日記を読む(5)

 

 今は亡き竹下登が自民党の総裁に選出されたのは1987年10月であった。当時の日記にも、自民党総裁選についての記載があるので、以下に引用する。

1987年10月19日(月曜日)
今、新聞はもっぱら自民党総裁選の事ばかり書いている。安倍・竹下・宮沢氏の3人が立候補していて、明日、自民党所属の国会議員による本選挙がある。数の上では竹下氏優勢だが、今のところ、安倍氏が一番有利なのではないかと思う。もちろん、中曽根首相の指名が重要になってくると思う。僕個人の意見としては宮沢氏になってもらいたいのだが。
1987年10月20日(火曜日)
自民党の新総裁は、竹下氏がなる事が決まった。これは中曽根現総裁・首相の指名によるものである。やはり、「数」を優先したようだ。宮沢氏の方が良いのではないかと思う。はっきり言って大変残念な事になった。これで、時期首相は竹下氏でほぼきまりである。ここ数日の間にニューヨークの株式が大暴落して、日本やアジア、欧州各国でも株が大暴落している。ほとんどの人は1929年の大恐慌の再現にはならない、と言っているが。
1987年10月21日(水曜日)
昨日、株が大暴落したが、今日は、逆にほぼ全面高となった。次の首相は竹下氏でほぼ決まりだが、竹下政権では、副総理に宮沢氏、党幹事長に安倍氏の起用がほぼ決まっている。河本氏は副総裁になる、との情報もある。
1987年11月8日(日曜日)
朝は大変遅く起きた。明朝からは早く起きたい。おととい竹下が首相となり、新内閣が発足した。副総理兼大蔵大臣に宮沢氏、外務大臣に中曽根派の宇野氏が起用された。
1987年11月25日(水曜日)
米ソ両国がINF全廃条約に合意するという喜ばしい事があった。

目についたので、ついでに、米ソ両国によるINF全廃条約への合意について触れた箇所も記載した。いわゆる「ブラックマンデー」についても触れられているが、経済に疎い私にも衝撃的だったということなのだろう。
 さて自民党総裁選についてだが、なぜ安倍有利と書いたかというと、友人と話していて、安倍有利と聞いたからだと記憶している。結局予想は外れたのだが、安倍有利の根拠はどうも思い出せない。おそらく友人は、ニュースか新聞で情報を得たのだろう。
 改めて読み直してみると、当時は宮澤喜一をたいへん高く評価していたことが分かる。当時は、宮澤の教養とそれを賞賛するマスコミ報道に幻惑され、その政治的見識もすばらしいものだと考えていたのである。その後、宮澤は1991年に念願の首相に就任し、その2年後に退陣することになるのだが、その頃になると、私は宮澤の政治的力量にはすっかり失望していた。教養はたいへんなものだが、首相としては失格だと考えるようになっていたのである。
 だから、小渕内閣で首相経験者としては異例の再入閣(大蔵大臣、後に財務大臣)をした時にも、平成の高橋是清などと持ち上げる一部マスコミにはうんざりし、どうせ大した成果は挙げられないと思っていたが、案の定その通りとなってしまった。予算編成の時には、「私は後世には、大変な借金を残した蔵相として語られるのでしょうなあ」などと他人事のように語っていた
が、小渕内閣での蔵相就任時には78歳で、そもそもこのような先の短い老人に大臣をやらせるというのが間違いなのである。先が短いと分かっていればこそ、借金財政を一向に改善できなくても、他人事のように語れるわけで、老人政治家というのは、要職を歴任しているだけに気位はやたら高いのだが、先が短いだけに無責任な人が多く、大所高所から若手政治家を指導するといった貢献をすることは滅多になく、老害をまき散らしているだけのことが多い。中曽根・宮澤の両首相経験者や原健三郎などはその典型であろう。国会議員にも定年制を設けたほうがよいのではなかろうか。
 結局、中曽根裁定により竹下が新総裁に選出されたのだが、総裁を目指していた竹下が、「金もうけのうまい竹下さんをぜひ総理に」などといった日本皇民党による誉め殺しに悩んでいたことが一般に明らかになったのは、この5年後のことであった。もちろん、当時の私がそのことを知るわけもなかったのだが。

 

 

歴史雑文最新一覧へ   先頭へ