国学の影響

 

 講談社の『日本の歴史 第05巻 律令国家の転換と「日本」』の冒頭で坂上康俊氏は、唐詩や『万葉集』に収められた歌のいくつかをそらんじていることはあっても、平安時代の日本の漢詩を一編でも空で言える人が、十万人に一人いるだろうか。もちろん私も例外ではない、と述べられているが、大変面白い御指摘であると思う。実際のところ、日本における各時代(明治より前)の文学の主流(というか正当)は、寧ろ漢詩文であると言ってよいようにも思われるのだが、その割には知名度は随分と落ちる。無論、斯く言う私も、日本の漢詩文についての知識は極めて乏しい。
 その要因は、高校迄の日本史と国語の授業や、文学史を扱った一般向けの書物などにおいて、日本の漢詩文が取り上げられることが殆どないためである。授業や書物では、和歌・連歌・川柳・黄表紙・人情本といった「国風」文学への比重が圧倒的に高いが、これは、江戸時代に確立した国学の影響によるものと思われる。国学は、皇大御国(すめらおほみくに)と異国(あだしくに)という二項対立の図式を提示し、後者を代表する漢詩文ではなく、前者を代表する和歌や王朝文学などこそ日本文学の主流とした。
 明治以降に日本の国文学史研究が手本とした近代西欧の文学史研究は、ナショナリズム的性格の濃厚なものであり、国学と西欧の文学史研究との相性は極めて良かったといえる。後者が各国の「国語」による作品だけで文学の流れを把握し、中世から近世半ばに至るまで多く著されたラテン語作品を追放したように、前者は日本文学史において寧ろ主流・正当だった漢詩文を異国のものとして排斥したのである。国学の提示した日本文学史像は、明治以降も否定されるどころか一層強化されて浸透していき、それは戦後になっても基本的には変わらなかった。そのため、日本人が日本の漢詩文に触れる機会が殆どないということになったのだが、『古今和歌集』や『源氏物語』などの「国風」文学が人口に膾炙している状況を考えると、著しく偏っているように思われる。
 日本の様々な「伝統」が変容・衰退する一大転期は、江戸時代以降には明治と敗戦の二回あったが、国学の提示する日本文学史像は、基本的に揺るがなかった。これは、国学的日本文学史像が実は「伝統」ではなく、近代ナショナリズム的性格の濃厚な「創られた伝統」だったためではなかろうか。それ故に、国学的日本文学史像は近代化の際にも強靭な生命力を発揮して生き残り、それどころか一層強化されて浸透していったのだと思う。そして、国学の影響は日本文学史研究に留まらず、日本文学の解釈を通じて、一般の日本貴族像、更には日本史像をも新たに創出(或いは、従来の一部の傾向を強化)していったと思われる。

 次回は、この問題について、江戸時代を対象にして少し具体的に述べてみたい。

 

 

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