結果論

 

 歴史とは、過去の事象についての各人なりの理解であり説明である。当然、叙述や考察の対象とした事象が起きた後の歴史的展開も知っている場合が殆どということになるが、それ故に却って歴史を見誤ることも多いように思われる。要するに何が言いたいのかというと、あまりにも結果論的解釈を採りすぎて、実像とかけ離れた歴史的解釈を行なってしまうことが屡々あるのではないか、ということなのである。以下、具体的な事例に即してこの問題について雑感を述べていく。

 元来はユダヤ教の弱小異端派的存在にすぎなかったキリスト教がローマ帝国の国教になり、遂には全世界へと広がる世界的な大宗教となったことは歴史的事実であり、キリスト教に人々を惹きつけるものがあったことは間違いないだろう。これはある西洋史家に聞いた話だが、キリスト教がローマ帝国の国教となり、地中海沿岸と欧州に順調に勢力を伸ばし始めると、キリスト教の勝利は歴史的必然と説く知識人が多数出現したそうである。ローマ帝国内の他の宗教はどれもキリスト教よりも劣る魅力のないもので、キリスト教が多数の支持を得てローマ皇帝の承認を得たのは必然だというのである。
 ところが、実際にはローマ帝国におけるキリスト教の勝利にはかなり微妙なところがあり、キリスト教はローマ帝国内の多数の宗教の中から最終的には勝ち残ったものの、最終段階まではミトゥラス教と際どい勝負をしていたのであり、どちらが勝つかは予断を許さなかったのであった。だが、キリスト教の勝利という結果から、キリスト教が数々の受難を経ながらも当初から多数の支持を得て優位に立ち、当然のように勝利したと説く知識人が多数出現した。正しく結果論というか後付け解釈であり、妥当な歴史叙述とは言えない。

 結果論的解釈でかなり過大評価されているところがあるのが織田信長で、一般には、時代のずっと先を進んでいた天才で同時代人には理解されにくかった、素晴らしい先進性と独創性の持ち主、全てが新しかった、などと大変高く評価されているが、過大評価もいいところである。そもそも、信長がこのように高く評価されるようになったのはそんなに古い時代のことではなく、杉本苑子さんによると、精々戦後になってからのことで、口火を切ったのは坂口安吾氏らしい。
 その経緯についての詳細は私も知らないのだが、楽市楽座に関する研究や旧陸軍参謀本部編の『日本戦史・長篠戦』などから、坂口氏は信長に類稀な先進性と独創性を見出されたのではなかろうか。以後、司馬遼太郎氏など多くの著名な作家がこうした信長像を描いていき、先進的・独創的な信長という人物像が一般に浸透していった。何故こうした人物像が浸透したかというと、統一の基礎を築いた信長は大変優れた先進的な人物だっただろう、との予断があったためだろう。つまり、結果論的というか演繹的な人物像の提示ということだと思う。これでかなり的確に事象や人物像を提示できることもあるとは思うが、やはり個別具体的な事実の検証、つまり帰納的手法によるのが無難ではなかろうか。
 そして個別具体的に信長の業績を検証していくと、従来(といっても坂口氏による信長像の提示以降ということだが)一般に言われてきたような、鉄砲の運用法・楽市楽座・兵農分離などといった信長の先進性・独創性というのは殆ど虚構であることが分かる。ところが、今でも日本史教科書には、信長は武田勝頼の騎馬軍団を3000丁の鉄砲で迎え撃ち壊滅させた、などどいった記述があるくらいで、そもそも武田軍を騎馬軍団と記述しているのも全くの的外れなのだが、それはともかく、先進的・独創的な信長像はかなり強固なようである。

 歴史解釈・歴史評価というのは困難ではあるが、先ずは、個別具体的な事象の地道な検証が優先されるべきで、結果論的解釈には慎重になるべきだろう。

 

 

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