掲示板過去ログ(4)

 

  

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イエの問題 投稿者:子欲居(日本大熊猫)  投稿日: 6月12日(火)22時00分09秒

 改名の件の修正、有り難うございました。

>イエの問題
 私も昔、こんな問題に興味を持ちました。今、素人的に言うと、
イエが作られる前は、みんなどんな「組織」で暮らしていたのでしょう?
氏族?


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何とか落ち着けました 投稿者:劉公嗣  投稿日: 6月12日(火)18時54分09秒

当分は、ゆっくりと過ごせそうです。

>子欲居さん
改名の件、了解致しました。リンク集も修正しておきました。

>かいがらさん
話を聞くと面白そうですね。ミニゲームが気になりますが、
やはり購入しようかな・・・。


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太閤4追加報告 投稿者:かいがら  投稿日: 6月10日(日)01時28分17秒

まだクリアはしてません。
ヒデキチが面白くないから、山県昌景で始めました。
こっちの方が楽しい。

御館様は死んでしまったので、相性の悪い勝頼が継いじまいました。
ああ…

引き続き主人公カードについて
1.仲良くなるともらえる
2.仲良くなると条件付でもらえる
3.カードコンボでもらえる
4.イベントでもらえる

があるみたいです。
1は一番オーソドックス。
仲良くなるだけでもらえます。

2は能力高い武将に多いです。
なにか勝負をしたり、モノを要求されたり。
難しいのもあるので要注意です。

3は、前もかいた「コンボ」です。
新しく「宇喜多重臣」で宇喜多直家、「北条4兄弟」で北条氏直を確認
たぶん「毛利両川」で元就、「徳川四天王」で家康もあると思います…

4は、イベントを「当事者側」で引き起こして、カードを獲得するパターンです。
能力の高いキャラや有名キャラの場合が多いです。
例えば、上杉謙信で川中島の戦いを引き起こすと「武田信繁」と「山本勘介」
「本能寺の変」が起きると、明智光秀と織田信長。
「御館の戦い」で謙信が死ぬと、上杉謙信のカードが入るようになっています

3と4のキャラは、それぞれ対応したコンボやイベントでしかカードが入らないので、ある意味仲良くなってもムダです(笑)
謀反の確率とかは多分減るんでしょうけどねぇ…

あ、ミニゲーム、弓以外だいぶなれてきました。
弓は異常(笑)


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改名のご挨拶 投稿者:子欲居(日本大熊猫)  投稿日: 6月 9日(土)21時46分08秒

 お忙しそうですね。実は、今回、再びハンドルネームを「子欲居」と改名いたし
ましたので、ご挨拶に参りました。以後、お見知りおき下さい。

http://members.tripod.co.jp/sumicom/


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まだ忙しい日が続きそうです 投稿者:劉公嗣  投稿日: 6月 9日(土)19時29分11秒

>会長殿
早く以前のように更新していきたいとは思っているのですが・・・。

>きんたろうさん
わざわざお知らせ頂き、有難う御座います。落ち着いたら、熟読して
感想を投稿し様かと思います。


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久し振りですね^^ 投稿者:きんたろう  投稿日: 6月 9日(土)18時53分10秒

今日は宣伝に来ました。

「漢字と万葉仮名」というタイトルで新作をアップしました^^
下記のアドレスです。
時間が出来たらご覧になってみて下さいね。

http://www.net-ibaraki.ne.jp/kintaro/manyougana.htm

http://www.net-ibaraki.ne.jp/kintaro/


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ゆっくり行こら 投稿者:彦やん@大学  投稿日: 6月 6日(水)18時09分56秒

まあ・・・まがりなりにも「ダメ人間サイト」と謳っているわけですし。

わけあって、学校から繋ぐことが増えます。
研究の傍ら、とかいうまじめな理由ではありません(苦笑)。
いや一応はそっちもやるのですが・・・。

ではまた・・・。
(チャット常駐を停止したのと同じ理由です)

http://nununu.nu/paasuke/


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太閤立志伝4 投稿者:劉公嗣  投稿日: 6月 5日(火)19時12分46秒

ミニゲーム、やはり難しいのですか。開発者も、ゲームに飽きさせない
ようにと考えたのでしょうが、これがゲームの足を引っ張っているのか
もしれませんね・・・。


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難しいミニゲームと 投稿者:かいがら  投稿日: 6月 3日(日)23時40分32秒

主人公カード、君主・嗣子分は特定の武将全員のカードを集めたときにはいるようです。
今のところ

美濃三人衆→斎藤龍興
赤雨海三将→浅井長政
豊臣三奉行→豊臣秀次
清洲会議衆→織田秀信
徳川奉行衆→徳川信康

を確認しました。

ミニゲーム、弓・鉄砲・茶道が最悪に難しいです
あと、歩兵と海戦もまず勝てない…<習得のときの

城攻めは、結構簡単かも!?


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落ち着くのはかなり先になりそうです 投稿者:劉公嗣  投稿日: 6月 3日(日)19時58分11秒

>かいがらさん
私は体験版を少しやっただけですが、かなり難しいミニゲームが
ありました。落ち着いたら、評判を聞いて購入するか否か決めよ
うと思います。

>日本大熊猫さん
長江流域の文化が、「中原」の諸文化に強い影響を与えたことは、
最近では概説書にも出ていて、随分と一般的な見解になってきた
ようです。
長江「文明」をどう評価するかという問題は、確かに中国だけの
問題ではないでしょう。広い視野で考察してみる必要がありそう
です。


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長江流域 投稿者:日本大熊猫  投稿日: 6月 3日(日)00時26分52秒

 長江「文明」の問題は、これを中国の問題と言うよりも、中国
をも含んだ広範なアジア「文明」の問題だと考えた方がいいのか
もしれません。
 何か、長江流域というのは、農耕以降の各種アジア文化揺籃の
地のような気がします。
 恐らくは黄河流域にも影響を与えた。下でも述べましたが、稲
作と粟稗作というのは、結局、同じような農耕類型で、粟稗とい
うのは、その乾燥地バージョンです。
 さらには、東南アジア、朝鮮半島南部、列島にも影響を与えて
いると思います。

