三国志人気

 

 日本における三国志人気の高さは今更言うまでもないが、その理由は何なのだろうか。近年における日本での三国志人気は、横山光輝氏の漫画やNHKで放送された人形劇や三国志を題材にしたゲームによるところが多分にあるのだろうが、それらだけではなく、吉川英治氏の『三国志』や、更に遡って江戸時代の講談などにも三国志人気の下地があるように思われる。
 これら三国志ものの原点になっているのが、元末〜明初にかけて成立したとされる羅貫中『三国志通俗演義』であることは確実だろう。羅貫中は、陳寿『三国志』を基礎に民間伝承などを用いて新たな小説を創作し、これが現在の三国志人気の原点となった。ただ中国では、『三国志通俗演義』以前より、三国志というか後漢末〜三国時代にはなかなかの人気があった。確か唐末の頃だったと記憶しているが、三国志を題材にした紙芝居が上演されて、子供達が、劉備が負ける場面になると泣き、曹操が負ける場面になると喜ぶ、という話が伝わっている。『三国志通俗演義』が日本での三国志人気の原点になっているのは間違いないところだが、今回はそこに留まらず、もう少し深く三国志人気について考えてみる。

 中国の各時代の中で、日本でも特に人気の高いのは、春秋戦国時代(秦末漢初の楚漢の抗争までも含めて)と三国時代だろうが、両者を比較するとやはり三国時代の方が人気が高いようである。両者には戦乱の時代という共通点があり、日本史でも戦国時代の人気の高さを考えると、戦乱の時代というのは人気になりやすいようである。これは、個人の活躍が派手に見えるということと、個人の器量・人間性が浮き彫りにされやすい、という二点のためであろうか。
 だが、戦乱の時代ということなら、春秋戦国時代と三国時代に限らず、他にもある。例えば現在の中国では、戦乱の時代というと先ず想起されるのは五代十国らしいが、日本では全くといってよいほど人気がない。他にも、五胡十六国・南北朝時代もあるが、こちらも日本での人気は全くといってよいほどない。これらの時代には、確かに春秋戦国時代を描いた『史記』や三国時代を描いた『三国志通俗演義』のような、後世に訴えかける魅力的な書物はなかったかもしれない。結局のところ、不人気の理由はそこに求められるのかもしれないが、別の理由も考えてみたい。

 五胡十六国・南北朝時代や五代十国は、筋道立てて時代の流れを把握するのがなかなか難しいのである。両者とも目まぐるしく諸国家が交替していき、最終的に統一した王朝はというと、共に統一の最終局面で禅譲というか簒奪によって建国しているわけで、統一王朝発展拡大の歴史として捉えることが困難なわけである。
 これに対して春秋戦国時代はというと、春秋時代はともかくとして戦国時代は七強の争覇戦として、或いは秦による統一の過程として捉えることができる。三国時代は、言うまでもなく三国の争覇戦として捉えることができるわけで、両者とも元来、五胡十六国・南北朝時代や五代十国よりも流れを把握しやすく物語として構成しやすかったのではなかろうか。人気の高低の差も、一因はそこに求めることができるように思う。

 では、春秋戦国時代と三国時代との人気の差はどこに由来するのだろうか。これも、時代把握の容易さに起因するところがあるように思われる。春秋時代はもとより、戦国時代になっても争覇戦に参加した主要国は7国もあり、7国自体は始皇帝の統一が本格化するまで継続して存在していたので、五胡十六国・南北朝時代や五代十国ほどではないにしても、やはりなかなか複雑な様相を呈している。
 これに対して三国時代は、三国の争覇戦なわけで、遥かに時代の流れを把握するのが容易である。では、三国ではなく二国の対決の方がもっと受け入れられやすいのではないか、との指摘もあろうが、必ずしもそうではない。二強対決だと今度は単純化されてしまい、物語としての深みに欠けてしまうのである。複雑になりすぎず、かといって単純になるわけでもなく、三強対決(といっても、実際の三国時代は一強二弱だったのだが)というのは、物語として捉えるには絶妙な状況だと言える。現在でも、最も盛り上がって語られるのは大体において三強対決で、3という数字は、実に絶妙な関係性を産み出すと言えよう。
 勿論、三国志でも特に面白いのは寧ろ三国の成立以前で、これはなかなか複雑な様相を呈しているが、これも、三国成立の過程という物語として捉えることが可能なわけで、特に複雑なものとして認識する必要がないわけである。また三国時代は、五胡十六国・南北朝時代や五代十国と同じく、最終局面で禅譲というか簒奪によって建国した王朝が統一を達成しているが、物語としての三国志は後半の主役である諸葛亮の死で実質的に終わっているので、こちらも物語性を大いに損なうものではない。或いは、諸葛亮の最大のライバルとして描かれた司馬仲達が三国を統一した晋の実質的な始祖だけに、却って物語性を高めていると言えるかもしれない。

 

 

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