武田信玄

 

 武田信玄は大河ドラマでも取り上げられており、あまりにも有名な存在ではあるが、先ず最初に永原慶二監修『岩波日本史辞典 CD−ROM版』(岩波書店2000年)から事跡を引用しておく。

1521‐73(大永1.11.3‐元亀4.4.12) 甲斐の戦国大名。名は晴信。大膳大夫、信濃守。1541(天文10)父信虎を駿河の今川義元のもとに追放して自立。信濃に侵入し、53(天文22)以降川中島で越後の上杉謙信と戦いを繰り広げた。66(永禄9)には上野箕輪城を攻略して西上野を領有。68年から駿河・遠江への侵略を開始し、72(元亀3)12月に三方原の戦で徳川・織田連合軍に大勝、さらに上洛を目指したが陣中に病没した。領内統治では47(天文16)に甲州法度之次第を制定。度量衡の統一に意を注ぎ、信玄堤を築いて治水にも努めた。

 武田信玄は戦国時代を代表する名将とされていて、その名声は現在でも揺らいではいない。信玄が父親を追放して家督を継いだ時点では所領は20万石前後、死亡した時点での所領は100万石ちょっとだったと推測されるから、30年程かけて所領を約5倍とし、80万石程増やしたことになる。戦国時代に信玄以上の所領を有した大名といえば、他には三好氏・毛利氏・上杉氏・北条氏・大友氏・織田氏くらいで、三好氏と上杉氏と大友氏の場合はどこまで内部を固められたか疑問があるし、北条氏の場合は既に初代の時点で20万石程度の所領があり、そこから先更に3代かけて武田氏以上の所領を有すことになったから、一代での所領拡大という点で信玄に匹敵するのは、毛利元就と織田信長くらいであり、実績面からは戦国時代でも有数の名将(戦国大名として優れているという方が適切かもしれないが)と言えるように思う。
 元就との比較では、最終的な所領は大体互角だが、元就の場合は、信玄と比較して家督を継いだ時点での所領が少なく、3万石弱だったと推測されるから、この点では信玄と比較して大いに不利だったわけで、その意味では元就の実績は信玄以上に評価されてもよい。だが、元就には信玄以上の寿命があったわけで、元就が所領を大幅に拡大したのは晩年だから、何とも優劣を付け難い。
 ただ、元就の場合は自己よりも圧倒的に巨大な勢力を向こうに回して奮闘し、武略の限りを尽くして所領を拡大していき、敵も寧ろ名将と呼ばれるような者が少なからずいたから、元就の方が一枚上という感じもする。信玄の場合は、基本的に自己よりも弱体な勢力を潰して併合していくことで所領を拡大していったわけで、これはこれで信玄の偉大さを示すものではあるし、元就の場合とは状況が違ったわけだが、私は元就の方に凄みを覚えてしまう。
 信長の場合、家督を継いだ時点での所領は信玄とあまり変わらなかったと推測され、信玄よりも寿命が短かったにも関わらず、死亡時点での所領は信玄を圧倒していたのだから、所領拡大の実績という点では、信玄は信長に遠く及ばない。まあ、信長の実績は戦国大名の中でもずば抜けていて別格的存在と言えるから、信長を除けば、信玄は元就と一二を争う戦国時代の名将だと思う。
 名将とはいっても、信玄が巷間言われるような戦上手だったかというと、村上義清に二度も手痛い敗北を喫していることからも、必ずしもそうとは言えないように思われる。信玄は、基本的に外交・調略を駆使して勢力を拡大するという戦国時代の名将の典型的人物で、この点は信長も元就も同様である。軍事行動は、外交・調略により勝負が付いてから行なうか、外交・調略をより容易にするために行なうのが普通である。

 信玄には上洛・天下取りの野望があり、晩年の大規模な西上作戦はその証だと言われることが多いが、これは疑問である。戦国大名の中で明確に天下統一を意識して行動したのは恐らく信長くらいで、他には、或いは三好長慶にもその野望があったかもしれないが、それはさて措き、信玄の晩年の目標は徳川氏の打倒、つまり遠江と三河の平定であり、上洛というのは自己の軍事行動に大義名分を与えて正当化するためのものであろう。
 この点、今川義元も同様で、尾張への大規模な軍事行動は、一部(ではないかもしれないが)で言われているような上洛のためのものではなく、織田氏へ圧力をかけて以後の外交・調略を容易にするのが目的だったのだろうが、或いは織田氏の屈服まで意図していたのかもしれない。
 もっとも、戦国大名の中で殆ど唯一明確に天下統一を意識して行動したと推測される信長にしても、それがどの時点からとなると、疑問も色々とある。普通は、遅くとも天下布武の印を用いるようになった美濃制圧の時点では天下統一を考えていたとされるが、この時点での「天下」は畿内とその周辺地域を指すのみとの指摘もあり、現在考えられているような天下統一を信長がいつから具体的な目標として考えていたのかについては、今後も検討の余地がありそうである。

 

 

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