日本列島の国家形成(1)
以前、「後漢〜三国時代の日本」と題して小文を書いたことがあるのだが、今となってみると色々と不満な点も多々あるので、改めて日本列島における国家形成の問題という、日本古代史上の難問について考えていきたい。
古代史について考えるさいに、私が常に念頭に置いているのは、宮崎市定『中国古代史論』(平凡社1988年)の「まえがき」の以下の一節である。
世界の何れの地域を問わず、古代史の研究には一様にさまざまな困難が伴うものである。だいいち史料が極めて少ない。若しあってもその性質が不明なことが多く、従ってその信憑性に疑問がある。疑問があるからと言って、それを使わなければ、何も出来ないから、こわごわ使って見るより外はない。その手加減がむつかしいので、これについて安全な方法というものはなく、各人がそれぞれの主観によって決定する。だから人によって結果は千差万別であり、またその当否を判断するに安全な手段というものも存在しない。結局多勢の人が知恵を出しあい、長い時間をかけて、その間から最も客観性のある、価値の高いものを選んで、それを古代史の真の形に近いものだと、仮に定めておくより外によい方法はないのである。
このようにして多くの人たちが仮に真に近いと定めた形体でも、更に長い年月がたち、一般の知識が増進してくると、やはりどこかおかしいな、という疑惑が生じてくる。中国の古代史研究の上において、長らく真に近いと信ぜられてきた「史記」以来の古代史像が揺らいで来たのは、正にそういう新時代の到来を背景としてであった。そして古い古代史像は揺らいでいるが、まだ新しい古代史像は確立されていないのである。
日本古代史についても、まさにこの一節があてはまる。現存する日本最初期の史書である『古事記』と『日本書紀』の記事は、8世紀に完成したということもあって5世紀以前については作為が多く、両書の記事を基本に歴史像を構築するのは無理である。もちろん、両書ともに5世紀以前の史実や観念を伝えている記事もあろうが、どれが該当記事なのか判断は大変困難であり、たとえそうした記事があったとしても、その分量は少ないと思われる。
日本列島について記載のある中国の史書の中には、『三国志』や『隋書』のように、準同時代といってもよい史書もあるが、中国歴代王朝の直接統治地域ではないので、その記事がどこまで正確か疑問も多々あるし、記事自体もけっして長くはなく、やはり中国の史書の記事を基本に日本列島の歴史像を構築するのは困難である。
とはいえ、正確で詳細な新史料が出現する可能性は皆無に近いので、日本列島における国家形成の問題については、中国の史書と考古学的成果を基本に、日本の史書も参考にしつつ、考えていくしかないだろう。