)。
また、50万年前頃というわりと近年まで、チンパンジー(パン属)が西リフト・バレーの東側で人類と共存していたことが明らかになり(McBrearty et
al.,2005)、この点からも「イーストサイド・ストーリー」の破綻が確定した。現生チンパンジーが現在の生息域に追いやられたのは、サピエンスの登場もしくは拡散か、農耕開始以降のアフリカ人の大移動と関係しているのかもしれない。
樹上生活に適応した体型は、直立二足歩行を確実に行なっていたとされるアウストラロピテクス=アファレンシスにも顕著な特徴で、330万年前のアファレンシスの女児も肩や腕は類人猿と似ていて、樹上生活者としての性格を多分に残していた(Alemseged et
al.,2006、関連記事)。もっとも上述したように、アファレンシスは現代人の祖先ではない可能性もある。
ともかく、人類の祖先とチンパンジーの祖先との分岐が800万年前であれ400万年前であれ、おそらく初期人類は、直立二足歩行が可能となる体格となってからもかなりの時間を樹上で過ごし、ときどき地上に降りて直立二足歩行をしていたのだろう。直立二足歩行が可能となると、産道が狭くなり出産が危険となるが、これは現代人にいたるまで人類の宿命であり、腰痛も同様である(河合.,1999,P144)。
こうした不利な点があるにもかかわらず、直立二足歩行へと特化した人類が繁栄したからには、このような不利を補うだけの有利な点があったはずである。上述したように、樹上における直立二足歩行の利点が指摘されており(Thorpe et al.,2007、関連記事)、人類は樹上で発達させた直立二足歩行を地上でさらに発展させ、直立二足歩行に特化していったのだろう。おそらくは、直立二足歩行による地上での行動範囲の拡大が、食料の獲得に有利に働くことが多かったものと思われる。
もちろん、進化に特定の目的がないというのは生物進化の大原則であり、人類も例外ではないから、こうした利点のために直立二足歩行を始めたというわけではない。直立二足歩行を可能とする体格に進化したこと自体はまったくの偶然だったのだろうが、それが選択・固定され、さらに直立二足歩行へと特化した形態が出現して選択・固定されたのは、生存競争において有利な点が多かったからであろう。
サヘラントロプス=チャデンシス、オロリン=トゥゲネンシス、アルディピテクス=カダバにつづく人類候補は、450〜430万年前頃のアルディピテクス=ラミダスである。上述したように、ラミダス→アウストラロピテクス=アナメンシス(420万〜390万年前頃)→アウストラロピテクス=アファレンシス(370万〜300万年前頃)へと進化していったというのが、現在有力な見解である。
アファレンシスと同年代の人類候補化石としては、アウストラロピテクス=バーエルガザリとケニアントロプス=プラティオプスがある。アファレンシスではなくプラティオプスこそホモ属の祖先ではないかと言われることもあるが、バーエルガザリもプラティオプスも、アファレンシスの地域変異または個体変異との見解もある(諏訪.,2006)。化石証拠がかぎられているので判断の難しいところだが、現時点では後者のほうが妥当なように思われる。
アファレンシスが現代人の祖先なのか否か、そもそも人類の系統に属すのかという疑問は残る。じっさい、アファレンシスとゴリラの下顎枝の類似性が指摘されている(Rak et al.,2007、関連記事)。ただ、バーエルガザリもプラティオプスもアファレンシスの地域変異または個体変異と考えると、同時代には他に人類的な化石は出土していない。また現代人の女性とおなじように、妊娠中にも直立二足歩行ができる姿勢を保てるような解剖学的構造をアファレンシスが有していたこと(Whitcome et al.,2007、関連記事)などから考えても、アファレンシスを人類と考えてもよいのではないかと思う。おそらく現在アファレンシスと分類されている化石のなかに、後のホモ属やいわゆる頑丈型猿人の祖先がいたものと思われる。その意味では、現在アファレンシスに分類されている化石群が、じっさいには複数種から構成されていた可能性もけっして低くはないだろうと思う。
アファレンシスの代表的化石は、1970年代にエチオピアのハダールで発見された「ルーシー」である(性別は雌)。全身骨格の約4割(この数値の意味については、Gibbons.,2007,P144にて説明されている)がそろうというまれな古人類化石で、古人類学上の大発見とされた。ハダールでは「ルーシー」を含む数百点の標本が出土しており、年代は340〜300万年前頃とされている(諏訪.,2006)。これらのアファレンシス化石の分析から、かつてはアファレンシスの性差は大きかったとされていたが(Lewin.,1998,P127)、アファレンシスの性差は現代人とほぼ同じとの見解も提示されている(Reno et al.,2003)。
参考文献
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Coppens Y.著(2002)、馬場悠男、奈良貴史訳『ルーシーの膝』(紀伊國屋書店、原書の刊行は1999年)
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、関連記事
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、関連記事
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Pruetz JD,
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、関連記事
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、関連記事
Richmond BG, and Jungers
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、関連記事
Whitcome KK.
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内田亮子(2007)『人類はどのように進化したか』(勁草書房)、関連記事
河合信和(1999)『ネアンデルタール人と現代人』(文藝春秋社)
河合信和(2007)『ホモ・サピエンスの誕生』(同成社)、関連記事
諏訪元(2006)「化石からみた人類の進化」『シリーズ進化学5 ヒトの進化』(岩波書店)、関連記事