日記を読む(4)
日記を書いていた4年間には、冬季・夏季五輪が一度ずつあった。私は今ではあまり五輪には関心がないが、当時はわりと関心があって、日記も何度か五輪の話題が出てくる。当時の五輪は、冬季と夏季が同一年度に行なわれていた。まずは、カルガリー冬季五輪についての記載である。
1988年2月14日(日曜日)
午後からは東京国際マラソンを見た。エチオピアのメコネンが2時間8分33秒で優勝した。谷口はだめだった。今日から、カナダのカルガリーで冬季オリンピックが始まった。
1988年2月16日(火曜日)
昨日、カルガリーオリンピックスピードスケート500m男子で、日本の黒岩選手が3位になった。スキーのジャンプ70m級では、フィンランドのマッチ=ニッカネンが圧倒的な強さで1位になった。
谷口は福岡国際マラソンで敗れ、東京国際マラソンに五輪出場をかけて出走したのだが、またも敗れてしまい、五輪出場を逃したのだった。
黒岩は、カルガリー五輪の前のサラエボ五輪で期待されながらメダルを取れなかったが、このカルガリー五輪では見事にメダルを取った。その後、黒岩は西武ライオンズの松坂投手の広報となり、身代わり出頭をするはめに陥ってしまった。五輪の英雄がこのような醜態を晒してしまったことについて、松坂・黒岩の両人以外でもっとも責任を負わねばならないのは、いうまでもなく、松坂を甘やかして増長させてしまった堤義明である。清原の時といい、球界の宝を二人もスポイルしてしまった堤は、もう野球界には金だけ出して口は出すな。
カルガリー五輪の頃は、ジャンプ競技は70m級・90m級と呼ばれていた。私にはこちらのほうが馴染み深い。ジャンプ競技にはあまり興味のない私だが、ニッカネンという選手がたいへん強かったことはよく覚えている。続いて、ソウル夏季五輪についての記載である。
1988年9月17日(土曜日)
ソウル・オリンピックが始まった。北朝鮮は不参加だが、12年振りに東西両陣営が集まった。
1988年9月24日(土曜日)
注目の、オリンピック男子100m決勝があった。結果は、ジョンソンが9秒79世界新で一位、ルイスは2位だった。天皇の病状が相当悪化したようだ。熱がかなり上がっている。
1988年9月26日(月曜日)
オリンピックは、日本勢が不調である。今までに、金メダルは、200m背泳ぎの鈴木大地しか取っていない。残り頑張って貰いたい。おとといの100mで2位に終わったルイスは、走り幅飛びで、前回のロスに続いて1位となった。
1988年9月27日(火曜日)
大変残念な事になった。先日の男子100m決勝で世界新で1位になったジョンソンがドーピングにひっかかったのである。これで、ルイスが、ジョンソンの金剥奪によって1位となる。
1988年9月30日(金曜日)
いよいよソウルオリンピックも後少しである。日本は、今迄、たった二つしか金メダルを取っていない。競泳100m背泳ぎの鈴木とレスリングの小林である。柔道は、まさに惨敗である。
1988年10月1日(土曜日)
いよいよソウルオリンピックも明日迄である。日本は、昨日レスリングで金を取り、通算で3個となった。柔道は惨敗で、まだ金メダル0である。残るのは斎藤ただ一人だ。
9月24日の日記には昭和天皇の病状について記載されているが、これは次回述べることにする。鈴木大地が金メダルを取ったのは、9月30日の日記にあるように100m背泳ぎが正しく、9月26日の記載は誤りである。
ジョンソンは金メダル剥奪となったが、他にも怪しいメダリストは多数いたのではなかろうか。アメリカ人短距離選手の今は亡きフローレンス=ジョイナーなどは、限りなくクロに近かったと思うのだが、ついにドーピング検査にはひっかからなかった。ジョンソンがもしアメリカ人だったとしたら、はたして金メダル剥奪となっただろうか、と邪推もしたくなる。今でも分からないのだが(私が知らないだけかもしれないが)、金メダル剥奪の前、ジョンソンは不正な薬物を使用していると理解していたのだろうか。あるいは、コーチに言われるままに不正な薬物を使用していたのだろうか。