 今の国籍の問題から考えると、黄河文明のみを元々の中国とする
見方は当然、華南の中国人には受け入れがたいでしょうし、かとい
って、長江流域から東南アジアに移動した人々からすれば、長江流
域は中国と言うより、元々東南アジアであったと言いたがるかもし
れません。アジア大陸全体から見れば、確かに華南などは東南アジ
アです。
 
 まあ、用語としては、長江流域と言うほかないと思いますし、少
なくとも稲作農耕に関しては、ここが揺籃の地であることは、はっ
きりしてきたと思います。


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お忙しそうですね 投稿者:日本大熊猫  投稿日: 6月 2日(土)23時47分13秒

 おそらく長江文明は、黄河文明の発生にも影響を与えていると思います。
ただ、都市「国家」的段階までは黄河文明を凌駕していても、より広域な
本当の意味での国家という問題になると、黄河文明が先を越してしまった
のかもしれません。それが、夏商周として歴史に残ったのでしょう。
 その黄河文明優位の条件が文字の発明で、その結果、黄河は言葉の厳密
な意味での文明を形成したのかもしれません。
 中国の20世紀の発見のトップに殷墟が選ばれたのも、大きいのは甲骨文字
の発見だと思います。ただ、甲骨文字はかなり完成された文字体系を持って
いると言いますので、より古い形態の漢字の存在は比定できます。

 「殷墟」をも凌駕する劇的な21世紀の発見を期待する次第です。


http://members.tripod.co.jp/sumicom/


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太閤4 投稿者:かいがら  投稿日: 6月 2日(土)23時46分31秒

買いました。
どうも、一部えらくむずかしいミニゲームがあります。
キツいです(笑)


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忙しい・・・ 投稿者:劉公嗣  投稿日: 6月 2日(土)18時09分03秒

>日本大熊猫さん
文字は文明の重要な指標で、まだ文字の出土がない「長江文明」論の
最大の弱点は確かにここにあると思います。ただ、世界には南米のよ
うに文字がなくても文明と認められる地域・時代もありますが。

>きんたろうさん
お忙しいところ、長々と有難う御座いました。また時間ができました
ら、何か書き込んでください。

>かいがらさん
本当に忙しくて・・・。当分は落ち着けそうにありません。


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お忙しいんですか? 投稿者:かいがら  投稿日: 6月 1日(金)00時01分52秒

大丈夫ですか?
お体には本当に気をつけてください


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こちらこそ、有り難うございました 投稿者:日本大熊猫  投稿日: 5月31日(木)23時10分58秒

 近頃の発掘では、黄河文明よりも長江文明の方が古いらしく、どうも
黄河文明自身が発生に当たって長江文明の影響を受けた可能性もあると
思います。
 実際、長江の稲作に対する黄河の粟・稗農耕にしても、粟・稗という
のは稲を植えていると「雑草」して生えてくるもので、稲の仲間の植物
だという話もあります。ただ、稲は乾燥地帯で育たず、粟・稗は乾燥地
帯でも育ちます。

 私は黄河流域が元々「中国」だという説には同意できませんし、少な
くとも、長江をインドの影響圏とは言えないと思います。今のところ、
長江の都市文明はインダスより新しいと言うこともないみたいですし、
稲作に至っては、どうも長江の方がインドよりだいぶ古そうです。

 もっとも、今後の発掘の結果、どうなるか分かりません。
 問題は、文字の問題です。養蚕など、従来、黄河文明の産物とされ
てきたものが、どうも長江文明の産物なのですが、その長江文明の
遺跡からは、まだ文字が発見されていないのです。
 正直言えば、これが「長江文明」論の最大の弱点です。果たして、
漢字を生んだのはどちらの文明なのか?あるいは、・・・。何を言っ
ても推測なのですが、私自身は漢字が黄河文明の産物でない可能性も
あると思います。

>ところで私の興味の範囲は(ご存じだとは思いますが??)この話
>題のみに限定されている訳ではなく、時間的制約のためこれ以上は
>ちょっと厳しい状況になっています(^^ゞ)
>よって以上を持ちましてこの話題を終わらせていただきたいと思い
>ます。
 そうですね。お互い、言いたいことは言い尽くしたと思います。
 私の方は、取りあえず「古い」昔のことはおいておいて、南北の文
明が融合し、現在のイメージのような中国文明が姿を現してきた春秋
から戦国以降に、一挙に「ワープ」します。
 そして、現在の中国、あるいは日本、朝鮮の境域に、かつては南方、
北方含め多くの雑多な文化要素が存在しており、それを統合した上に、
現在の中国文明、日本文明、朝鮮文明が存在していることを主張しま
す。
 そして中国の南北を統合したのは春秋戦国以降の新段階の中国文明
であるし、その影響の元に、列島・半島でも融合が進み、文明が形成
されたことを述べたいと思います。

 それにしても、劉公嗣さんは本当にお忙しいようですね。



http://members.tripod.co.jp/sumicom/


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多謝^^ 投稿者:きんたろう  投稿日: 5月31日(木)21時46分49秒

またまた長文のレスをいただきまして有り難うございましたv(^o^)

>質問ですが、きんたろうさんのご意見だと、長江流域は「インド」ということ
>になるのでしょうか?
私の考えは大熊猫さんの質問の答えは昨日に劉さんが推測されたことと同じ様なものです。
つまり元々は黄河文明圏の範囲とは長江以北だったと想定しています。
長江以南の地域とはかつては「中国」ではなかったと思っています。

これが時代を下るとともに「中国」の範囲が拡大していったものと推測しています。
これによって「中国」は北方文化ばかりではなく、南方要素も加わっていったものと考えています。

>ですから、中国というのは、やはり黄河=北方と長江=南方を
>あわせて中国なのであり、「中国=北方」という見方には同意で
>きません。
これはどの時点で判断するかいう問題だと思っています。

>現在の中国文明が、黄河=北方と
>長江=南方の統合の上に成り立っていることは事実であり、これは南方の「影響」など
>といったレベルではないと思います。
この意見に関しては私も全く同じ考えを持っています。

「東アジア地区の曙」は私にも大変興味があるテーマです。
今回はなんだかんだ^^;;と書いてきましたが大変参考になりました。
有り難うございました。

ところで私の興味の範囲は(ご存じだとは思いますが??)この話題のみに限定されている訳では
なく、時間的制約のためこれ以上はちょっと厳しい状況になっています(^^ゞ)

