『逆説の日本史』よりの引用

 

 以下は、『逆説の日本史(1)古代黎明編』P68〜77よりの引用です。ヤフー掲示板への投稿用に引用しようとしましたが、長くなりすぎたので、ここに引用し、ヤフー掲示板にはリンクを貼ることにしました。以下、引用部分は、他の雑文と同様に紫字で示しました。

 

たとえば「唯物史観」の側の学者はよく「江戸時代の農民は自分が作った米を武士階級に取り上げられ、アワやヒエのような雑穀(ざっこく)しか口にできなかった」と主張する。

これ、実は、まったくのデタラメなのである。

(中略)

たとえば「石」という単位がある。

今では使っていないが、江戸時代は最もありふれた単位である。

(中略)

では、その「合」という単位はどうやって決めたのだろうか。

ここで人間が一日に食べる米の量を考えてみる。一日二食として一回一合、これだと一日二合になる。少な過ぎる気もするのでもう一合増やして一日三合としようか。すると一年は三百六十日だから、三合×三百六十日で千八十号となる。これは約一石(千合)だ。

これは偶然の一致だろうか。実は違う。一石というのは一人の人間が一年(三百六十日)に食べる米の量を基準にして定めた単位なのだ。もちろん働き盛りの若者はもっと食べるだろうが、あくまで子供や老人も含めた平均値ということだ。そして、これが人間中心の単位ということでもある。

(中略)

それどころか、「江戸時代の農民は自分で米を作っても、武士たちに年貢として取られてそれを口に入れられず、アワやヒエを食べるしかなかった」というデタラメの方がまかり通っている。  

それがデタラメであることを証明した板倉聖宣氏の論証に戻ろう。

これは言われてみれば実に簡単な、数学の問題なのである。といっても、難しい原理や法則は必要ない。

わかりやすくするために、数字は単純化する。

たとえば日本の国の総石高(総米生産量)が仮に二千万石だとしよう。すなわち農業人口も二千万ということになる。一石とは一人の人間の一年間分の食糧であり、それが毎年とれる。そして食糧の生産量以上には人間は決して生きられないのだから、石高と人口は一致するはずである。

では江戸時代の武士の全人口に対する比率はどれくらいか、これは約五パーセントという数字が既に出ている。そして年貢率を五公五民としようか、これは収穫量の五十パーセントが「お(かみ)=武士階級」に持っていかれるということだ。五十パーセントということは千万石の米が、人口の五パーセントに過ぎない人々(百万人)にとられるということになる。しかし、百万人の人間を養うには百万石の米があれば充分なのである。残りの九百万石の米は一体どうするのか?

売るか、あるいは米として食べる以外の食品(たとえば酒)の原料にするか、あるいは自分で食べるか。

米と(かね)との一番の違いは何か、それは金は他人の十倍でも百倍でも浪費することは可能だが、米は他人の十倍食うというわけにはいかないことだ。酒の原料にしたところで消費量はたかがしれている。

では、大坂や江戸の商人に売るか、確かにこれは可能だ。しかし、この商人たちから米を買って食べる人々、いわゆる町人たちも総人口の五パーセントしかいない。

つまり農民以外の人々は総人口の十パーセントしかいないのである。この武士や町人たちがどんなに頑張ったところで、日本の米の総生産高の半分を食い尽くすことなど、できるはずもない。

もちろん、輸出して(かね)に換えてしまうということは可能性として考えられる。あの悪名高いソビエトの独裁者スターリンは「飢餓輸出」をした。もっともこれは正確に言うなら「輸出による飢餓」だろう。外貨を稼ぐために自国の農民から生産物を「搾取(さくしゅ)」し、多数の農民を餓死させたのである。

しかし、日本の江戸時代にこの飢餓輸出が行なわれた可能性はまったくない。言うまでもなく日本は「鎖国」していたからだ。貿易を認められていたオランダや中国にも米が輸出されていた形跡はまったくない。

すると余った米はどうしたのか?

とてつもなく大量の米が余ったはずである。まさか。ドブに捨てたわけではあるまい。備蓄したのでもない。江戸時代に大量の埋蔵金ならぬ埋蔵米があったなどという話は聞いたことがない。

結局、それは人口の九十パーセントをしめる農民の口に、最終的には入ったに違いない。

こう考えるしかないのである。

もっとも、それは農民が(しいた)げられていなかった、ということではない。一度米を取り上げられて、自分の作ったものであるにもかかわらず、高い代償(苦役に従事したり娘を売ったり)を払って取り戻したこともあっただろう。しかし、とどのつまり米は食糧であり、人間の口に入らなければおさまりのつかないものである。二千万人分の米は結局二千万人の口に入ったと考えるのが、最も妥当な結論ということになる。

しかし、板倉氏もその著書で言っているように、こういうことを言うと、「おこりだす人」がいる。「そんなことは有り得ない」「江戸時代の農民は悲惨でなかった、などと言うのか」と言ってくるのだそうだ。

これが、いわゆる「人民史観」「唯物史観」の「学者」たちであることは言うまでもあるまい。

こういう人たちはまず思想(イデオロギー)が先に来る。「××であるべきだ」という結論が先で、事実の解釈はその「あるべきだ」という歪んだレンズを通して行なわれる。

日本の江戸時代は暗黒時代で農民は虐げられていた−確かにまったくのデタラメとは言えない。しかし、そのことを強調するために、「アワやヒエしか食えなかった」という嘘を言ってはいけない。もちろんスターリン治世下における農民の搾取についてもきちんと発言しなければいけない。

ところが、それはせずに、特定の、しかも誤った価値観に基づいて、日本の歴史についてだけ悪口を言い続けるような「学者」が、また多いのである。

 

 

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