日記を読む(1)

 

 日記とはいっても、たとえば『小右記』のような史料的価値の高いものではなく、私自身が書いた日記なのだが、このホームページで公開している日記ではなく、中学・高校生の頃に書いていた日記である。独り暮らしを始めるにあたって、もし家族に読まれたら困ると思い、ダンボールに詰めて部屋に運び、その後に再び引っ越したさいにもそのままにしておいたのだが、先日持ち物の本格的な整理を行なった時、久しぶりに手にとって読んでみたところ、当時の世相や事件についても触れられていたので、これを読み直し、1980年代半ば〜後半の世相や大事件は当時の一少年にはどのように認識されていたのか、考察してみようと思う。
 と立派なことを言ってみたが、日記は律儀にも毎日書かれているものの、非常に短く幼稚な内容なので、100年経っても、とうてい史料として利用されるようなものではなく、何といっても昔の自分が書いたものだけに、むやみに恥を晒すだけの結果に終わりそうなのだが、ネタ切れというか勉強不足のため、雑文の更新が滞りがちなので、取り上げてみようかと思った次第である。

日記は、1985年4月25日(木曜日)から1989年5月28日(日曜日)まで、大学ノート3冊に4年以上にわたって毎日書かれている。学年でいうと、中学1年生から高校2年生までということになる。
 今のところは、中学3年の後半の頃、つまり1987年10月頃から1988年3月頃までを主に読んだのだが、読み直してみて、毎日書いていたことを思い出した。実はこの間、大病を患って2週間近く寝込んだり、修学旅行やキャンプに行って何日か外泊しているので、その間はどうなっているのだろうと思って調べてみたところ、何とその間も律儀に毎日書かれているのには驚いた。
 修学旅行やキャンプのさいには日記帳を持っていたのかとも考えたが、同級生に見られることを嫌ったはずなので、それはないだろうから、メモ帳にでも記載しておいたか、記憶を頼りに、帰宅してから書いたのだろうと思う。
 大病を患っている間も、律儀に毎日書かれているのには本当に驚いた。そのため、病状の変化をあるていど詳しく思い出せたのだが、一時は死を覚悟したほどの大病だっただけに、毎日書いていたはずはなく、ある程度回復してから記憶を頼りに書いたのだろうか。
 ほとんど毎日の自分の行為だったにも関わらず、この程度のことも思い出せず、つい失笑してしまったが(まあ、日記の内容自体も失笑ものなのだが)、人間の記憶が案外曖昧なものであることを改めて思い知らされた。

日記からの引用文は紫色、日付は金色で示すこととする。日記の引用は日付順ではなく、関心を抱いた事項からに順に紹介することとする。当分は、現在読んでいる1987年10月頃から1988年3月頃までの日記を中心に引用していくことになろう。また、「一少年の視点からの1980年代半ば〜後半の世相や大事件」という趣旨なので、私的な内容にはあまり触れないことにする。

 

 

歴史雑文最新一覧へ   先頭へ