よって以上を持ちましてこの話題を終わらせていただきたいと思います。

http://www.net-ibaraki.ne.jp/kintaro/genji1.htm


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インドと中国 投稿者:日本大熊猫  投稿日: 5月31日(木)20時11分51秒

 結局、中国人は仏教を自国の老荘思想と同じようなものと考えた。
少なくとも、知識層にはそういうことが言えます。
 それとインド文明の要素ですが、確かに音韻学とか、色々な学術は
伝わっています。

 まあ、インド文明と中国文明は互いに独自に発達しただろうし(インダス
文明になるとメソポタミアの影響がありますが)、中印両文明の接触後は
相互に影響を与えあったでしょうが、どちらも自文明の枠組みが変化するほ
どの影響は相互に受けていないと思います。

 というのは、どうも「西洋」の一神教的宗教世界(中近東、ヨーロッパ)
に対し、中国もインドも日本も宗教上タイは煮ていると思います。
きんたろうさんが私のHPでおっしゃった
>古代中国の民衆道教もインドの八百万の神々に共通点を見ることができる
という点には、私も賛成で、これは日本にもつながります。
 ただ、これをきんたろうさんのように、インド起点とは私は考えませんが、
文明発生以前の段階において、何度も言いますが、南アジア、東アジア、太
平洋地域は大枠で一体の時代があったように思います。
 私としては、インダス文明は確かにメソポタミアの影響ですが、インドの
稲作自体は長江の影響を受けた可能性があると考えます。
 ただ、おっしゃるようにインダス文明の主作は米で、インドといっても、
インダス河流域とガンジス河流域は違うように思います。
 中国文明に東西はあるでしょうが、大きいのは南北だと思います。


http://members.tripod.co.jp/sumicom/


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申し訳ありません 投稿者:劉公嗣  投稿日: 5月31日(木)06時53分50秒

今後、暫くは大変忙しくなりそうなので、レスも遅れることに
なりそうです。

>日本大熊猫さん
日本に伝わった仏教は基本的には中国仏教なので、中国仏教を
どう評価するかによって、日本におけるインド文明の影響力も
異なった評価になってくるように思います。中国仏教が、どの
程度「中国化」したのか、またどの程度インド文明の要素を残
しているかといったことは、私にはさっぱり分かりませんので、
この問題は、私にとっては難問といったところです。
インドにも、南北に長い地形からして、「北方」と「南方」の
違いは大いにあるように思われます。特に、アーリア人侵入後
には。中国は、南北に加えて東西の差もありますね。

>きんたろうさん
きんたろうさんの仰る「中国」とは黄河流域・華北のことで、
「インド」とはインド・東南アジア・中国大陸南部なども含め
た地域ということでしょうか?そうでしたら、その枠組には疑
問も多いのですが、一方で、仰ることにも納得のいく点が多々
あります。
ただ、粟・稗を主作物としていた「黄河文明」の主要地域であ
る中原では、米も栽培されていたと記憶していますが、粟・稗
に取って代わったのは、米ではなく小麦ではないでしょうか?
中原で米が主作物だった時代はないと記憶しています。それに、
インダス文明の主作物も小麦です。
私もちょっといい加減なことを書いてしまいましたが、日本列
島への稲作の伝播については、縄文時代のものと弥生時代以降
の本格的なものとに分けて考える必要があります。前者の場合、
長江流域から直接伝わった可能性もあるが、後者の場合は長江
流域を起源として朝鮮半島経由で伝わった、との見解が最近で
は有力なようです。講談社の『日本の歴史 02巻』から得た情
報です。

>かいがらさん
この辺は、明確なようで案外曖昧なものです。大体、土器の変
遷を基準とする時代区分と、墓の形態の変遷を基準とする時代
区分を並立させていますから、境界がかなり曖昧となっていま
す(まあ、時代区分にそうした傾向があるのは否めませんが)。
森浩一氏は、古墳時代を「前方後円墳の時代」と規定したら、
かなりすっきりする時代区分になると仰っています。


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TVをボーっと見てた 投稿者:かいがら  投稿日: 5月30日(水)22時59分15秒

なんか、古墳が発掘(?)されて、邪馬台国が古墳時代に位置すると考えられるとの事
でも、古墳時代と弥生時代の明確な区別って何?

「国」の変遷・興亡よりもはるかに時代の変遷はわからないですねぇ


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「インド」 投稿者:きんたろう  投稿日: 5月30日(水)22時38分02秒

というのはかなり大雑把で曖昧な表現ですから、劉さんのように反応されるのは当然だと思いますv(^o^)
「中国」=北方に対比する意味に(=南方)取ってもらいたいと思っています^^;;

本当はそれぞれについて詳細をもっと丹念に書くべきだったと思うのですが...
ちょっとそこまでの時間も能力もないものですから...^^;;
申し訳ありません。
やはり箇々の事象についてある程度詳しく書かないと判りづらいですよね(^^ゞ)
後は図書館等で専門書を読んでいただいて、イメージを作り上げていただいた方が間違いないよう
に思っています。

私は人間の交流を考えれば、基本的にはインダス文明が中国大陸に住む人々に影響を与えた可能性
は十分にあり得ると考えています。
しかし、それが文明を起こした主要因であると言っている訳ではありません。

黄河文明の農業生産の基本をなした「粟・稗」が「米」に取って代わられた事実は南方的影響を受
けたものと言えるのではないでしょうか??
そして、この時には同時に「人」「モノ」「情報」等がもたらされたのは当然の事であると考えて
います。
これは「牛」の祭祀から「馬」のそれへの流れを見ても知ることが出来るように思っています。

農業生産力の増加により、南北の影響力が逆転したというのが社会の下部構造から見た場合の歴史
的流れだと思っています。
「北方の影響力」が増したために、「南方的要素」が軽視されているように感じられてなりません。

もちろん、これによって「北方的要素」を軽く見ようとしているわけではないのはありませんよ、笑


>日本列島の稲作は、朝鮮半島経由とはいえ、長江流域に
>源流がある、というのが最近の通説だと思うのですが、
>もっと南方に起源があるのでしょうか?
河姆渡遺跡の事ですね??^^
おっしゃるとおりこの遺跡の古さは相当なものでしたね。

