人類史に疑惑?(14)
ネアンデルタール人(ホモ=ネアンデルターレンシス)が現生人類(ホモ=サピエンス)と異なる種であることは、近年の発掘成果やミトコンドリアDNAの分析から確実といえよう。人類単一種説やその系譜を継ぐ多地域並行進化説が有力だった頃には、ネアンデルタール人は古代型サピエンスで現生人類の祖先とされていて、私が高校生の頃に使用していた山川の世界史教科書にも、ホモ=サピエンス=ネアンデルターレンシスとあったが、近年では、大昔に提唱されたホモ=ネアンデルターレンシスという分類名称が再び使用されるようになってきた。
ネアンデルタール人の評価は激しく揺れ動いてきており、現生人類とは無縁な野蛮で原始的な人類という初期の評価から、花を愛で仲間を労わり死者を悼むという高い精神性を備えた我々の祖先という評価へと変遷していったのだが、近年では、再び我々の祖先ではないという評価に落ち着きつつあり、現生人類との生存競争に敗れた理由を、認知能力の低さに求める見解も提示されていて、花を愛でたり死者を悼んだという見解にも疑問が呈されるようになった。
ネアンデルタール人への関心が高い理由は、現生人類と形態的に似ており(「猿人」や「原人」などと比較して)、活動範囲に欧州が含まれ、最初に欧州で人骨が発見されたからであろう。また、後にネアンデルタール人が「旧人」に分類され、「旧人」の代表的存在のようになったのは、関心が高く研究が進んでいたからである。
これに対して、東・東南アジアの「原人」や「旧人」の研究が遅れていたことは否めない。そのため、ネアンデルタール人とほぼ同じ年代に東・東南アジアに存在していた人類は、ネアンデルタール人と同じく「旧人」段階にあるとみなされていた。ところが、現在ではアフリカ単一起源説の大御所であるクリストファ=ーストリンガー氏は、若かりし頃に各地の化石を観察し、東・東南アジアに20〜数万年前頃に存在していた人類は、ネアンデルタール人とは大いに異なるもので、同一種の「同じ進化段階」とはとうてい認められない、との見解を提示されたのである。
つまり、今になってみれば、東・東南アジアの「原人」や「旧人」の研究の遅れが多地域進化説を支えていたというところがあり、東・東南アジアは多地域進化説の最後の砦でもあったのだが、研究が進むと、どうも東・東南アジアでも単一起源説が妥当だと認められてきたのである。近年では、出土した人骨の年代測定から、欧州や中東と同様に東・東南アジアにおいても、「原人」や「旧人」といった先住人類と現生人類との共存があった可能性が高いと指摘されている。
話がそれてしまったが、本題はネアンデルタール人についてである。失脚と復権を繰り返してきたネアンデルタール人は、単一起源説が有力になると、絶滅してしまった人類の一種とされ、上述したように、絶滅理由を現生人類と比較して様々な能力が劣っていたことに求める見解が有力になってきたため、再度失脚することとなった。ところが最近、ネアンデルタール人の能力をそうも低く評価することができない可能性を示唆する発見があった。
まずはこの発見である。ネアンデルタール人が、火打石の刃を木製の柄に取り付ける際に、強力な接着剤を用いていたことが明らかになり、ある意味、ネアンデルタール人が現生人類と同程度に洗練された行動様式を有していた可能性も出てきた、というのである。
続いてはこの発見である。35000〜40000年前に、ロシアの北極圏にまで人類が進出していたことが判明したが、ネアンデルタール人なのか現生人類だったのかは分からない、というのである。
仮に、後者もネアンデルタール人のものだとすると、ネアンデルタール人の能力は侮れないものということになり、絶滅した理由を、必ずしも現生人類と比較して能力が劣っていることにのみ求めることができなくなるかもしれない。では、後者もネアンデルタール人のものなのかというと、私はその可能性も充分あると思う。そもそもネアンデルタール人は寒冷地に適応した体型をしているので、その技術水準を考慮すれば、北極圏への進出も可能ではなかろうか。
また、現生人類の文化と考えられていたシャテルペロン文化が、実はネアンデルタール人のものであったことが判明したことも、ネアンデルタール人の技術水準と能力の高さを証明しているといえよう。
では、ネアンデルタール人はなぜ絶滅したのだろうか。確かに、現生人類と比較してある種の能力が決定的に劣っていた可能性は高いと思う。現生人類と比較しての広域的なネットワークの欠如がよく指摘されるが、それもある種の能力の欠如に理由が求められるのかもしれない。
もう一つ考えられるのは、広域的なネットワークの欠如とも密接な関係がありそうだが、遺伝的多様性が欠如して進化の袋小路に陥ったのではないか、との推測である。1万年近い年代差のあるネアンデルタール人の骨から取り出したミトコンドリアDNAを分析したところ、現生人類よりも変異差は小さかったそうである。あまりにも寒冷地に適応してしまったネアンデルタール人は、多様性を失って先細りになってしまったのだろうか。
最後に、余談になるが、ネアンデルタール人生存の可能性について述べてみたい。世界各地で目撃された(ということになっている)「雪男」や「ビッグフット」などは、実は「原人」や「旧人」の生き残りではないか、との噂があり、小説の題材になることもある。
私は、ネアンデルタール人をはじめとして、現生人類とは異なる「原人」や「旧人」が、現在も生存している可能性はないと言ってよいと考えているが、仮に生存していて発見された場合はどうなるであろうか。恐らく、現生人類にとっては極めて厄介な事態になるのではなかろうか。
なぜかというと、はたして「原人」や「旧人」とどのような関係を構築するかという点をめぐって、激論となるのではないか、と推測しているからである。彼らは、明らかにチンパンジーやゴリラよりも現生人類に近いのだが、あくまで現生人類とは別種である。彼らに人権と義務を認めたり要求したりするのか、それとも基本的には他の動物と同じ扱いとするのか、容易に結論はでないだろう。
ネアンデルタール人が生存していた場合は特に厄介である。彼らは、シャテルペロン文化を築けるだけの能力があった。誕生時より教育を施せば、かなりの知識を習得し、現生人類の社会(そのすべてとは言わないが)に適応できるかもしれない。その場合、ネアンデルタール人を「国民」として受け入れるべきなのであろうか。これは、大変な難問となるだろう。
もちろん、こうした問題は、地球外知的生命体と遭遇した場合にどうするかという設問と同様に、杞憂に終わるだろうが、ネアンデルタール人について考えていてふと気になったので、述べてみた次第である。