人類史に疑惑?(16)
OSを二度も再インストールことになったり、風邪をひいて寝込んだりして、なかなか雑文を書く気力が湧かず、久々の執筆となるが、この間、現生人類の起源に関する大変重要な論文が、分子遺伝学と形態学の双方から相次いで発表され、私も大変興味深く思ったので、それらの概要と私見を述べることで、現時点での自分の考えを何とかまとめてみたい。
先ず最初に記すのは、分子遺伝学の分野から人類史について述べた論文の概要である。
十数万年前にアフリカに登場した現生人類と、世界各地の先住人類との間には、全面的な置換があったという説が有力になりつつあったが、この論文では、全面的な置換はなく、通婚があったとされていて、人類の出アフリカには、少なくとも三度の大きな波があったとされている。最初は170万年前頃(ここで初めて人類はアフリカから他地域に移住した)、二度目は84〜42万年前頃、三度目は15〜8頃万年前頃で、二度目と三度目の大規模な移住においても、ユーラシア大陸においては全面的な置換はなく、アフリカから移住してきた人類とユーラシアの先住人類との間には通婚があったという仮説が、DNAの分析を根拠に提示されている。これはワシントン大学のアラン=テンプルトン氏の研究で、氏によると、従来は単一の領域(例えばミトコンドリアDNAやY染色体)のDNAしか分析していなかったのに対して、この新研究では10もの領域から取り出したDNAを分析対象としたそうで、これが従来とは異なる分析結果に繋がったとのことである。
次に記すのは、形態学の分野から人類史について論文述べたの概要である(読売新聞のサイトからの引用)。
アジアの原人交流?特徴併せ持つ頭骨発見
アフリカ・エチオピア中東部の約100万年前の地層から、現代人の直系祖先であるアフリカ原人とアジア原人の双方の特徴を併せ持つ頭骨化石を、米カリフォルニア大バークレー校などの研究チームが発見した。
◆進化論に波紋広げそう◆
北京原人やジャワ原人などのアジア原人は、現代人のホモ・サピエンスとは無縁の地域集団とする見方が有力で、別種扱いする学者もいた。研究チームは今回の発見で、「アフリカ原人とアジア原人は同一種で、行き来しながら現代人への進化の道を一緒に歩んでいたことがわかった」としており、人類の進化論争に大きな波紋を広げそうだ。21日発行の英科学誌ネイチャーに発表する。
化石は1997年に同国のアワシュ川中流域で発見。頭骨は顔の下半分が失われているが、脳容積は995ccで、中後期の原人に相当。まゆの部分の隆起が太いなど、アジア原人の特徴があった。
アフリカに出現した原人は約170万年前に、アジアへ進出し、北京原人やジャワ原人などに進化したが絶滅した。アフリカに残った原人が現代人へ進化したとされている。
国立科学博物館の馬場悠男人類研究部長の話「アジア原人が独自の集団ではないことを示すだけでなく、アフリカの古い原人と新しい原人の空白を埋める特徴もある。ただ、アジアから現代人が発生したわけではなく、アフリカを起源とすることに変わりはない」
例えば中国科学者、アジア人のアフリカ起源説提起との発表や河合信和氏のコラムの第12回に見られるように、近年は、分子遺伝学の分野からは、現生人類のアフリカ単一起源説を証明するような研究結果ばかりが発表されていたのだから、分子遺伝学の分野から現生人類のアフリカ単一起源説を否定するテンプルトン氏の論文は、本当に意外だった。
実は、単一起源説の大御所であるストリンガー氏もそうなのだが、ユーラシア東部(東・東南アジア)における先住人類と現生人類との連続性については、単一起源説論者も否定が難しいとして黙認していたようなところがあり、河合信和氏が仰るように、ユーラシア東部は「アフリカ起源説の唯一の泣き所であり、逆に多地域進化説のただ一つの拠り所」になっていた感があった。
故に、ユーラシア東部と西部とでは人類進化のシナリオが異なっていて、西部では先住人類と現生人類の間に全面的な置換があったが、東部では先住人類と現生人類との間に連続性が認められるという東西二地域進化説を、馬場悠男氏が提唱されたのも、妥当なところだったとも言える。
ところが、上で紹介した研究もそうであるように、ユーラシア東部においても単一起源説が当てはまることを証明するような研究成果が、近年では分子遺伝学の方から発表されるようになり、もはや単一起源説は確定的だと私も思っていただけに、今回のテンプルトン氏の発表には本当に驚かされた。
長くなりそうなので、取り敢えず今回はここまでとし、この問題については次回以降も引き続いて述べていきたい。