列島へ稲作の到達についてですが、朝鮮半島経由説よりも大陸南部から直接伝わった説の方が有力
なのではないでしょうか??
朝鮮半島へ伝わった時期とは日本列島到着とほぼ同時かそれ以降のほうが正しいように思っています。

http://www.net-ibaraki.ne.jp/kintaro/


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南方 投稿者:日本大熊猫  投稿日: 5月30日(水)19時08分58秒

 まあ、どこが起点とか言うよりも、ある時代においては、インド、中国大陸
南部、東南アジア、太平洋諸島、半島南部、列島西部というのは、大枠で一体
の地域で、日本における「南方」要素というのも、基本的にこんな時代の名残
ではないかと思います。
 私見では、多くは中国江南からの稲作の伝播と共にもたらされたものが多く、
この稲作の起源地は、やはり長江流域でしょう。

>仏教の影響
 中国をはじめ、日本、朝鮮、ベトナムなど東アジアに広まったのはいわゆる
大乗仏教で、これもインド起源とは言え、かなり中国化された仏教だと思いま
す。その証拠に、未だに日本の僧侶は「中国語」で読経しています。漢訳仏典。
 それに対し、タイ、カンボジア、ミャンマーなどの南アジア=インド文化圏
には上座部仏教(小乗仏教)が広まっています。

 インド文明が南アジア、東南アジアに広まり、インド文明圏を形成したことは事実です。
同じように、中国文明は東アジアに広まり、中国文明圏を形成しています。
 上の日本仏教の有り様を見ると、仏教の伝播をもって、インド文明の影響を過大視する
のはどんなものでしょう。
 確か、中村元とかインド原始仏教の専門家なんかは、日本や中国の仏教を中国化された
いっしゅ「堕落した」仏教のような言い方をしていましたが、「堕落」華道かは別として、
インド文明が影響したと言うより、中国人が仏教を本場とかなり変わったものに改変して
しまった問題はあると思います。

 ただ、文明発生以前の問題については、頭初に述べたように、アジア太平洋地域の南方で
一体であったような時代があったと思います。
 

http://members.tripod.co.jp/sumicom/


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補足 投稿者:劉公嗣  投稿日: 5月30日(水)07時44分39秒

勿論、仏教の影響も含めて、現在の日本における南方的
要素にインド起点のものがないとは思いません。ただ、
その多くは嘗て広範に存在したものだと思います。


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インド文明 投稿者:劉公嗣  投稿日: 5月30日(水)07時33分10秒

>saitooさん
拝見してきました。本当によく調べられていますね。
私は、最近は一時期ほどの競馬に熱中しているわけ
ではありませんが、それでも重要な趣味の一つです。

>かいがらさん
遂に発売ですねぇ。取り敢えず、私は様子見しよう
かと考えています。

>きんたろうさん
勿論、インドから直接にとは考えていませんが、そ
れでも、現在日本に見られる南方的要素は、嘗て広
範な地域に存在した要素で、特にインド起点という
わけではないと思います。ただ、中国経由とはいえ
仏教の影響は非常に大きかったので、これをどう評
価するかによって、日本におけるインド文明の比重
も大きく変わってくるのだと思います。


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もろもろv(^o^) 投稿者:きんたろう  投稿日: 5月30日(水)00時09分44秒

こんばんは。

>私の知人の言語学者は、その方法論と有効性に大いに疑問を呈していました。
その方の論文、もしくは出版されている著作について教えていただけますかv(^o^)

>これは、ちょっと違うように思います。日本における南方的要素は、
>嘗て東アジア南部や東南アジアや(後のことになりますが)ポリネ
>シアといった広範な地域に存在した要素の名残のように思われます。
そうですね。
「インド」という言葉はダイレクトに「インドから」と受け取られ易いでしょうね^^;;
大熊猫さんのところにもちょっと書いたのですが「文明」とは「伝言ゲーム」のいようなものだと
私は思っています。

インダス文明が伝播していったように、あるいは仏教が伝わったようなルートによって東南アジア
地域にもインド文明の影響が及んだものと考えられるように思っています。


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いよいよ 投稿者:かいがら  投稿日: 5月29日(火)23時44分32秒

今週発売を再確認
電車に乗って、引き取りに行かねばなりませぬ
メンドいな…


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なるほど・・・ 投稿者:saitoo  投稿日: 5月29日(火)23時31分48秒

ご返答ありがとうございました。
もう少し自分でも調べて見ます。

あと、もしよろしければ私のHPにも遊びにきてみてください。
それでは。

http://urawa.cool.ne.jp/saitoo/top.htm


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言語と文化と 投稿者:劉公嗣  投稿日: 5月29日(火)07時09分20秒

>日本大熊猫さん
言語の変化というのは、文字資料が残っていないと結局はよく
分からない、ということになるように思います。縄文時代の日
本列島の言語状況も、結局は永遠に謎のまま残るのでしょう。
>中国少数民族中には残っています
そうですね、前回の投稿ではこの点をつい無視してしまいまし
た。ドキュメンタリー番組で、こんなに日本文化と共通点があ
る!とレポーターが大袈裟に伝えることがよくありますが、元
来共通の文化的要素が強くあったのだろうと思います。

>saitooさん
初めまして。今後とも宜しくお願い申し上げます。
山野浩一先生によると、si・cambreと二語に分ければ、「もし
反り返っていたら」との意味になるそうですが、或いは古地名
なのかもしれません。


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質問があります 投稿者:saitoo  投稿日: 5月29日(火)00時54分06秒

はじめまして、saitooといいます。
馬の名前の意味を調べているのですが、Sicambreとはどういう意味かご存知でしょうか?
おそらくフランスの地名ではないかと思うのですが。それも古代の。


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劉公嗣さんのレスを読んで補足 投稿者:日本大熊猫  投稿日: 5月28日(月)23時10分59秒

 実際、どこが起点かという問題はさておいて、日本における「南方」的要素
というのは、
>アジア南部や東南アジアや(後のことになりますが)ポリネシアといった広
>範な地域に存在した要素の名残
であり、そのアジア南部には、文明発生前のインド亜大陸も含まれるのでしょ
う。
 確かに、中国中心部では、春秋戦国から秦漢にかけての激動発展の中で消滅
しましたが、「現在でも、東南アジアや日本」、しいては中国少数民族中には
残っています。

