前近代のエジプトとアラビアの社会
ここでの近代以前とは、エジプトに関しては19世紀前半まで、アラビア半島に関しては第一次世界大戦までと考え、近代国家成立以前のエジプト社会の特色とアラビア社会の特色を、両者を比較しながら検討してみたい。
エジプトとアラビア両方の社会とも「部族」が社会を構成するうえで重要な要素となっているが、両者の間には相違点も存在する。先ず、部族社会と言われるアラビア半島について見てみると、例えば現在のサウジアラビアにおいては、アニザ部族やタミーム部族といった10万人規模にのぼる大単位の部族の存在が認められる。
もっとも、人々のこうした大部族への帰属意識は、確かに存在するものの、漠然とした意識である。現実の政治や社会に影響を及ぼすのはもっと小単位の存在、言わば「氏族的」存在の「部族」ということになる。
実際に政治・軍事の単位となるのはこうした「氏族」単位であり、時には都市の「氏族」が村の「氏族」を巻き込んだ形での紛争が起きるなど、「氏族」間の交流は居住区が異なっても行われ、例えば結婚などもその一例である。
このように、アラビア社会は部族を構成する小集団である「氏族」単位で動くという側面が強く見られ、曖昧な意識ではあるものの、しばしばそうした意識がより大きな部族単位で顕現することもあり、部族社会であると言える。
だが、部族が人々の意識によって成立する以上、部族はやはり組織面では確固とした存在ではなく曖昧な存在であり、アラビア社会は部族単位のみではなく、地縁や公的組織といった単位でも動いている。
一方エジプト社会においても「部族」が重要な地位を占めているものの、農村における「部族」の在り方はアラビア社会のそれとは異なっているように思われる。
エジプトの農村においても、勿論現実の生活の単位となる団体組織が存在するが、それはほとんどの場合、地縁や血縁や公的組織といった俗的な結合体であり、アラビア社会に見られる、いわば理念的な部族意識は希薄である。これは、エジプトの農民がアラブ侵入以前から農村に定着しており、都市ほどにはアラビア社会の影響を受けなかったためであろう。
次に、エジプトとアラビア両方の社会における国家・政権の在り方を検討してみたい。アラビア半島は降水量が少なく大河が存在しないため、水の利用は井戸や地下水路のカナートという形態で行われる。従って、水の使用量が限定されるため、一定の地域に多数の人間が居住することは困難であり、村落や都市は大規模化しない。
そのため、特定の部族の勢力が巨大化するという事態はなかなか生じにくく、上述したような部族社会の下では広範な地域統合は困難である。もっとも、この場合幅10〜20kmといった狭い地域での統合は充分可能で、現代を例に取ればクウェートやカタルやアラブ首長国連邦などがある。よって、アラビア社会(半島)においては、統一国家は成立しづらい、ということになる。
一方エジプトは、古代世界の四大文明発祥地の一つに数えられ、既に紀元前2500年頃には巨大ピラミッドが建造されていることから分かるように、早くから強力な中央集権国家が形成された。アラビア社会とは対照的にエジプトでは早くから統一国家が成立したのは、ナイル川という大河が存在したためである。大河の存在は人口の集住を可能にし、大都市や大規模な村落の成立を容易にする。
また、ナイル川を利用した治水・灌漑設備の作業には多量の人手を必要とすることから、中央集権政府の存在が必要とされた。こうした理由から、エジプトでは早くから統一国家が成立することになり、後に広大な帝国あるいは王国の一地域になった時も、国家的統治機構はあくまで存在した。
このようなエジプトの特徴として挙げられるのが、農業生産や防衛上の理由から村落が自治的単位になったものの、あくまで、中央集権の必要性から、大都市に支配層が居住し、大都市が支配の中心になる集権制が敷かれ、分散的統治体制は採用されないという点である。
エジプトは紀元前6世紀にアケメネス朝ペルシアに征服されて以来、二千数百年にわたって外国人が支配層となったため、古代社会以降の前近代においては、先に述べた特色から、農村と都市とで住民の民族的構成が異なる結果になった。この点では都市も農村も同質な民族から構成されているアラビア社会とは対照的である。
最後に、エジプトとアラビアの両社会におけるイスラムの役割に関して見てみたい。アラビア社会では上述したように統一国家を構築するのは困難であり、歴史上も、アラビア社会(半島)での統一政権は、ムハンマド時代とサウード朝(ワッハーブ王国)の二度であるが、いずれの場合もイスラムが統合要素として重要な役割を果たしている。
ムハンマドは当初は信仰上の指導者であったが、後には氏族間の紛争を解決するなど、政治的指導者としての役割も果たすようになった。アラビア半島のような多様な部族社会では、イスラムという普遍的な理念・信仰の指導者で尚且つ政治的指導者というようなカリスマ的存在の下でしか統一は成立し得ないのであろう。
一方、支配層と非支配層が民族的に異なり、両者の間に相当な緊張関係があったと考えられるエジプトだが、こちらは灌漑・治水工事といった実利的な側面から中央集権的政府が必要とされた。従って、アラビア社会のようなカリスマ的存在は必要とされず、ウラマーがイスラム法を初めとする様々な知識を活用して都市支配層と住民の間での紛争を調停するという形態で、イスラムがエジプト社会統合の上で重要な役割を果たした。