国家の起源について
「古代貴族の歴史観」は、構想がある程度纏まるまでは休載とし、その間は他の話題を述べていきたい。
国家の定義については様々な見解があり得るもので、ある組織を国家と認定するか否かという問題を巡って論争が起きることも珍しくない。そもそも、基本的な概念ほど定義が却って難しいものなのだろう。
国家か否かが問題となるのは、概ねその発生期のことで、どの時点からの組織を国家と定義するか、見解の分かれるところである。文字の使用を国家の最重要な認定基準とする見解は根強いように思われるが、確かに国家の重要な指標ではあろう。だが、文字を使用しない国家というのもあり得るのではなかろうか。中南米では文字の使用があまりなかったが、それでも一般には帝国の存在さえ認められている。
どうも、従来は国家というと、メソポタミアの都市国家の構成要件を基準にして議論されることが多かったように思われるが、歴史とは、世界史として、或いは世界史を意識して叙述されるべきものだと私は思うので、国家の認定についても世界史的視野で考察されるべきであろう。その際、日本列島における国家形成の問題は、重要な示唆を与えてくれると思うので、以下述べていきたい。
日本における国家形成の時期を巡る論争については、ある研究者が「七五三論争」と名付けているが、要するに7世紀か5世紀か3世紀のいずれに国家の成立を認めるか、という論争なわけである。現在では、日本列島における国家の成立を7世紀とするのが定説だが、5世紀後半〜6世紀にかけて、或いは3世紀半ばに遡って国家の成立を認める見解もある。現在では7世紀説が有力とはいえ、その他の2説も根拠がないわけではなく、議論は今後も続いていくのだろう。
こうした見解に対して、寺沢薫氏は『日本の歴史02 王権誕生』(講談社2000年)などにおいて、日本列島における国家の成立を、何と前3世紀後半〜前2世紀の弥生時代前期末〜中期初めにまで遡らせる見解を提示された。要するに、『漢書』や『後漢書』や『魏書』に見える倭の諸国、つまり環濠・高地性集落などを国家と認定しているわけで、一見すると無謀な見解のようだが、なかなか示唆に富んでおり、世界史的考察にも通ずる重要な問題提起になっているのではないかと思われる。
寺沢氏は、政治学者の滝村隆一氏の国家についての見解を引用して自説の根拠とされているが、それは、国家を広義のものと狭義のものとに分けて考える、ということである。広義の国家は、他と区別される地域的小世界を形成する共同体そのものが、いかなる手段を取ろうが征服により支配と抑圧を達成するために、外部に向けて政治的な権力を共同の意志と幻想として発動する。狭義の国家においては、共同体の中に経済的な支配・被搾取の階級が生まれ、この二つの階級の不断の闘争によって社会が崩壊してしまわないように、第三の権力としての国家権力が生まれる。
こうした定義においては、中国の文献に「国」と見える弥生時代の諸集落も、「国家」として認定してもよいのではないか、というのが寺沢氏の見解なのである。
寺沢氏の見解は拝聴すべき貴重なものだと思うが、「日本史」に留まらない重要な問題提起にもなっている。つまり、世界史において国家の起源をいつと考えるべきなのか、との問題にも通ずるのである。仮に寺沢説を認めるとすると、世界における国家の起源も、従来一般に言われているよりもかなり古く設定しなければならないだろう。重要なのは、「他と区別される地域的小世界を形成する共同体そのものが、いかなる手段を取ろうが征服により支配と抑圧を達成するために、外部に向けて政治的な権力を共同の意志と幻想として発動する」ような組織が存在しているか否かということなのだから、従来の国家起源論は必ずしも当て嵌まらない。
だが、これはなかなか証明の難しい問題で、日本列島の場合は、国家組織の黎明期からの事情がある程度は中国の文献に記載されていたから、弥生時代の諸勢力が国家か否かという問題提起も可能になったのである。寺沢氏も認められているが、弥生時代の諸勢力における国家組織は大変未熟である。文字も、恐らくは中国への朝貢の際に用いられた程度だろう。つまり、基本的に文字を必要とはしないが、「いかなる手段を取ろうが征服により支配と抑圧を達成するために、外部に向けて政治的な権力を共同の意志と幻想として発動する」組織は存在し得るのであり、弥生時代の諸勢力はそのような組織であった。文字記録には残っていないが、他勢力との「外交交渉」も行なわれていたのだろう。
このような共同体なり組織が文字の使用以前より存在し得て、それを国家と定義するとなると、例えば西アジアや中国における国家の成立も、前4000年か前5000年にまで遡って設定しなければならないのではなかろうか。日本列島における国家形成の問題は、世界史的枠組みの再考にまで通ずるのではないかと思う。勿論、西アジアや中国と、近隣に国家組織と文明の高度に発達した地域が存在した日本列島とは歴史的条件が大いに異なるのであり、日本列島における国家形成の際に、様々な面で高度に発達した中国の影響が大であることは言うまでもない。それでも、朝鮮半島もそうだが、近代より前に国家形成の黎明期の様子が文字記録としてある程度詳しく残っている地域などそうもないだろうから、国家形成の問題を考える際に、日本列島と朝鮮半島は貴重な事例を提供しているように思われる。