 まあ、私の主張は、こういった南方要素や、しいては北方要素が確かに、日
本文化の基盤にあるのかもしれませんが、それは中国でも、朝鮮でも同じだと
思うのです。
 列島や半島では、そんな雑多な要素を統合して、現在の日本文化、朝鮮文化
たらしめたのは、秦漢以降の新段階の中国文明であるし、中国本土においても
春秋戦国から秦漢にかけての発展は、そんな南方・北方要素を統合して
中国文明は新段階に入ったと考えるのですが。

http://members.tripod.co.jp/sumicom/


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きんたろうさん 投稿者:日本大熊猫  投稿日: 5月28日(月)22時38分40秒

 きんたろうさん、長文のレス有り難うございます
>結論から言えば、日本列島への流入規模とは「言葉の基本的変化」を起こさなかった
>程度であると

 「『言葉の基本的変化』を起こさなかった程度」、ううん?
 なんせ、この前後の列島の言語状況が分かりませんので。言語年代学者の主張にしろ、
聞いていると、「日本語や朝鮮語がそんな7000年も1万年も前から存在していた」という
《仮定》に基づいた説だと思うのですが。
 それと、私は「パスカル」一文で述べられたきんたろうさんのお考えと違うのですが、
この時代の列島の言語状況の最大の変化は、大陸からの文字=漢字の流入、そしてもう少し
展望すると仮名文字の発生だと思います。私は、日本語の最大の特徴は、漢字と仮名とで
表記されることにあると考えております。
 結局、当該時代以前の言語状況は、闇の中といった状況もありますもので。

>世界に冠たる中華思想も古代文明最古の歴史を誇るメソポタミアから見れば
>「黄河文明」とはユーラシア大陸のはずれに何千年も遅れて開いた文明の亜
>流に過ぎない

 こういう文明一元論的な見方も、近頃は余り主張されていないように思いますが。

>大熊猫さんの表現は国粋的な中国人的視点によるもののように感じてしまいました

 私がこういう表現をするのは、自分が「東夷」(笑)だからで、もし中国人だった
ら、少なくともこんな表現はしません。まあ、私は国粋的でない日本人です。
 ですから、
>人間は誰でも自分を中心に物事を考えがちになると思っています。
 とのご見解には必ずしも賛同できないのですが、その「東夷、西戎、南蛮、北狄」の
問題については、私の旧HPの一文を、お時間があれば読んでいただいたらと思います。
下にリンクを張っておきます。
 どうも歴史上の「戎夷蛮狄」というのは、「中華」に比べて、必ずしも文化が劣って
いたわけでもないようです。
 まあ、実際、日本や朝鮮史の発展というのは、「中国の辺境」のような所から、文明と
国家が誕生発展し、やがて中国文化と対等のものに成長していく歴史だと考えております。

>それはまずインド方面を起点とする南方からの影響があり、第二波として黄河を中心と
>する北方からの影響が増大したのではないでしょうか??
 「南方からの影響」を「インド方面」からとせず、「長江方面」とされるのであったら、
お説に賛成で、少なくとも長江より古い遺跡がインドで発見されぬ限り、「インド起点」
には余り根拠はないと思います。

 ただ、この辺については、私の「各地からの雑多な影響」一文については、今度の週末に
は改訂するつもりであり、ここでも触れさせていただきますが、ただ私の論からすると、
ご指摘の通り、この方面への深入りはかえて、私の真意を薄めます。
 基本的には、確かに「凡アジア太平洋的な雑多な要素」としておくだけで、よく解明され
ていないことには、深入りしないことにしておきます。

 どうも、私の方も長くなってしまってすいません。
 それと、きんたろうさんにお願いですが、もし私のレスに再レスしてくださるのなら、
私の掲示板の方にお願いしたいのですが、いかがでしょう?
 それと、「京都の恋」一文は早急に拝読させていただきます。
 

http://www.cwo.zaq.ne.jp/bfacc109/M/syorui/history/juteki.html


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書き忘れましたが 投稿者:劉公嗣  投稿日: 5月28日(月)22時35分27秒

>まずインド方面を起点とする南方からの影響
これは、ちょっと違うように思います。日本における南方的要素は、
嘗て東アジア南部や東南アジアや(後のことになりますが)ポリネ
シアといった広範な地域に存在した要素の名残のように思われます。
中国大陸では春秋戦国の動乱の結果として失われた要素が、現在でも
東南アジアや日本に残っているということではないでしょうか。


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きんたろうさん 投稿者:劉公嗣  投稿日: 5月28日(月)22時18分34秒

リンクの件、有難う御座います。長い書き込みも議論も大歓迎ですので、
今後も気になさらず投稿してください。

言語年代学はある程度は有効だと私は思うのですが、私の知人の言語学者
は、その方法論と有効性に大いに疑問を呈していました。


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リンクを有り難うございました^^ 投稿者:きんたろう  投稿日: 5月28日(月)21時26分44秒

私の方からもリンクを貼らせていただきました。
ご確認下さいねv(^o^)
下記のアドレスです。

今日アップされた「天智と天武」をそっそく読みましたよ。
落ち着いた文章でよくまとまっていると思いました。

この二人については私も劉さんが書かれている事とほとんど同じような認識を持っています。
確かにこの二人の関係については色々と言われていますよね。
そう言えば私も以前アップしたページに「推測壬申の乱」があります^^

http://www.net-ibaraki.ne.jp/kintaro/sub2.htm


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大熊猫さん 投稿者:きんたろう  投稿日: 5月28日(月)21時21分28秒

レスを有り難うございます。
またパスカルの言葉を読んでいただいて有り難うございました^^
ちなみに「京都の恋」はその前編になっています。

最初にお断りしておきますが、私は「討論」を望んではいませんのでご了承下さいねv(^o^)
あくまで私の「私論」(と言うほど大げさではないのですが、笑)ということです。
異なった意見はお互いにプラスになるはずだと思っています。
と言うよりも私の知識不足のせいと言った方がいいかも知れませんが...自爆^^;;

>おっしゃることがよく分からないのですが、この時期、大陸から列島への
>人口の流入はかなりのものがあったとは思うのですが?
ごめんなさい(ぺこぺこ)
別にちゃかすつもりで書いたわけではないのです。
大陸からの流入についてはどの程度の量をもって「かなり」のものであるとするのかどうかは個人
の感覚に依るところが大きいように感じています。

