中華思想

 

 京大東洋史辞典編纂会編『新編 東洋史辞典』(東京創元社1980年)によると、
この語は主として日本学界の用語である。中華とは中国人が自国を呼ぶ美称であり、中夏とも書く。世界の中心・文明地帯の意味だが、このような考え方、つまり自己民族の文化地帯を世界の中心と考え、周辺諸民族を野蛮未開の非人間的地帯とすることは、古代文明諸民族に往々見られる普通の考え方である。ただ中国ではこの考え方が非常にふるい時代から20世紀初頭まで変わりなく続き、政治・外交・文化・経済の一切にそのような優越感が見られたことは、いちじるしい特色であった。近代中国の悲劇の数々は、中国人がこの優越感をみずから否定しなければ自立できなくなった点にある。
となっている。

 永原慶二監修『岩波日本史辞典 CD−ROM版』(岩波書店2000年)では
中国を政治文化の中心として周辺の夷狄と区別する思想。華は古くは夏と称し、周の直轄領域の意。春秋時代には中国中心部の諸国を華夏といい、礼俗・言語を共有する諸夏・中国と、共有せず禽獣と蔑まれる夷狄との区別が成立した。中華・中夏の語の出現は漢代まで降ると思われる。中華と夷狄との区別は絶対的ではなく、礼俗・言語に同化すれば夷狄も中華と認められた。これを王化・徳化といい、天下観念と結びついて、漢代以降皇帝の徳の高さを示す指標とされた。従って内国と外国との区別は曖昧で、皇帝が外国君主を王に任命するのは、冊書という文書による封建という意味で冊封というが、冊封は中国国内の君臣関係の外国への適用で、その外国は中国王朝に臣属するものとされた。こうした中華思想は周辺諸国に伝播し、律令制下の日本も朝鮮諸国を諸蕃、蝦夷・隼人を夷狄に位置づけた。
となっている。

 

 どちらも、おおむね妥当な記述と言えよう。現在、中華人民共和国の外交政策は、中華思想色が強いとして日本(の一部なのか大部分なのかは分からないが)ではたいへん評判が悪いが、このような思想は世界において普遍的に見られるものである。ただ、中国においてもっとも高度に理論体系化され、またもっとも長期に亘ってほぼ一貫して続いてきたので、現在では中華思想というと、あたかも中国の専売特許のごとく思っている人も少なからずいるのだろう。

 『岩波日本史辞典』にもあるように、中華思想は周辺諸国に伝播し、日本の場合は殆ど直輸入であったが、これは律令国家日本国の成立後のことではなく、それ以前より中華思想を取り入れていたものと思われる。当時の東アジア諸国が他国と外交関係を築くのに参考としたのは、何と言っても中国の外交理念であり、日本のみならず朝鮮半島の諸国も、中華思想的外交政策をしばしば取っていた。中華思想的観念は世界には珍しくないのであり、現在の中国を、中華思想を払拭できていないとして揶揄するのではなく、他山の石とすべきであろう。

 ただ、中国が現在も中華思想のとりわけ強い国であることは否定できないだろう。何人かの識者が雑誌などで述べていることなのだが、現在の世界で中華思想のとりわけ強い国は、中国・イラン・フランスの三国で、この三国の人々と話す時には、その中華思想の強さに辟易することしばしばである、とのことである。

 

 うーむ、殆ど引用になってしまったか・・・。

 

 

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