アラブ世界の国家と民族主義

 

 なかなか新規ネタが思い付かないので、1993年に書いた駄文を掲載する。原題は「アラブ世界における国民国家と民族主義との関係」だが、やや長いので改題した。随分前に書いたものなので、今となっては未熟な理解も目立つが、これは今後の課題である。

 

 

 現在(1993年)アラブ世界は、アラブ連盟に加盟している21の国家とパレスチナ解放機構から成り立っている。このうち、パレスチナ解放機構や、むしろアフリカの国家としてとらえたほうが良いと思われるモーリタニア・ジブチ・ソマリアを除外したにしても、17もの国民国家が存在することになる。

 ある辞書の定義によれば、民族とは「同一の地域に起こり、同一の言語を話し、歴史・文化・生活様式を同じくする人間集団」というものである。この定義が正しいとするならば、この広大なアラブ世界に住む人々は、アラビア語や伝統文化を共有しているので、民族という枠組みで一纏めにされることになる。

 近・現代の歴史が、一見すると、日本・ドイツ・イタリア・アイルランド・ベトナムなどで見られるように、同一民族による単一の国民国家の構築・国家統合という志向を強く有していたと思われる中で、アラブ世界が近・現代になって国民国家を構築するにあたって、統一の国民国家を構築することはなく、17もの国民国家を登場させたという事実は、奇異の念を抱かせる。

 もっとも、アラブ世界全体を統合した統一国民国家の構築というパン=アラビズムあるいはアラブ=ナショナリズムの主張も現代になって唱えられたものの、そのような主張は実現されることなく今日に至っている。以下、アラブ世界において、今日に至るまで何故アラブ世界全体を統合した国民国家が成立しなかったか、という問題について考えてみたい。

 先ず、アラブ世界と同様に共通の言語・文化を有しながら分裂していたにも関わらず、近代になって統一国家を構築した日本とドイツの例を見て、アラブ世界と比較してみる。

 

 ドイツにはナポレオンの登場まで神聖ローマ帝国という国家があったものの、この国家は中世以降は領邦分立体制を強めていき、1648年のウェストファリア条約により数百もの諸領邦が完全に主権を承認されたことにより、国家としての実質的機能はなんら果たしていなかった。これらの諸領邦はナポレオンにより約40に整理され、これが19世紀におけるドイツの領域構成の骨格となった。

 ナポレオン没落後、ウィーン会議によりドイツ連邦が成立したが、これはソビエト連邦のような中央政府を上に戴く連邦国家などではなく、35の主権国家と、同じく首件的な4自由都市から構成される一種の諸国家連盟であった。国家数や地域の広大さこそ異なるものの、このドイツ連邦は現在のアラブ連盟と似た国際的機構と言えよう。

 この分裂したドイツにおいて統一への気運が漸く高まったのは、19世紀になってからであった。それ以前は、ドイツ人はこの分裂状態を特に不自然だとは思っていなかった。ドイツ人をドイツ統一へと駆り立てたのはフランス革命であった。

 フランス革命とその相続者たるナポレオンにより、フランスに原初的な自由主義的中央集権的統一国民国家が出現した。この国家は徴兵制を敷き、反革命の包囲の中でフランス人の愛国心(ナショナリズム)を高揚させ、ヨーロッパの「反動勢力」から祖国を防衛した。ナポレオン時代になってそれはヨーロッパ各地への侵略へと変質した。ドイツもこのナポレオンによる侵略を受け、屈辱的なティルジット条約を締結した。

 ドイツ人はこのような侵略の再来を防ぐために、自らを侵略した隣国フランスの如き強力な統一国家を志向するに至った、と考えられる。このような政治・軍事的な理由の他、経済的な統一の要請もあり、当時は、英仏に産業革命で先行されたため、これに追いつくためには統一国家の方が有利だとも考えられた。

 

 一方日本だが、こちらは、藩を「国家」としてとらえるのは必ずしも適切ではないであろうが、事実上の分裂状態にあることは間違いないだろう。徳川幕府は確かに中央政府としての性格を有していたものの、日本全体という単位で徴税や軍役が行われていたわけではなく、それらは各藩の単位で行われていた。従って、江戸時代の日本を統一国家と認めることはできない。

 この日本が近代的な国民国家に生まれ変わるのは、欧米諸列強の外圧によるところが大きかった。外部の圧力を受けて日本人・日本国という枠組みを再認識(或いは新たに認識)し、「日本国」の自立と保全を模索するようになり、明治の「大日本帝国」が誕生したことになる。

 

 ドイツや日本では、近代になってこのように統一国家の成立を見たのに対して、アラブ世界では現在も多数の国家が存在する。ドイツや日本と同じく、アラブ世界にも「外圧」があり、人々の間にある程度の共通意識があるので、統一国家形成の条件が揃っていると思われるにも関わらず、である。

 上述したように、アラブ世界にもアラブ連盟の構成諸国を統合した国家を構築しようとする動きがある。アラブ=ナショナリズム、パン=アラビズムといった主張がそれである。こうした主張の根拠になっているのは、現在のアラブ世界の国家の枠組みが、20世紀になって初めて西欧植民地主義によって強制的・人工的に形成され、その国境線は人為的である、という考えである。

 アラブの政治家では、過去にはエジプト大統領のナセル、現在ではイラク大統領のサダム=フセインなどがアラブ=ナショナリズムを主張した。だがこうした主張は人々の土地・郷土(ワタン)への帰属意識の強さを過小評価したものであり、イデオロギーに歴史的現実を従属させるものと言えよう。

 

 結局、アラブ=ナショナリズムの主張が実現されていないのは、そのイデオロギーが歴史的現実ほどの現実感を有していないからだと思われるが、最後にその理由を考えてみたい。

 先ず、「現在のアラブ世界の国家の枠組みが西欧植民地主義の(悪しき)遺産である」という認識については、必ずしも正しくない。これに当てはまるのは、イラク・シリア・ヨルダン・レバノンぐらいである。エジプトは、特権的な軍人集団の下に権力が集中してオスマン帝国から独立し、それを母体にして今日の国家がある。今日のアラブ諸国の多くは、エジプトのように、独立国家として成立し得る歴史的な根拠と正当性を有すると言って良い。アラブ=ナショナリストの主張する如く、西欧の植民地主義に現在のすべてのアラブ世界の国家の成立根拠を求めるのは不可能である。

 次に言えるのは、歴史的に見て「アラブ民族」なるものは、アラブ意識よりも、むしろイスラム意識という共通認識を有していた、ということである。例えばエジプトは、元は非アラブ世界であり、イスラムという同一の宗教に参加し、同じ歴史的経験をある期間経ることによってアラブ世界の一員になったのであり、アラブ民族の発祥地たるアラビア半島とは異なる面も多く、単純にアラブ世界と言い切ってよいものか疑問もある。従って、アラブ=ナショナリズムを声高に主張されても、具体的な郷土への愛(ワタニーヤ)ほどの現実感はもたらさないのであろう。

 

 

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