結論から言えば、日本列島への流入規模とは「言葉の基本的変化」を起こさなかった程度であると
言えると思っています。
この1000万人流入説にしても年間にすれば約1000人程度になりますよね??
当時の列島人口は数100万人と推定されていますから、その流入の人口比率は1パーセントに満
たない数字になろうかと思います。

>私も朝鮮語と日本語の「近親」性を否定する立場ですが、ただ、そんな以前
>から朝鮮語も、日本語も存在していたとは思いません。
はは^^;;
どうコメントしようかな、笑
私は専門家の意見を信じているのですが...
そうでないと根拠に欠ける意見であると言われても仕方がない様な気がします。

>当時の朝鮮も日本も、いわば中国の雲南省
>のようなもので、中国の辺境地区のようなものだと考えるのですが。
??
さて、どうなのでしょうか??
人間は誰でも自分を中心に物事を考えがちになると思っています。
中華思想もその本質とは自分達のテリトリー(勢力圏=領土)を中心にしてその外側を東夷、西
戎、南蛮、北狄と勝手に呼んでいるにすぎませんよね、笑
これは皮肉ではなく中華思想とは人間の持っている素朴な感情に根ざしたものと思っています。
大熊猫さんの表現は国粋的な中国人的視点によるもののように感じてしまいました(^^ゞ)

これを拡大解釈すると例えば、世界に冠たる中華思想も古代文明最古の歴史を誇るメソポタミアか
ら見れば「黄河文明」とはユーラシア大陸のはずれに何千年も遅れて開いた文明の亜流に過ぎない
言われても仕方がないように思えてしまいそうです、笑

勿論文明とは高きから低きに流れるという絶対に限りなく近い法則からすれば、日本文明の形成に
中国らの影響が多大のものであったという事実は間違いないところです。

ちなみに中国人の「世界」の範囲とは随の領地(=勢力範囲)にほぼ同じであると思っています。
中国人はこれを超えた所を中国ではなかったと認識していたように思っています。

黄河文明の農業生産物の中心は粟と稗でした。
ところが南方から稲作が普及してくるにつれて食糧の生産性が向上し、黄河文明の影響を及ぼす範
囲が広がっていったのではないでしょうか??

影響力の点から見れば、日本においても同様に考えられる事が出来ると思っています。
それはまずインド方面を起点とする南方からの影響があり、第二波として黄河を中心とする北方か
らの影響が増大したのではないでしょうか??
極めて大雑把に言えば、これが日本社会を形成する多重性の原因の一つのように考えています。

長くなってしまいました。
劉さん、憩いの広場なのにすみませんでした(;^_^A)


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眠いなあ・・・ 投稿者:劉公嗣  投稿日: 5月28日(月)07時16分36秒

>かいがらさん
ガンダムのゲームですか。私はガンダム世代なのですが、見たことが
ないのでさっぱりガンダムの話題にはついていけないのです。ウルト
ラマンやカメンライダーも同様ですが。私が子供の頃に放映されてい
たアニメや特撮で話についていけるのは、ドカベンと銀河鉄道999
くらいですかねぇ。

>会長殿
卒論に向けて、準備が整っていますね。頑張ってくだされ。


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私に関連する内容もありますが 投稿者:彦やん  投稿日: 5月28日(月)00時10分43秒

主題が歴史なので、軽率に口を挟むことは避けます・・・。

また平日です。
また学校(書庫と図書館と食堂)通いです。
これで甲斐があれば言うこと無し(笑)。

http://nununu.nu/paasuke/


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なんか 投稿者:かいがら  投稿日: 5月27日(日)23時15分24秒

活発化&難解化してますね〜
僕は難しい事はわからないので、パスパス…(笑)

今週、ガンダムのゲームも予約してしまい、途方にくれてます(笑)


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伝統文化の確立 投稿者:劉公嗣  投稿日: 5月27日(日)23時03分18秒

>日本大熊猫さん
朝鮮の場合はよく分かりませんが、日本の場合は、やはり
大体戦国時代のことだと思います。
言語年代学は有効だとは思うのですが、例えば日本語と朝
鮮語のように、個々の事例に関しては、やはり具体的に見
ていかないと、実態から大きく外れた結論になってしまう
のかもしれません。

>Toshyさん
遠野物語といえば、私も柳田国男しか知りませんでした。
佐々木某氏の遠野物語は不気味なものなのですか。遠野物
語も奥が深そうですね。


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十の物語 投稿者:Toshy  投稿日: 5月27日(日)22時51分46秒

って、「デカメロン」かい。「遠野物語」です(変換ミス:笑)

教科書にも載っている「マヨイガ」(=迷い家?)なんてのは、一種のユートピアというか仙境伝説、桃源郷に似た雰囲気ですね。川に沿って山に入るうちに、無人の家を見つけるという話です。そして二度とその家を見ることはない、というところ。

柳田国男の本は有名ですが、佐々木なんとかいう方の「遠野物語」は不気味です。こちらもぜひ多くの人たちに知ってもらいたい。

http://village.infoweb.ne.jp/~fwjd2293/tsu.htm


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続き 投稿者:日本大熊猫  投稿日: 5月27日(日)21時40分31秒

 現在の朝鮮文化と日本文化の形成に当たって、両者は比較的
同じような文化適要素を共有はしていると思います。ましてや、
人種的には、特に西日本は近いものがあると思います。
 しかし、朝鮮文化(民族)も日本文化(民族)も、そんなもの
が問題になるのは、やはり統一新羅もしくは律令国家以降のこと
で、伝統的な日本文化、朝鮮文化の確立となると、李氏朝鮮や
室町後期のことだと思います。
 いわば、それ以前の半島も列島も、中国の辺境のようなもので
雑多な文化的要素が統合されず、混在していた状態と考えるわけ
です。
 ですから、白村江以前、半島から列島に多くの人が渡ってきた
としても、これを朝鮮人が渡ってきたとは言えないと思いますし、
実質は朝鮮半島を経由した中国江南系や北方系の人の流れだと思い
ます。まあ、中国の少数民族のような人々で、もちろん後には漢族
系の人も来たと思いますが。


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きんたろうさん 投稿者:日本大熊猫  投稿日: 5月27日(日)21時31分56秒

>一般的な単位の概念からは大きく外れた考えの持ち主だと思っています
 おっしゃることがよく分からないのですが、この時期、大陸から列島への
人口の流入はかなりのものがあったとは思うのですが?

 実は、さっき、そちらのHPの「パスカルの言葉」一文、拝見しました。
>「日本語と朝鮮語が仮に同じ源から別れたとしても、その分裂の時期とは
>今から約7000年から10000年も昔のことである」
 私も朝鮮語と日本語の「近親」性を否定する立場ですが、ただ、そんな以前
から朝鮮語も、日本語も存在していたとは思いません。

>歴史時代以降に朝鮮からの勢力が日本を席巻したような事実
 朝鮮半島を経由したような人の流れはかなりのものがあったでしょうが、
民族的な朝鮮勢力が席巻どころか流入したとも、私は思っていません。
 というのは、どう考えても、この時期、朝鮮(民族)というものが形成
されているとは思えないからです。これは、日本だって同じですが。「100
万人流入」とか言いましたが、当時の朝鮮も日本も、いわば中国の雲南省
のようなもので、中国の辺境地区のようなものだと考えるのですが。

 本来なら、きんたろうさんのHPの掲示板に書くべきだったかもしれません
が、「討論」の性質上、ここに書かせてもらいました。申し訳ありません。


http://members.tripod.co.jp/sumicom/


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なるほど 投稿者:劉公嗣  投稿日: 5月27日(日)19時03分58秒

奥吉野から紀伊にかけてのユートピアですか。
これは知りませんでした。そういえば、ユートピアとは
ちょっと違うのかもしれませんが、遠野物語というのも
ありますね。


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日本のユートピア思想 投稿者:Toshy  投稿日: 5月27日(日)18時21分10秒

海の向こうのユートピア、といえば、きんたろうさんところの常陸は、古代から理想郷だといわれてきました。とはいえ常陸そのものというよりも、その東方にあるといわれた異国の島への憧れであったようです。
ちなみに日本にも桃源郷同様に山の中のユートピアもいくつか存在しています。「酒の泉の郷」という伝説は奥吉野から紀伊にかけてのユートピアで、郷の入り口には酒が湧いている泉(おそらくは温泉であろう)があったという話。これは桃源郷によく似たストーリーです。
でも日本人はどちらかというと外部に対して閉ざしたところがあるみたいで(今も)、安全地帯にいるうちは憧れを抱いても、自分が外部と接する時には恐怖をもっていたみたいですね。

http://village.infoweb.ne.jp/~fwjd2293/index.htm


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日本のユートピア思想 投稿者:劉公嗣  投稿日: 5月27日(日)11時32分26秒

海の向こうに求めた・・・というのはあるでしょうね。
それだけではなく、山中や森林に求めた・・・といのも
あるかも・・・とも思いますが、私もよく分かりません。


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連続投稿v(^o^) 投稿者:きんたろう  投稿日: 5月27日(日)09時30分11秒

劉さんが言われているように、常世思想という考えも時代と共に変遷している可能性は高いのでは
ないかと思っています。
また、同時代においても、やはり言われているように各地域、各階級でも程度差はあると思います。

少なくとも「ユートピア」や「桃源郷」に対して古代日本人は海の向こうにあると思っていたよう
です??(もっともこれもまた観念的なものなのかも知れませんが...)


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大熊猫さん 投稿者:きんたろう  投稿日: 5月27日(日)09時28分49秒

こんにちは。

>常世思想が成立したのが、「常陸風土記」成立以前だとしたら、海
>の向こうからの移住というのは、列島においてはありふれたことだった
>と思うのですが。
移住がありふれていたのかどうかはよく分かりません^^;;
ただ、少なくとも現代人が持っている様な国境意識ではなかったようには思っています。

>誰でしたか、弥生時代から奈良時代ぐらいまでの約千年間に約百万人
>の人間の大陸から列島への流入を推測されていますね。
そうですね。
この説の特徴は「単位」を人間の平均寿命を越えた所に設定してある点ですね^^;;
一般的な単位の概念からは大きく外れた考えの持ち主だと思っています、笑


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今日は早く寝よう・・・ 投稿者:劉公嗣  投稿日: 5月26日(土)23時51分51秒

>kituno_iさん
了解しました。明日の更新の際にリンク集に追加します。
『日本の名著 聖徳太子』は、古書店なら見付かるかもしれませんが、
なかなか入手困難なんですかねぇ。

>かいがらさん
うーん、迷っています。カードバトルも、幕末志士伝の時のように、
説得だけだとよかったのに・・・と思います。取り敢えずは、様子見
しようかと思います。


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先に… 投稿者:かいがら  投稿日: 5月26日(土)23時31分11秒

僕は予約したので、買います
買われないんですか?
ザンネン(TT)


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亀亀^^;; 投稿者:kituno_i  投稿日: 5月26日(土)22時42分47秒

すっごく遅れてしまったのですが、5/14に私のHP掲示板に書き込んで下さった
相互リンクの件、こちらこそ宜しくお願いします。<(_ _)>

トピックの中にも書き込んだのですが、紹介していただいた『日本の名著 聖徳太子』
はやはり注文できないことがわかりました。とても残念です。


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常世思想の成立 投稿者:劉公嗣  投稿日: 5月26日(土)22時04分16秒

『常陸風土記』で確認できるのですか。勿論、かなり古い時代からの
観念であっても全く不思議ではないと思います。ただ、地域や職種や
時代により、海への観念は随分と異なってくるように思います。
例えば、自身は殆ど都から出たことのない貴族・甲斐の山中の住民・
北部九州の海民といった具合に。時代についていえば、白村江の戦い
や「鎖国」政策といったものも転換期となったのかもしません。
海の向こうには様々な捉え方があり、確かに、様々な概念が渾然一体
化していったところはあると思います。


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列島への流入 投稿者:日本大熊猫  投稿日: 5月26日(土)19時29分01秒

 もし、それが戦などに敗れての「亡命」などであったら、確かに
「一方通行」になりますね。
>DNAに記録
 とか言う以前に、実際はそんなに「遠い記憶」ではないのかもしれ
ませんね。
 常世思想が成立したのが、「常陸風土記」成立以前だとしたら、海
の向こうからの移住というのは、列島においてはありふれたことだった
と思うのですが。
 誰でしたか、弥生時代から奈良時代ぐらいまでの約千年間に約百万人
の人間の大陸から列島への流入を推測されていますね。

http://members.tripod.co.jp/sumicom/


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常世思想 投稿者:きんたろう  投稿日: 5月26日(土)18時53分17秒

劉さん、大熊猫さん

常世思想については少なくとも「常陸風土記」においては確認することが出来ます。
ですからこれが成立以前において既に常世思想は存在したと言って良いように思っています。

海の向こうにあるのが「ユートピア」なのか「外国」なのか「故郷」なのかについて渾然一体とな
っているところが日本人が持っている??深層心理の特徴だと思っています^^
さらには西方浄土の考えもまたこれに加えられていったのではないでしょうか??

>海の向こうからやってきたことの記憶の名残
それも片道切符ですよね、笑
ひょっとしたらDNAに記録された記憶が蘇るのでしょうか??


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常世思想 投稿者:日本大熊猫  投稿日: 5月26日(土)18時18分39秒

 きんたろうさん、ご訪問有り難うございます。まずはここからレスします。
 私などは、常世思想は、むしろ自分たちの先祖がかつて海の向こうから
やってきたことの記憶の名残のように思えるのですが。
 またおっしゃるように、「海を境界」とする思想が一定段階で生まれてきます。
特に白村江の敗戦以後。しかし、実質、そんな状態が生まれたのは「鎖国」以降
ではないでようか?

http://tcup71.tripod.co.jp/7130/sumicom.html


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常世思想 投稿者:劉公嗣  投稿日: 5月26日(土)18時00分35秒

いつどのように形成されてきたのか、どのような人々の間で
そうした観念が浸透していたのか、というのが重要な問題だ
と思います。日本列島は地形が複雑なので、多様な観念が存
在した可能性は高いかと・・・。


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勿論 投稿者:きんたろう  投稿日: 5月26日(土)13時30分49秒

日本列島が外界から切り離された「孤独の世界」というつもりではありません、念のため(笑)
でも常世思想などをみると海は果てしない境界として意識が形成されていたように思われてきます。

日本大熊猫さん、有り難うございます^^


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もうすぐ朝生だ・・・ 投稿者:劉公嗣  投稿日: 5月26日(土)01時37分36秒

多分、途中で寝るだろうけど(笑)。

>かいがらさん
基本的な概念ほど、定義が難しいように思えます・・・。
「民族」や「国家」など・・・。

>日本大熊猫さん
東アジア世界・中国文明の影響といった問題は、日本大熊猫さんの
HPの掲示板で議論する方が、混乱せずにすっきりするかもしれま
せん。

>Toshyさん
きんたろうさんの掲示板の書き込みを読んで訪問致しました。
本当によく調べられていて、感心することしきりです。


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庶民の歴史 投稿者:Toshy  投稿日: 5月25日(金)23時49分36秒

世界を一周した最初の日本人・津太夫と、日露国交の先駆者・善六のコーナーが終了しました。
みなさま遊びに来てください(^^)

http://village.infoweb.ne.jp/~fwjd2293/tsu.htm


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手前味噌かもしれませんが、 投稿者:日本大熊猫  投稿日: 5月25日(金)23時39分42秒

 歴史の討論等は、私の掲示板でしていただいた方がいいかも
しれません。私も、色んな方に来たいただいた方がいいですし。
 まあ、劉公嗣さんのお考えもあるでしょうが・・・、
 どうでしょう?
 忌憚無きご意見を!

 後、私も劉公嗣さんに倣って、掲示板の過去レスを整理して載せることに
します。ただし、創設以来、まだ一件も消えていません。

http://tcup71.tripod.co.jp/7130/sumicom.html


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どんどん話が(笑) 投稿者:かいがら  投稿日: 5月25日(金)23時21分45秒

難しくなっていく(笑)
民族の概念規定は内包されるものではないというのが僕の持論です
って、関係ないか(笑)


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今日は 投稿者:劉公嗣  投稿日: 5月25日(金)23時10分43秒

朝まで生テレビを見るために遅くまで起きていようかと思います。

>きんたろうさん
殆ど外界から遮断された「完結された社会」というのは、世界には
確かに存在しますね。タスマニアなどもそうですが。日本列島は、
そこまではいかないように思います。

>日本大熊猫さん
そちらの掲示板にてレス致します。


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どうも、 投稿者:日本大熊猫  投稿日: 5月25日(金)21時45分56秒

 きんたろうさん、今晩は!

 よろしければ、私のホームページにもいらしてください。
 特に掲示板に昨日アップした「広い地域との交流」は、たぶん、御提起の
問題に対するレスになっていると思います。また近日中に、このへんの問題
について書いてみようと思いますので、よろしければ是非お出で下さい。

 下は当掲示板のアドレス

http://tcup71.tripod.co.jp/7130/sumicom.html


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素晴らしい内容だと思いますよv(^o^) 投稿者:きんたろう  投稿日: 5月25日(金)21時26分39秒

都市の境界として城壁が発達しなかったという点については、かなり重要な日本の特質として挙げ
られるべきだと私は思っています。
一般的には「都市に城壁が無い」という事は世界史的には極めて希な例外に当たっていますよね??

ところで、インドネシアを例を挙げたのはこの地域を形成する小さい島々をイメージしていたから
なんです、笑

日本列島の地理的環境を他の地域で例えてみると、南極やオーストラリア、ガラパゴス諸島のよう
に外界から遮断された「完結された社会」のようなものと同じなのかも知れませんねv(^o^)
ここから独自の世界が形成されていった...かな??^^

日本大熊猫さん、こんばんは。
そのとおりです。
中国・朝鮮半島との関わりが深いのは勿論の事ですが、日本を形成している因子はそればかりではありませんからね。

http://www.net-ibaraki.ne.jp/kintaro/zui.htm


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行政組織は・・・ 投稿者:劉公嗣  投稿日: 5月25日(金)07時43分02秒

例えば高橋昌明氏は、中世西欧よりも、律令国家や王朝国家の方が
行政組織は遥かに整っていたと仰っていますし、そうした見解は案
外主流なのかもしれません。
「中央」文化の「地方」への波及となると、やはり応仁の乱が重要
な転機となるようですね。こうしたことも、「日本」の形成に重要
な役割を果たしているのだと思います。


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